1938年6月16日 松本氏 船で楊雲竹と遇う1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/10 18:44 投稿番号: [1635 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
中公新書
286〜287p
《 香港にあった西君から、六月十四日附の電報で、
「『四郎』 が希望しているから、すぐ香港へ来てくれ」 とのことであった。
私は、この電報を読んで、
「四郎」(高宗武) が、あるいは東京行きを真剣に考え始め、
それについて私の意見を知りたいのではないかと感じた。
それならば、一切の事務は、一時、棚上げしても、即時、南下すべきだと決意した。
私は、十五日夜上海出発のエンプレス・オヴ・カナダ号に乗船し、香港に向った。
翌朝、朝飯を済ませてから、十時ごろ、デッキを散歩して、 「東シナ海」 の
新鮮な空気を味わっていたところ、走り寄って私に握手を求める夫妻がいる。
「松本さん」 といわれて見ると、思いがけなくも中国の駐日参事官の楊雲竹夫妻である。
「イヤ、これは、奇遇だね、おそろいで。お元気かね。
とにかく、楊君とは、いいところで会えたものだね」 と、私が喜んでいうと、楊君も、
「実は、会いたいと思っていたのだが、今の日中関係では、上海に上陸して、
松本さんに会いに行けば、人目に立ちすぎる。
あなたに会わずして上海を素通りすることは心残りになる。
あなたが同船してくれたのは、天の配剤のようだ。ゆっくり話をしましょうや」 と応える。
話が政治のことに触れてきたので、楊夫人は、辞を設けて、私たちを二人だけにしてくれた。
「香港から漢口へ行くのだろうで 何か重大な使命を帯びてだろう?」 と
尋ねると、楊さんは、「 漢口まで行くのはほんとうだが、僕はくびだよ。
近衛内閣が変な声明を出すものだから、許 (世英) 大使はいち早く去り、
僕一人で東京の大使館を閉めなければならぬというわけで、今まで残務整理に忙殺され、
やっと終えて、これで、お役目済みになったというわけだ。
重大使命なんかを、誰が今の私なんかに頼むでしょう?」 という。
そういわれると、少なからず気の毒に思えた。
「楊君、兄貴ぶったことをいうようだが、お互いに、人生にはいつでも
『晴』 ばかりが続くわけにはゆくまい。しかし、 『到る処、青山あり』 だ。
われわれはまだ三十代じゃないか。元気を出そうや」 といった。
楊雲竹君は、私とは一高・東大での後輩であるが、今は、れっきとした立派な外交官である。
彼が東京で参事官をやっていたころ、私が上京すると、しばしば官邸に招んでくれて、
日中間題について、お互いに開けっ放しの話をし合った間柄であった。
夫人も、たしか東京のどこかの女子医専で勉強しており、
なかなかよく気のつく女性で、日本語も、楊君ほどではないが、
かなり達者になっていた。お互いにデッキの欄干にもたれかかりながら、
ときどき海面を眺めつつ一時間半ばかりの立ち話をした。
「楊君、いったい日本はどうしたらいいのかね。君の率直な意見を聴きたいね。
何もしなければ、両国とも疲れ果てるに定っている。
過去は過去として、これからが問題だ。
盧溝橋事件だって、ほんとの張本人は誰だか判らぬのだが、
はっきり判っているのは、長期戦で苦しむのは、両国の国民だということだ。
何か智恵はないかね」 と水を向けると、楊君は、
「ないことはないよ」 「じゃ、どうすればよいんだ?」
「松本さんは、 『按兵不動』 ということを知らないかね。」
つづく
286〜287p
《 香港にあった西君から、六月十四日附の電報で、
「『四郎』 が希望しているから、すぐ香港へ来てくれ」 とのことであった。
私は、この電報を読んで、
「四郎」(高宗武) が、あるいは東京行きを真剣に考え始め、
それについて私の意見を知りたいのではないかと感じた。
それならば、一切の事務は、一時、棚上げしても、即時、南下すべきだと決意した。
私は、十五日夜上海出発のエンプレス・オヴ・カナダ号に乗船し、香港に向った。
翌朝、朝飯を済ませてから、十時ごろ、デッキを散歩して、 「東シナ海」 の
新鮮な空気を味わっていたところ、走り寄って私に握手を求める夫妻がいる。
「松本さん」 といわれて見ると、思いがけなくも中国の駐日参事官の楊雲竹夫妻である。
「イヤ、これは、奇遇だね、おそろいで。お元気かね。
とにかく、楊君とは、いいところで会えたものだね」 と、私が喜んでいうと、楊君も、
「実は、会いたいと思っていたのだが、今の日中関係では、上海に上陸して、
松本さんに会いに行けば、人目に立ちすぎる。
あなたに会わずして上海を素通りすることは心残りになる。
あなたが同船してくれたのは、天の配剤のようだ。ゆっくり話をしましょうや」 と応える。
話が政治のことに触れてきたので、楊夫人は、辞を設けて、私たちを二人だけにしてくれた。
「香港から漢口へ行くのだろうで 何か重大な使命を帯びてだろう?」 と
尋ねると、楊さんは、「 漢口まで行くのはほんとうだが、僕はくびだよ。
近衛内閣が変な声明を出すものだから、許 (世英) 大使はいち早く去り、
僕一人で東京の大使館を閉めなければならぬというわけで、今まで残務整理に忙殺され、
やっと終えて、これで、お役目済みになったというわけだ。
重大使命なんかを、誰が今の私なんかに頼むでしょう?」 という。
そういわれると、少なからず気の毒に思えた。
「楊君、兄貴ぶったことをいうようだが、お互いに、人生にはいつでも
『晴』 ばかりが続くわけにはゆくまい。しかし、 『到る処、青山あり』 だ。
われわれはまだ三十代じゃないか。元気を出そうや」 といった。
楊雲竹君は、私とは一高・東大での後輩であるが、今は、れっきとした立派な外交官である。
彼が東京で参事官をやっていたころ、私が上京すると、しばしば官邸に招んでくれて、
日中間題について、お互いに開けっ放しの話をし合った間柄であった。
夫人も、たしか東京のどこかの女子医専で勉強しており、
なかなかよく気のつく女性で、日本語も、楊君ほどではないが、
かなり達者になっていた。お互いにデッキの欄干にもたれかかりながら、
ときどき海面を眺めつつ一時間半ばかりの立ち話をした。
「楊君、いったい日本はどうしたらいいのかね。君の率直な意見を聴きたいね。
何もしなければ、両国とも疲れ果てるに定っている。
過去は過去として、これからが問題だ。
盧溝橋事件だって、ほんとの張本人は誰だか判らぬのだが、
はっきり判っているのは、長期戦で苦しむのは、両国の国民だということだ。
何か智恵はないかね」 と水を向けると、楊君は、
「ないことはないよ」 「じゃ、どうすればよいんだ?」
「松本さんは、 『按兵不動』 ということを知らないかね。」
つづく
これは メッセージ 1564 (kir**gotowa**me さん)への返信です.