中国軍の上海攻撃始まる
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/05/19 18:56 投稿番号: [16 / 2250]
中国は、8月12日に租界の日本人居留区を大軍で包囲し川に船を沈めて戦争体制を整えました。
この時になって、初めて日本の政府内で上海への陸軍派兵の議論がなされます。
しかし、参謀本部の石原第一部長は 「ウン」 と言いません。
海軍戦史叢書『中国方面海軍作戦〈1〉−昭和13年3月まで』316pには
《 8月12日夜、四相会議が開かれ、米内海相が陸軍の上海派兵の方針決定を要求、
各大臣とも異存なく、翌日の閣議に上程することとなった。
ところが散会後、杉山陸相から米内海相あて
「当初の計画時とは著しく変わった状況となったので、出兵については最も慎重に考慮すべきだ」
という意見を参謀本部は述べている旨、通知があった。そして、
13日 早朝 参謀本部第一部長石原莞爾少将が、近藤軍令部第一部長に 「 出兵不同意 」 を表明してきた 》
とあります。
近藤軍令部第一部長は、何とか石原莞爾参謀本部第一部長を説得して、
やっと、この議題を閣議に上程することができました。
そのころ、上海では、
《 午前10:30ごろ商務印書館付近にいた中国軍が日本側陣地に対し突如機銃射撃を浴びせてきた。
我が方は応戦したが、不拡大方針に基づき極力当面の交戦を避けるように努めた。》
とあり、中国は小手調べをやったようです。
一方、日本では、閣議でやっと陸軍の派兵が決定しました。
そこで軍令部は長谷川司令長官に電報します。
《・・・同方面ニ於ケル 作戦上ノ地歩ヲ獲得スル迄 ( 概ネ陸軍主力上陸迄ニテ 動員下令後二十日間 )
ハ爾他ノ各地ニアリテハ ナルベク 武力発動ニ至ラザルヲ 有利トス・・・》
陸軍は下令してから到着まで20日は掛るので、それまではなるべく動くなということです。
向こうはとんでもない大軍、こちらはたったの4千うかつに動けないのは当然です。
そうは言っても相手のあることですから、そうも行きません。
敵は、租界の周囲のどこからでも、攻めて来れるのです。
中国側の資料 ( 8.13淞滬抗戦 劉勁持) には
《 12日 営長の一人が 『租界への出入りは簡単だ。
ピストルを持って日本の司令部の回りを見てきたが、一度もチェックを受けなかった。
今夜あたり進撃をかけてもいいのでないか』
といって、夜が過ぎるのを待った。
13日 正午 88師と租界線をこえて宝山路・四川路などに展開していた、
日本陸戦隊との間で小競り合いが始まり“8.13抗戦”が始まった。》
( 鈴木明著『 新「南京大虐殺」のまぼろし』195pより )
とあります。
16:54 八字橋方面の中国軍が攻撃を開始しました。
ここから、夜とも昼ともない中国側からの攻撃が続き、少人数の陸戦隊は不眠不休の防戦を強いられます。
翌14日午前の閣議で杉山陸相が上海に二個師団を出すことを提案し、決定されました。
陸軍の派遣準備はこれから、なされるわけです。
一方、上海では、14日 十数機編隊の中国空軍が港内外に停泊中の艦船及び陸上要点に爆撃してきました。
(“8.13抗戦”以外は、海軍戦史叢書『中国方面海軍作戦〈1〉−昭和13年3月まで』316p〜317pより)
この時、中国軍機は、上海市外を爆撃し、爆弾はキャセイホテルやパレスホテル等にも落ち、
中国人や西洋人に大量の死傷者を出しました。
この時になって、初めて日本の政府内で上海への陸軍派兵の議論がなされます。
しかし、参謀本部の石原第一部長は 「ウン」 と言いません。
海軍戦史叢書『中国方面海軍作戦〈1〉−昭和13年3月まで』316pには
《 8月12日夜、四相会議が開かれ、米内海相が陸軍の上海派兵の方針決定を要求、
各大臣とも異存なく、翌日の閣議に上程することとなった。
ところが散会後、杉山陸相から米内海相あて
「当初の計画時とは著しく変わった状況となったので、出兵については最も慎重に考慮すべきだ」
という意見を参謀本部は述べている旨、通知があった。そして、
13日 早朝 参謀本部第一部長石原莞爾少将が、近藤軍令部第一部長に 「 出兵不同意 」 を表明してきた 》
とあります。
近藤軍令部第一部長は、何とか石原莞爾参謀本部第一部長を説得して、
やっと、この議題を閣議に上程することができました。
そのころ、上海では、
《 午前10:30ごろ商務印書館付近にいた中国軍が日本側陣地に対し突如機銃射撃を浴びせてきた。
我が方は応戦したが、不拡大方針に基づき極力当面の交戦を避けるように努めた。》
とあり、中国は小手調べをやったようです。
一方、日本では、閣議でやっと陸軍の派兵が決定しました。
そこで軍令部は長谷川司令長官に電報します。
《・・・同方面ニ於ケル 作戦上ノ地歩ヲ獲得スル迄 ( 概ネ陸軍主力上陸迄ニテ 動員下令後二十日間 )
ハ爾他ノ各地ニアリテハ ナルベク 武力発動ニ至ラザルヲ 有利トス・・・》
陸軍は下令してから到着まで20日は掛るので、それまではなるべく動くなということです。
向こうはとんでもない大軍、こちらはたったの4千うかつに動けないのは当然です。
そうは言っても相手のあることですから、そうも行きません。
敵は、租界の周囲のどこからでも、攻めて来れるのです。
中国側の資料 ( 8.13淞滬抗戦 劉勁持) には
《 12日 営長の一人が 『租界への出入りは簡単だ。
ピストルを持って日本の司令部の回りを見てきたが、一度もチェックを受けなかった。
今夜あたり進撃をかけてもいいのでないか』
といって、夜が過ぎるのを待った。
13日 正午 88師と租界線をこえて宝山路・四川路などに展開していた、
日本陸戦隊との間で小競り合いが始まり“8.13抗戦”が始まった。》
( 鈴木明著『 新「南京大虐殺」のまぼろし』195pより )
とあります。
16:54 八字橋方面の中国軍が攻撃を開始しました。
ここから、夜とも昼ともない中国側からの攻撃が続き、少人数の陸戦隊は不眠不休の防戦を強いられます。
翌14日午前の閣議で杉山陸相が上海に二個師団を出すことを提案し、決定されました。
陸軍の派遣準備はこれから、なされるわけです。
一方、上海では、14日 十数機編隊の中国空軍が港内外に停泊中の艦船及び陸上要点に爆撃してきました。
(“8.13抗戦”以外は、海軍戦史叢書『中国方面海軍作戦〈1〉−昭和13年3月まで』316p〜317pより)
この時、中国軍機は、上海市外を爆撃し、爆弾はキャセイホテルやパレスホテル等にも落ち、
中国人や西洋人に大量の死傷者を出しました。
これは メッセージ 15 (kireigotowadame さん)への返信です.