1937年 三コ師団増派とその進捗
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/11 19:04 投稿番号: [1638 / 2250]
井本熊男著
『支那事変作戦日誌』
152〜155pより
《 三ケ師団は第百一、第九、第十三の順序に
九月中旬末から下旬にわたり、神戸、大阪から出発し、
九月下旬から十月上旬にわたり呉淞、上海間に上陸させることになった。
増加兵団の動員下命から上海に到着するまでの約一ケ月間、
現地ではさらに苦戦の連続であった。
しかしこれ等の兵団が逐次到着して、戦線に加入することによって、
戦況に一つの転機を作った。
重藤支隊は九月十八日頃、羅店鎮北方川沙河口附近に上陸し、
急速に西進して九月二十日には羅店鎮西方約三キロに進出して、
西面して敵陣地に相対し、第十一師団の右側背を掩護する態勢をとった。
第十一師団は前記の如き天谷支隊の進出により、師団の主力をまとめることができ、
九月三十日には重藤支隊の左翼に連接して、西南面して約四キロの正面を保持した。
これで、一ケ月以上苦闘した羅店鎮周辺から、
一キロ乃至二キロ前進したことになったのである。
第三師団は、前記九月十七日の進出線から連続不断の力攻を続け、
約二週間の後に右翼方面は約二キロ前進し、
十月一日劉家行北方約二キロの張家角から、
劉家行、○ (厄+頁) 家宅を連ぬる堅固な敵陣地を攻略した。
第百一師団は九月二十日頃から呉淞附近に上陸して、薀藻浜クリーク北側地区を
攻撃前進し、九月三十日、その主力は第三師の左に連接して、
薀藻浜北岸に近く進出した。上陸点から約六キロの前進である。
第百一師団の谷川支隊は、上陸後第三師団の片山支隊と交代して
江湾鎮敵陣地に対し、片山支隊は九月末、第三師団主力に復帰した。
第九師団は九月二十三日頃から呉淞附近に上陸し、
九月三十日、主力を以て第十一、第三両師団の後方近く進出した。
第十三師団は九月下旬半頃から呉淞附近に上陸し、
十月十日頃主力を月浦鎮附近に集結した。
ここで戦況を大まかに振りかえって見ると、
八月二十三日、第三、第十一両師団の先遣隊が上陸して以来、上海派遣軍は、
薀藻浜クリーク以北の地域を攻撃正面として、
西方に向って力攻したがその戦況はあまり進捗しなかった。
九月下旬の兵力増加により、前記の如く一段の進捗を見て、
十月一日現在においては、東西に通ずる薀藻浜クリークと、
それに直角に南北に通ずる楊芤クリークで挟む、
直角の地域の大部分を攻略したことになった。
敵は依然楊芤の線に東面し、また薀藻浜の線に北面して重畳する
数線の陣地を占領して、わが攻撃を阻止している。
上海派遣軍はここにおいて、今までの西向きの主攻撃を南に向け、
まず大場鎮を攻略する戦闘指導の方策を立てた。
そこでこの方策を遂行するため、第三師団を左旋回の軸とし、
その右に第九師団を進出させ、この両師団を大場鎮に向わせるように指導した。
この際、第九師団の右には第十三師団を加入させ、その右に第十一師団、
重藤支隊と連接し、第十三師団より右は、依然西面して、敵陣地に対していた。
第百一師団は、戦況の進むに伴って、第三師団の左後方を前進させることにした。》
《 三ケ師団は第百一、第九、第十三の順序に
九月中旬末から下旬にわたり、神戸、大阪から出発し、
九月下旬から十月上旬にわたり呉淞、上海間に上陸させることになった。
増加兵団の動員下命から上海に到着するまでの約一ケ月間、
現地ではさらに苦戦の連続であった。
しかしこれ等の兵団が逐次到着して、戦線に加入することによって、
戦況に一つの転機を作った。
重藤支隊は九月十八日頃、羅店鎮北方川沙河口附近に上陸し、
急速に西進して九月二十日には羅店鎮西方約三キロに進出して、
西面して敵陣地に相対し、第十一師団の右側背を掩護する態勢をとった。
第十一師団は前記の如き天谷支隊の進出により、師団の主力をまとめることができ、
九月三十日には重藤支隊の左翼に連接して、西南面して約四キロの正面を保持した。
これで、一ケ月以上苦闘した羅店鎮周辺から、
一キロ乃至二キロ前進したことになったのである。
第三師団は、前記九月十七日の進出線から連続不断の力攻を続け、
約二週間の後に右翼方面は約二キロ前進し、
十月一日劉家行北方約二キロの張家角から、
劉家行、○ (厄+頁) 家宅を連ぬる堅固な敵陣地を攻略した。
第百一師団は九月二十日頃から呉淞附近に上陸して、薀藻浜クリーク北側地区を
攻撃前進し、九月三十日、その主力は第三師の左に連接して、
薀藻浜北岸に近く進出した。上陸点から約六キロの前進である。
第百一師団の谷川支隊は、上陸後第三師団の片山支隊と交代して
江湾鎮敵陣地に対し、片山支隊は九月末、第三師団主力に復帰した。
第九師団は九月二十三日頃から呉淞附近に上陸し、
九月三十日、主力を以て第十一、第三両師団の後方近く進出した。
第十三師団は九月下旬半頃から呉淞附近に上陸し、
十月十日頃主力を月浦鎮附近に集結した。
ここで戦況を大まかに振りかえって見ると、
八月二十三日、第三、第十一両師団の先遣隊が上陸して以来、上海派遣軍は、
薀藻浜クリーク以北の地域を攻撃正面として、
西方に向って力攻したがその戦況はあまり進捗しなかった。
九月下旬の兵力増加により、前記の如く一段の進捗を見て、
十月一日現在においては、東西に通ずる薀藻浜クリークと、
それに直角に南北に通ずる楊芤クリークで挟む、
直角の地域の大部分を攻略したことになった。
敵は依然楊芤の線に東面し、また薀藻浜の線に北面して重畳する
数線の陣地を占領して、わが攻撃を阻止している。
上海派遣軍はここにおいて、今までの西向きの主攻撃を南に向け、
まず大場鎮を攻略する戦闘指導の方策を立てた。
そこでこの方策を遂行するため、第三師団を左旋回の軸とし、
その右に第九師団を進出させ、この両師団を大場鎮に向わせるように指導した。
この際、第九師団の右には第十三師団を加入させ、その右に第十一師団、
重藤支隊と連接し、第十三師団より右は、依然西面して、敵陣地に対していた。
第百一師団は、戦況の進むに伴って、第三師団の左後方を前進させることにした。》
これは メッセージ 1630 (kir**gotowa**me さん)への返信です.