3月5日 松本氏、高宗武と和平を語る2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/15 18:41 投稿番号: [1521 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
中公新書
264〜266p
《「もちろん、読んだよ。 国民政府は対手にしないで、日本と
『真に提携するに足る新興 「支那」 政権の成立発展を期待』 する
というのは、中国のためにも、日本のためにも、いただけないね」
「全くそのとおりだ。冀東政権も、冀察政権も日本の軍の力で作り、
また軍の力でつぶしてしまった。昨年末、北平に出来た 『臨時政府』 だって、
日本が 『真に提携するに足る』 ものに発展すると期待するのが、おかしい。
王克敏だって、娘を君にやろうとまでいって、君の将来を見抜く洞察力をもっている。
その王克敏が傀儡政権でない、それ以上のものを構想しているとすれば、
複雑な事情があることは想像できるが、結局、無理な、できない話だとしか考えられない。
軍部が、被占領地域の行政をやるために、
中国人を狩り出して自治委員会とか、何とか政権とかを作らせ、
青天白日旗の代りに五色旗を復活掲揚せしめたりしても、
所詮、うまくゆかないに定っている。
占領軍たる日本軍が強力な支持を与えても、新政権の発展は、本質において、
中国民族主義 (ナショナリズム) の昂揚を無視するもので、歴史に逆行するのではないか。
私の忖度 (そんたく) ではあるが、一月十六日の声明は、
北平からの要望に対し誤って応えたものだと思われる節がある。
昨年末、上海で特務機関をやっている塩沢 (清宜) 陸軍大佐が私のアパートに来て、
私に語ったところによれば、日本がトラウトマンの仲介に飛びついたり、
国民政府との直接交渉を期待する限り、王克敏の周りには有力な人が集まらない。
いつ逆賊にされるか判らぬからだ、と王克敏がこぼしている、と聞いたよ。
『そこで、僕 (塩沢) は東京に行って、蒋介石政権との一切の交渉関係を断たせてくる。
そうすれば、王克敏だって、しゃんとなるだろうと思う』 といっていた。
私は、塩沢大佐に対し、 『王克敏のいっていることはほんとうに違いないが、
蒋介石政権との交渉関係を断てば、それで、すぐさま王克敏の政権が
中国人民の眼に堂々たる政権として映るようにはなりそうにはないと心配しているよ』
というと、 『軍は大幅の権力を王克敏政権に与えてあるし、蒋と絶縁すれば、
自然、中国の人材が集まるに定っている。君の心配もさることながら、
のるかそるか判らぬが、やってみる決心だよ』 といって東京へ発って行った。
その後三週間ほど経つと、例の声明となってしまった。
僕も声明の全文を幾度か読み直し、塩沢大佐の話を思い合せると、
北平の中華民国臨時政府に対し、日本政府が、期待すべからざる期待を寄せたために、
あの声明となったとしか考えられない。
私の考えたとおり、あれから一カ月半、北平では、これというほどの進展はないようだ。
当り前のことだ。そうなれば、考え直さなければならぬのは、東京であり、
近衛総理だということになる。
だから、半年か一年も経たぬうちに、北平への配慮から全局の把握を失ったという、
誤った考え方への反省が、聡明な近衛さんには起ってくるのではないか。
しかし、それが政府の国策としての転換となるには、
今すぐにはいかず、数カ月を要するだろう」 と高君に説明した。
「シゲちゃん、実によく判るよ。もっと話を続けたいが、ここは寒々とした部屋で、
もう二時間も二人で坐っているので、お互いに風邪を引いたらだめだ。
また、三、四日したら電話をかけるから、僕が香港に帰るまでに、
いま一度会いたいね」 「よかろう」といって、別れた。》
つづく
* 松本氏の言葉に 「冀察政権も日本の軍の力で作り」 とあるが、
これは松本氏の勘違い。
「冀察政権」 は中国南京政府が創ったもの。
