1938年5月19日もぬけの殻だった徐州
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/04/24 18:42 投稿番号: [1603 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
文春文庫
351〜354p
《 −
五月十九日、
午前四時、立花将校斥候は無事に帰ってきて、
西門付近には
「大ナル敵影ナシ」
と報告した。
つづいて、午前五時ごろ、第二大隊の臥牛山占領の報告がとどいた。
・・・・・
第六十五連隊長両角大佐は、午前七時、
小山子部落で第一大隊長渡辺多粮少佐に命令を下達して進発させ、
午前八時には、臥牛山を攻略した後藤常治少佐の第二大隊にも、
徐州東停車場への進出を命じた。
第一大隊と岩仲戦車隊は、徐州の手前約二キロに接近したが、望見する徐州は、
日本軍の砲撃による黒煙を吹きあげるだけで、応戦している気配がうかがえなかった。
シンと、静まりかえっている様子である。
とにかく行ってみよう、と、第一大隊は戦車隊をはさんで前進したが、
午前八時三十分、徐州市内にすらすらとはいりこんだ。
徐州は、区画整理のために城壁がとりはらわれていたが、
城壁のない中国都市は当時としては異様である。
敵兵の姿も、ない。
砲爆撃で建物はこわれているが、街路は、清掃されたようにきれいである。
住民の影もなく、民家はいずれも無人である。
−
これが徐州か。
−
これが、陥落すれば戦争も終るといわれ、五十個師が死守しているという徐州か。
第二大隊と戦車隊は、文字どおりに
「キツネにつままれた」
気持ちで行進し、
市街のほぼ中央に位置する旧西門にたどりついた。
「江北第一関」
−と、扁額の文字は読める。
第一中隊長高橋義雄中尉が、鉄帽の内側にたたみこんでいた日章旗をとりだし、
民家の障子の桟を旗竿代りにして、楼上にかかげた。
・・・
にわかに砲声と爆撃の轟音がひびいた。
やはりワナか、と両角大佐は、口中のうめき声をかみしめたが、
砲爆撃は、中国軍のものではなく、日本側の攻撃であった。
すでに味方が進出しているとは知らず、城内制圧のための砲撃と
海軍機十八機の空襲がおこなわれたのである。
たちまち、第百四連隊第三大隊に死者二人、重傷者六人の損害が生じ、
第二大隊は伝騎の指示伝達によりひきあげ、第一大隊は中国軍の壕に避難した。
赤布と白布で大型の日章旗を急造して合図し、必死に無電で存在を急報した。
「日本軍、ココニ在リ」
「両角部隊、徐州城内ニ在リ」
砲爆撃はやみ、徐州は
「空き城」
であることが報告されると、
中支那派遣軍司令官畑俊六大将は、打電した。
「十九日九時十分、萩洲部隊ハ徐州ノ一角ヲ占領ス」》
これは メッセージ 1601 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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