3月24日 石井小隊全滅
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/31 15:18 投稿番号: [1554 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
文春文庫
307〜309p
《 支隊長瀬谷少将は、とりあえず
「密電」
情報に適応する処置をとった。
湯恩伯軍の進出が予想される臨城、韓荘間に第十連隊主力をおき、
台児荘には第六十三連隊第二大隊を派遣し、
第十連隊第二大隊を沂州にむかわせて坂本支隊を支援させ、
残りは支隊長がひきいて、やはり湯軍が目標にするとみられる
臨城東方の棗荘に位置するよう、下令した。
−だが、
台児荘には、第二集団軍第三十軍第三十一師が、強力な火砲をそろえて布陣していた。
南は運河に接着しているので、台児荘の城壁は東、北、西の三面だけだが、
周囲は水濠でとりまかれている。
・・・・
三月二十四日
・・・
中国軍は城壁上から機銃を乱射し、手榴弾を乱投する。
死傷者が続出し、後続する兵も阻止され、大隊長安永少佐は後退を命じざるを得なかった。
沂州方面にむかった第十連隊第二大隊も、予想外の苦戦をあじわわねばならなかった。
この日、午後六時ごろ、第二大隊のうち大隊長加村旭少佐が直率する主力は、
トラックで棗荘東方の郭里集に到着した。
東南約二キロの紀官集に派遣した将校斥候石井直好少尉は、
中国軍砲兵将校を捕虜にして帰ってきたが、
捕虜は、紀官集部落にはやがて 湯恩伯軍の第五十二軍第二十五師の
砲兵一団が進出する予定だ、告白した。
「よし、たたいてやろう」
大隊長加村少佐は、第五中隊第三小隊長である石井少尉に夜襲を命令した。
石井小隊四十人は、三月二十五日午前三時、郭里集を出発したが、
その直後に郭里集は約五千人の中国軍部隊に包囲され、
石井小隊も紀官集で少尉をはじめ三十四人を失い、ほぼ全滅した。》
つづく
これは メッセージ 1552 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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