日本側が宋哲元に働きかけていたので、中国側が先手を打って作り、
宋哲元をトップに据えた。
264〜266p
《「もちろん、読んだよ。 国民政府は対手にしないで、日本と
『真に提携するに足る新興 「支那」 政権の成立発展を期待』 する
というのは、中国のためにも、日本のためにも、いただけないね」
「全くそのとおりだ。冀東政権も、冀察政権も日本の軍の力で作り、
また軍の力でつぶしてしまった。昨年末、北平に出来た 『臨時政府』 だって、
日本が 『真に提携するに足る』 ものに発展すると期待するのが、おかしい。
王克敏だって、娘を君にやろうとまでいって、君の将来を見抜く洞察力をもっている。
その王克敏が傀儡政権でない、それ以上のものを構想しているとすれば、
複雑な事情があることは想像できるが、結局、無理な、できない話だとしか考えられない。
軍部が、被占領地域の行政をやるために、
中国人を狩り出して自治委員会とか、何とか政権とかを作らせ、
青天白日旗の代りに五色旗を復活掲揚せしめたりしても、
所詮、うまくゆかないに定っている。
占領軍たる日本軍が強力な支持を与えても、新政権の発展は、本質において、
中国民族主義 (ナショナリズム) の昂揚を無視するもので、歴史に逆行するのではないか。
私の忖度 (そんたく) ではあるが、一月十六日の声明は、
北平からの要望に対し誤って応えたものだと思われる節がある。
昨年末、上海で特務機関をやっている塩沢 (清宜) 陸軍大佐が私のアパートに来て、
私に語ったところによれば、日本がトラウトマンの仲介に飛びついたり、
国民政府との直接交渉を期待する限り、王克敏の周りには有力な人が集まらない。
いつ逆賊にされるか判らぬからだ、と王克敏がこぼしている、と聞いたよ。
『そこで、僕 (塩沢) は東京に行って、蒋介石政権との一切の交渉関係を断たせてくる。
そうすれば、王克敏だって、しゃんとなるだろうと思う』 といっていた。
私は、塩沢大佐に対し、 『王克敏のいっていることはほんとうに違いないが、
蒋介石政権との交渉関係を断てば、それで、すぐさま王克敏の政権が
中国人民の眼に堂々たる政権として映るようにはなりそうにはないと心配しているよ』
というと、 『軍は大幅の権力を王克敏政権に与えてあるし、蒋と絶縁すれば、
自然、中国の人材が集まるに定っている。君の心配もさることながら、
のるかそるか判らぬが、やってみる決心だよ』 といって東京へ発って行った。
その後三週間ほど経つと、例の声明となってしまった。
僕も声明の全文を幾度か読み直し、塩沢大佐の話を思い合せると、
北平の中華民国臨時政府に対し、日本政府が、期待すべからざる期待を寄せたために、
あの声明となったとしか考えられない。
私の考えたとおり、あれから一カ月半、北平では、これというほどの進展はないようだ。
当り前のことだ。そうなれば、考え直さなければならぬのは、東京であり、
近衛総理だということになる。
だから、半年か一年も経たぬうちに、北平への配慮から全局の把握を失ったという、
誤った考え方への反省が、聡明な近衛さんには起ってくるのではないか。
しかし、それが政府の国策としての転換となるには、
今すぐにはいかず、数カ月を要するだろう」 と高君に説明した。
「シゲちゃん、実によく判るよ。もっと話を続けたいが、ここは寒々とした部屋で、
もう二時間も二人で坐っているので、お互いに風邪を引いたらだめだ。
また、三、四日したら電話をかけるから、僕が香港に帰るまでに、
いま一度会いたいね」 「よかろう」といって、別れた。》
つづく
* 松本氏の言葉に 「冀察政権も日本の軍の力で作り」 とあるが、
これは松本氏の勘違い。
「冀察政権」 は中国南京政府が創ったもの。
日本側が宋哲元に働きかけていたので、中国側が先手を打って作り、
宋哲元をトップに据えた。
これは メッセージ 1519 (kir**gotowa**me さん)への返信です.