陸軍派遣要請は却下される
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/05/17 17:44 投稿番号: [14 / 2250]
8月9日に揚子江上流より、漢口の海軍陸戦隊が避難民を護衛して上海に引き揚げて来ました。
また、この日は大幅に譲歩した和平案でもって、中国と和平会談をする日でした。
この日の夕方、大山中尉が、碑坊路 ( 越界路 ) に進出して来た中国保安隊に虐殺されたため、和平の話し合いは壊れました。
現地駐留の第三艦隊司令長官長谷川清中将は 9日
上海の危険な現状を報告し
「現在ノ 上海特別陸戦隊 及 艦船陸戦隊 ノ全力ヲ以テスルモ 租界警備上
兵力不足ヲ 感ズルニ至レルヲ以テ、 約五個大隊ノ兵力増援 必要ナリト認ム」
として、陸戦隊の増援と先遣陸軍部隊の派遣を具申しました。
ところが、米内海相は、外交措置に望みをかけ、陸軍派兵はしばらく待ちたいと軍令部に伝えました。
それは、第三艦隊に返電されます。ただし、海軍陸戦隊の増派だけは承認されました。
官房機密第六八一番電
目下外交交渉中ニシテ 最モ慎重ヲ要スル時機 ニテモアリ、・・・
陸軍ノ派兵ニハ 相当ノ時日ヲ要スル ノミナラズ、
我ガ方ヨリ 攻撃ヲ開始セザル限リ 支那側ヨリ攻撃セザル 中央政府ノ意向ナル旨ノ
特情報モアル 次第ナルヲ考慮シ・・・事態ヲ 急速 破局ニ 導カシメザル様 致シ度
( 海軍戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉 −昭和13年3月まで』 310〜314p )
この期に及んでもなお、外交に期待し、陸軍の派兵は躊躇されていたのです。
おまけに、「日本から手出ししなければ、中国からは手出ししない」 という、間違った認識を抱いて。
これまでの歴史を見れば、何度、先に攻撃されたか、盧溝橋事件もそうでした。
にもかかわらず、中国側の先制攻撃は 何故か 記憶から消え、どういうわけか、
日本が先に手出しして戦争になったかのように、記憶に刷り込まれるのです。
まるで、今の平和主義者のように。
この認識はまもなく、現実によって、覆されます。
しかしながら、こういう、現実に何度直面しようとも、なぜか、
日本が先にしかけたという刷り込みに戻り、日本人の頭に定着していきます。
あるTV番組で、赤い服を着た、女性が戦争でなく話し合いでと主張し、
別の人が、あんたらのは 「お前ら言う事を聞かないと、話し合うぞ」
と云うようなものと茶化していました。
こういう人たちは、話し合えばいいと言いますが、当時の日本も話し合おうとしていたのです。
ただ、相手にその気がなかっただけですけど。
相手に話し合う気がなければ、戦争準備の時間を与えるだけです。
この時、上海にいた海軍陸戦隊は、引き上げてきた漢口陸戦隊を含めてたったの2500名でした。
なお、陸軍の方では、参謀本部の石原第一部長が、8月10日に、
「陸軍の派兵は北支だけにとどめ、上海、青島方面は海軍で担当することを強く主張、同席の梅津陸軍次官もこれに同意した」
と ( 陸軍戦史叢書『支那事変1』259p ) に書いてあります。
要するに、陸軍も、上海に派遣する気はなかったのです。
これで、上海に危険が近づきます。
また、この日は大幅に譲歩した和平案でもって、中国と和平会談をする日でした。
この日の夕方、大山中尉が、碑坊路 ( 越界路 ) に進出して来た中国保安隊に虐殺されたため、和平の話し合いは壊れました。
現地駐留の第三艦隊司令長官長谷川清中将は 9日
上海の危険な現状を報告し
「現在ノ 上海特別陸戦隊 及 艦船陸戦隊 ノ全力ヲ以テスルモ 租界警備上
兵力不足ヲ 感ズルニ至レルヲ以テ、 約五個大隊ノ兵力増援 必要ナリト認ム」
として、陸戦隊の増援と先遣陸軍部隊の派遣を具申しました。
ところが、米内海相は、外交措置に望みをかけ、陸軍派兵はしばらく待ちたいと軍令部に伝えました。
それは、第三艦隊に返電されます。ただし、海軍陸戦隊の増派だけは承認されました。
官房機密第六八一番電
目下外交交渉中ニシテ 最モ慎重ヲ要スル時機 ニテモアリ、・・・
陸軍ノ派兵ニハ 相当ノ時日ヲ要スル ノミナラズ、
我ガ方ヨリ 攻撃ヲ開始セザル限リ 支那側ヨリ攻撃セザル 中央政府ノ意向ナル旨ノ
特情報モアル 次第ナルヲ考慮シ・・・事態ヲ 急速 破局ニ 導カシメザル様 致シ度
( 海軍戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉 −昭和13年3月まで』 310〜314p )
この期に及んでもなお、外交に期待し、陸軍の派兵は躊躇されていたのです。
おまけに、「日本から手出ししなければ、中国からは手出ししない」 という、間違った認識を抱いて。
これまでの歴史を見れば、何度、先に攻撃されたか、盧溝橋事件もそうでした。
にもかかわらず、中国側の先制攻撃は 何故か 記憶から消え、どういうわけか、
日本が先に手出しして戦争になったかのように、記憶に刷り込まれるのです。
まるで、今の平和主義者のように。
この認識はまもなく、現実によって、覆されます。
しかしながら、こういう、現実に何度直面しようとも、なぜか、
日本が先にしかけたという刷り込みに戻り、日本人の頭に定着していきます。
あるTV番組で、赤い服を着た、女性が戦争でなく話し合いでと主張し、
別の人が、あんたらのは 「お前ら言う事を聞かないと、話し合うぞ」
と云うようなものと茶化していました。
こういう人たちは、話し合えばいいと言いますが、当時の日本も話し合おうとしていたのです。
ただ、相手にその気がなかっただけですけど。
相手に話し合う気がなければ、戦争準備の時間を与えるだけです。
この時、上海にいた海軍陸戦隊は、引き上げてきた漢口陸戦隊を含めてたったの2500名でした。
なお、陸軍の方では、参謀本部の石原第一部長が、8月10日に、
「陸軍の派兵は北支だけにとどめ、上海、青島方面は海軍で担当することを強く主張、同席の梅津陸軍次官もこれに同意した」
と ( 陸軍戦史叢書『支那事変1』259p ) に書いてあります。
要するに、陸軍も、上海に派遣する気はなかったのです。
これで、上海に危険が近づきます。
これは メッセージ 13 (kireigotowadame さん)への返信です.