リパルスベイ・ホテルの会合1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/04/03 18:40 投稿番号: [1560 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
中公新書
277〜279p
《 翌朝 (27日)、・・・お互いのひと通りの挨拶が済むと、すぐ本論に入り、
まず高君が漢口での中枢の考え方を、左のとおり説明した。
「十一月上旬、広田外相から日本の和平条件七項目をディルクセン
駐日ドイツ大使が接受し、ベルリンのヒットラーの諒承を得て、
トラウトマン駐華ドイツ大使が、王 (寵恵) 外交部長に日本の意向を伝えたが、
王部長は、蒋介石の意見として、
『中国は国際連盟に提訴してあり、九カ国条約の関係国がブリュッセルで会議中なので、
その結果を見るまでは、日本の条件を考出すべきではない』 との返事をした。
ところがブリュッセル会議の結果は、蒋介石にとっては少なからざる失望となった。
一カ月の時間を空費したことによって、
中国側は、戦況が交渉のためますます不利になったことに気づいた。
トラウトマンは、漢口にて、十一月二十八日孔 (祥煕) 行政院長を、
翌二十九日には王外交部長を訪問し、日本の和平条件を中心に、会談を遂げた。
しかし、蒋介石は当時なお南京に防戦の指揮をとっていたので、トラウトマンは
徐 (謨) 外交部次長を伴って南京に行き、十二月二日に蒋介石と会見した。
それに先だち、徐外交部次長は、ドイツ大使の話を蒋介石に説明したところ、
蒋介石は、すぐ在京の将領たち、顧祝同、白崇禧、唐生智、徐永昌を召集し、
徐次長からドイツを仲介とする日本の和平提案を説明させたが、
白は、 『これだけの条件だとすれば、何のため戦争をしているのか』 とさえいった。
顧は、受諾すべしと述べ、唐も、各人が賛成ならば、異議なしと答えた。
その将領会議が済むと、すぐ午後五時、蒋介石・トラウトマンの会談になった。
蒋は、 『日本は信用できない。しかし、ドイツが終始調停者であるとの条件ならば、
日本の七条件を談判の基礎とすることはよい。
だが、華北の行政主権はどこまでも維持されねばならない。
それで、戦争がこのように激しく行われている最中に、
調停などは成功するはずがないから、ドイツが日本に向って、
まず停戦を行うよう慫慂 (しょうよう) することを希望する』 と述べた。
ト大使は、 『蒋委員長の意向はドイツ政府に伝達することをお約束するが、
もしドイツが日中調停を諒承し、かつ日本も欲するならば、ヒットラー総統から、
中日双方に対しまず停戦すべきことを提唱することもできる』 と答えた。
なお将委員長は、 『もしも日本が日本を戦勝国と考えたり、
日本の条件を中国側がすでに承認したなどと宣伝したりすれば、
談判はできなくなりますよ』 と釘を刺した。
しかしト大使は徐次長に対し、
『今日の会見には希望がもてる』 ともらしたとのことであった。
ついで、汪兆銘は蒋の指示に基き、十二月六日、漢口の中央銀行において、
国防最高会議第五十四次常務委員会を開いた。
会議は徐次長の詳細な報告を聞いたのち、いろいろ意見は出たが、
蒋委員長が提出した条件を附けたうえ、徐次長の報告を承認、議決した。
この会議を主宰したのは、
汪最高国防委員会副主席が蒋主席に代ってやったものであった。
このように諸君に報告するのは、中国側では、トラウトマン大使が取り次いだ
広田外相の和平条件を、だいたいにおいて、受諾するという
和平的方向にあったことを同志諸君に解ってもらいたいためであった。
もう少し日本が忍耐してくれれば、両国は、和平の門口にまで行ったのであった。》
* 『これだけの条件だとすれば、何のため戦争か』 と言うほどの好条件を蹴って
戦争を続けていながら、 「もう少し日本が忍耐してくれれば」 とは
何たる言いぐさだろうか。
中国は何しても許されるのか?
日本は、何しても悪く言われるのか?
