事件を企む怪しい学生達
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/02/21 18:47 投稿番号: [1472 / 2250]
児島襄著
『日中戦争3』
文春文庫
376〜378p
《
−
六月二十三日、
通州方面から中国服姿の若者が三々五々といった形で、次々に北京市内にはいってきた。
似たような雰囲気の青年たちで、どうやら二、三百人のグループであるらしい。
巡警が数人に不審訊問をこころみると、いずれも大学生だとこたえた。
ただし、大学はそれぞれにちがい、
燕京大学、清華大学、東北大学、輔仁大学などの名をあげた。
そして、その主張どおりに、青年たちは以上の大学付近にむかい、
民家にはいったり、街をぶらついたりしていた。
どうも、おかしい
−
というので、報告をうけた北京市長秦徳純は、
公安局長陳継淹に調査を命じた。
公安局長が二、三人を連行して取調べすると、その一人が不穏な計画を自供した。
「われわれは大学生だが、共産主義者ということになっている」
六月二十六、二十七、二十八日のうち、風向きの良い夜をえらび、
西直門付近で放火、暴動を起し、 「打倒宋哲元」 「歓迎紅軍北上」
を
市民に呼びかける計画だ、という。
当人が自白したアジトを捜索すると、拳銃、機関銃、赤旗、宣伝ビラ
その他の証拠品が発見された。
公安局は、ただちに
「不穏青年」
たちの検挙を開始し、
北京市内に潜入した大部を捕え、一部は逃亡した。
以上
−
は、中国紙
『港報』
がつたえる事件の概要である。
・・・
暴動計画の実行日とみられる六月二十六日から、
北京市内には夜間特別警戒が施行された。
事件は極秘にされ、特別警戒の理由も公表されなかったので、
かえって流言と蜚語の勢いを増した。
だが、 「青年学生的便衣隊」
のほとんどが事前に逮捕されたためか、
暴発の予定日と告白された二十六、二十七、二十八日は、いずれも無事にすぎた。
その翌日、六月二十九日、駐支大使川越茂が帰任し、上海で記者会見をおこない、
日中両国の親善を強調したが、とくに次のように言明した。
「日本の発展と中国の発展とにより、あるいは摩擦を生ずることも考えられるが、
日本は戦争を欲しておらず、中国もまた同じであろうと信ずる」
日本は戦争を欲せず
―
という、この川越声明は、中国側に歓迎され、
蒋介石にも安堵感をあたえた。
蒋介石は、それまでに、あるいはドイツにたいして
「軽戦車百二十輌、十五センチ加農
(カノン)
砲八門」
の追加注文をおこない、
米国に経済援助をもとめ、さらには山東省主席韓復腧と青島市長沈鴻烈に
防備を促進するよう指示していた。》
つづく
これは メッセージ 1470 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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