1937年 杭州湾上陸作戦発案
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/09 17:19 投稿番号: [1634 / 2250]
石原少将の後任にすわった、下村定少将は
気運を醸成して杭州湾上陸作戦案を作成しました。
彼は、石原少将のように穏健派ではありません。
一般に歴史では、軍部には拡大派と不拡大派とがあって、
この両者のせめぎ合いがあったと言われていますが。
この
「拡大派」、 「不拡大派」
という名称は実態を表わしていません。
「不拡大派」
とは、 「まず話し合いで行きましょう」
というグループで、
「拡大派」
とは、そんな甘っちょろい事では駄目だ。
中国人は詭弁・嘘・欺瞞の天才だ。やさしくしてると、騙される。
「まず、ガツーンとやってから、話し合うべきだ」
というグループなのです。
つまり、 「不拡大派」
とは穏健派の事で、今の平和主義者のようなもの、一方で、
「拡大派」
は強硬派ですが、別に戦争を拡大しようとしているわけではありません。
交渉するにしても、どういうアプローチを取るかで異なっていただけです。
現在の餃子事件やコピー品でも明らかなように、こちらが優しくしてると、
ウヤムヤにされますし、尖閣事件のように譲歩すると、
尚でも嵩 (かさ) に掛かってきます。
当時も穏健派が、優しく対処しようとした結果、
戦争にされ、それを拡大されてしまったのです。
だから、戦争を拡大させたのは
「不拡大派」
とも言えます。
下村新第一部長は、事変早期解決のために杭州湾上陸作戦を考えました。
『支那事変作戦日誌』
155pには
《下村新第一部長は、支那事変を始めた以上、敵に対し有効な打撃を与えるまで、
積極的に作戦を遂行すべきであるという思想を抱いていた。
上海の戦況を打解するためには、戦略的に効果の大きい杭州湾上陸作戦を
行う必要のあることを始めから考えていた、と自ら回想している。》
とあります。
これは メッセージ 1632 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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