つづく
277〜279p
《 翌朝 (27日)、・・・お互いのひと通りの挨拶が済むと、すぐ本論に入り、
まず高君が漢口での中枢の考え方を、左のとおり説明した。
「十一月上旬、広田外相から日本の和平条件七項目をディルクセン
駐日ドイツ大使が接受し、ベルリンのヒットラーの諒承を得て、
トラウトマン駐華ドイツ大使が、王 (寵恵) 外交部長に日本の意向を伝えたが、
王部長は、蒋介石の意見として、
『中国は国際連盟に提訴してあり、九カ国条約の関係国がブリュッセルで会議中なので、
その結果を見るまでは、日本の条件を考出すべきではない』 との返事をした。
ところがブリュッセル会議の結果は、蒋介石にとっては少なからざる失望となった。
一カ月の時間を空費したことによって、
中国側は、戦況が交渉のためますます不利になったことに気づいた。
トラウトマンは、漢口にて、十一月二十八日孔 (祥煕) 行政院長を、
翌二十九日には王外交部長を訪問し、日本の和平条件を中心に、会談を遂げた。
しかし、蒋介石は当時なお南京に防戦の指揮をとっていたので、トラウトマンは
徐 (謨) 外交部次長を伴って南京に行き、十二月二日に蒋介石と会見した。
それに先だち、徐外交部次長は、ドイツ大使の話を蒋介石に説明したところ、
蒋介石は、すぐ在京の将領たち、顧祝同、白崇禧、唐生智、徐永昌を召集し、
徐次長からドイツを仲介とする日本の和平提案を説明させたが、
白は、 『これだけの条件だとすれば、何のため戦争をしているのか』 とさえいった。
顧は、受諾すべしと述べ、唐も、各人が賛成ならば、異議なしと答えた。
その将領会議が済むと、すぐ午後五時、蒋介石・トラウトマンの会談になった。
蒋は、 『日本は信用できない。しかし、ドイツが終始調停者であるとの条件ならば、
日本の七条件を談判の基礎とすることはよい。
だが、華北の行政主権はどこまでも維持されねばならない。
それで、戦争がこのように激しく行われている最中に、
調停などは成功するはずがないから、ドイツが日本に向って、
まず停戦を行うよう慫慂 (しょうよう) することを希望する』 と述べた。
ト大使は、 『蒋委員長の意向はドイツ政府に伝達することをお約束するが、
もしドイツが日中調停を諒承し、かつ日本も欲するならば、ヒットラー総統から、
中日双方に対しまず停戦すべきことを提唱することもできる』 と答えた。
なお将委員長は、 『もしも日本が日本を戦勝国と考えたり、
日本の条件を中国側がすでに承認したなどと宣伝したりすれば、
談判はできなくなりますよ』 と釘を刺した。
しかしト大使は徐次長に対し、
『今日の会見には希望がもてる』 ともらしたとのことであった。
ついで、汪兆銘は蒋の指示に基き、十二月六日、漢口の中央銀行において、
国防最高会議第五十四次常務委員会を開いた。
会議は徐次長の詳細な報告を聞いたのち、いろいろ意見は出たが、
蒋委員長が提出した条件を附けたうえ、徐次長の報告を承認、議決した。
この会議を主宰したのは、
汪最高国防委員会副主席が蒋主席に代ってやったものであった。
このように諸君に報告するのは、中国側では、トラウトマン大使が取り次いだ
広田外相の和平条件を、だいたいにおいて、受諾するという
和平的方向にあったことを同志諸君に解ってもらいたいためであった。
もう少し日本が忍耐してくれれば、両国は、和平の門口にまで行ったのであった。》
* 『これだけの条件だとすれば、何のため戦争か』 と言うほどの好条件を蹴って
戦争を続けていながら、 「もう少し日本が忍耐してくれれば」 とは
何たる言いぐさだろうか。
中国は何しても許されるのか?
日本は、何しても悪く言われるのか?
つづく
これは メッセージ 1556 (kir**gotowa**me さん)への返信です.