盧溝橋事件4 新聞に嘘を書く林耕宇
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/01 18:41 投稿番号: [1493 / 2250]
《 軍使一行は北京に行く事になりましたが、城門には土嚢が積まれていて
出られません。そこでロープを伝って城壁から降りる事にしました。
ところが、そこに米人記者エドガー・スノーが来ていて、この光景を写真に
撮っていました。 そこで一行は、スノーの車を借りて北京に行く事にしました。
米国国旗がついているので、両方の攻撃を受けないで済むからです。
北京に着いた、寺平補佐官は秦徳純市長を捜しましたが、なかなか捉まりません。
やっと捉まえて、交渉しても埒があきませんでした。
中国側は
「中国軍が永定河の西に移動する」
事を、
「日本が東側を盗る」
と考えているのです。
寺平補佐官は
「私が言ってるのは、永久駐屯とか何かじゃなくて、
今の事件を丸く納める為の一時的措置なんです」
と言ってるのに、
グズッてなかなか進みません。
スッタモンダの挙句、秦市長は
「一応、皆と相談してみます」
と
言って、会議室に消えました。
その時突然、林耕宇が彼の主宰する新聞、亜州日報を差し出したのです。
「寺平さん、もう今日の記事と写真ができましたよ。早いでしょう」
「ほほう、これが私の宛平城乗り越えの写真か、…」
「何だって?
至今晨四時許
到達宛平県署
寺平仍堅持日軍須入城捜査
…、
林さん!これだとまるで日本軍が勝手に戦争を始めたようじゃないか。
これが君の筆だとすると、私の方にも文句があるぞ。
私がいつ城内の捜査を要求したんだ?…」
「イヤ、これはその、実情を知らない記者が書いたんで、…」
と
にわかに狼狽し始めた。
「宛平城内の状況を知っているのは、林さんしかいないじゃないか…」
林耕宇は、いろいろ弁解しましたが、結局、この記事は訂正されることなく、
現在も、中国側に、盧溝橋事件の原因として利用されています。
二、三十分して、秦市長は戻って来、
「まだ時間がかかる。午前三時頃までには、ご返事できます」
と言って、
寺平補佐官達を帰らせました。
ところが、午前一時ごろ張允栄がもうやってきて、次のことを言ったのです。
「死傷者の手当て、整理の為に、七、八十名の兵を残して欲しい。
次に部隊が撤退してしまうと、治安の維持をする者がいなくなってしまうので、
代わりに北京から五百名の保安隊を入れたい」
と。
寺平補佐官は、停戦をする為に、一時的に兵を別けるだけ、と言っているのに、
こういう事を言って、話をややこしくするわけです。
つづく
これは メッセージ 1491 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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