入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1938年7月11日 張鼓峯 ソ連兵越境

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/05 18:40 投稿番号: [1690 / 2250]
井本熊雄著   『支那事変作戦日誌』
252〜254p


《 漢口作戦の準備促進に大童であった七月十三日、参謀本部は朝鮮軍から、

「第十九師団の報告によれば、七月十一日、約四十名のソ連兵が

張鼓峯山頂に進出して陣地の構築を始めた」   という報告に接した。



当時作戦課長以下、張鼓峯の地名もその位置も知らず、

地図をさがして、始めてその位置を確認したのであった。

ソ領沿海州が細長くウラジオから南に延びて、満ソ国境は張鼓峯の南麓で豆満江に入り、

それ以南は河口まで同江の中流が国境である。

張鼓峯の頂上が国境であるか否かは、各種相異る資料があって厳密にいえば疑問であるが、

当時参謀本部では、ソ連兵が進出した場所が国境であると考えていた。



この報告を受けた第一印象は、不法に国境を侵犯したソ連兵は

実力を以て駆逐すべきだ、という極めて常識的な感じであった。

この感じは当時省部の一般的な気持であって、従来国境に事件が生じたことは数多いが、

いずれもわが方の断乎とした実力行使で大事に至らずに片付いて来た経験から、

それは自然的な考え方であった。

事実今まで国境紛争が大規模になった例もないし、大したこととは思わなかったのである。



朝鮮軍司令官からは続いて、   「長池   (張鼓峯東側の池)   付近は、

ソ連は条約の示す所によりソ領なりと従来より主張し、

我方は、ソ側の発行せる地図によるも明らかに満領なりと解しある係争地である。

そこにソ側が無断前記の如き処置に出るのは、明らかに不法行為である。



しかし該地が左程重要性を持たないのと、

目下支那事変の重要企図進行中であることを考え、直ちに実力を以て反撃的処置に出ず、

軍はまず条理をつくし現地において直接交渉し、ソ側の撤退を求める考えである。



しかし万一ソ側が結局わが要求に応じない場合は、

断乎実力を以てソ兵を長池以東に駆逐する企図を持っている。

ついては、満州国およびわが国においてもソ連に交渉して、

その不法侵犯に抗議し、速やかに旧位置に撤退させるよう指導せられたい」

という電報があった。》



児島襄著   『日中戦争4』   文春文庫    413p


《 十二日に、ソ満国境で   「張鼓峯事件」   がおこり、

日本は   「二正面作戦」   を強制された。

中国側にとっては有利な材料であり、参政会は、

「在最高統帥蒋委員長領導之下、抗戦到底」   と決議した。》
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