入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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大山中尉惨殺される

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/05/16 17:42 投稿番号: [13 / 2250]
盧溝橋事件が起こると、蒋介石は本格的に戦争準備を始めました。

上海の外側の非武装地帯に、ドイツ軍将校指導の下、トーチカを築き、
上海から南京に至る途中には防御線をしきました。

その上で、上海の外側に、遠巻きに保安隊を配置し、徐々に包囲網を狭めていたのです。


戦争を察知した中国人が大勢フランス租界へ避難している写真が、毎日新聞社刊
『大日本帝国の戦争2   太平洋戦争1937〜1945』 の12p に8月6日づけで載っています。


同じ8月6日、同盟通信上海支局長の松本重治氏は保安隊に遭遇しました。
松本氏は、いつものように、夕刻、スコット路の北方二、三キロの道路を、愛馬ポニーで走っていたら、

「中国保安隊員数人がおのおの手榴弾二つを胸にかけ、剣附鉄砲で、これより以北は、まかりならぬと指示した。
それではと、少し廻れ右しながら北方へ斜めに走らせようとすると、また、保安隊員がいる。

上海北辺には保安隊が最近増加したとは聞いていたが、上海を包囲する恰好で、
包囲圏を圧縮しているという陣形の気配が明瞭に看取された。

私は、自分の乗馬による散歩通がだんだんと圧縮されたのに、多少は憤慨もしたが、
それよりも、今までは保安隊がいなかったのに、こんなところまでに、やってきたし、

その背後には中央軍が近接しつつあるものと感じ、すべては中国側の対戦準備の一環ではないかと悟って、そのことをすぐ東京に打電した。」(上海時代・下190〜191p)


とあります。しかしながら、保安隊に遭遇したのは彼だけではありません。


当時、上海の海軍陸戦隊本部にいた小川貞二さんは南西の方で遭遇しています。
彼はサイドカー運転員に誘われて越界路をドライブしていたら、

「突然、目の前に掘っ建て小屋が現れ、哨兵が小銃を構えて停止を求めました。
  シマッタ。これは大変なことになったと思いました。

車も止めて極力冷静に落ち着きを装い、とっさの機転でメモを取り出しました。
「東亜同文書院(大学)へ行く途中だが、どの方向か」 と筆談を試みました。

哨兵はなんら疑う様子もなく指差して、「左の道を行け」 と指示してくれました。
ヤレヤレ助かった。・・・猛スピードで飛ばしてフランス租界に入り、

共同租界を経て虹口地区(日本人居留地)へ入り安堵しました。
本部へ帰った後も知らん顔で、二人とも 「口外しない」「他言しない」 と約束して別れました。」


と 『正論』 2001年6月号の 「編集者へ」 に投稿され、大山中尉の死には自分も関係があると述べられています。


大山中尉はそんなこととは知らず、同じ場所を車で通り惨殺されました。
車は機銃で蜂の巣になっていました。

屍体検案書では

大山勇夫
  「頭蓋粉砕骨折、左前胸部刺殺傷、左前胸部射傷、左腰部盲管銃創、左腹壁ニ鉛弾ヲ蔵ス」
斉藤与蔵
  「顔面挫傷、右頭頂部複雑骨折、後頭部貫通射傷、肋骨骨折」

とあり 『日中戦争4 』67pには

「大山中尉は拳銃をもたず、斉藤水兵はホルスターに入れていたが、発砲のひまなく射殺された。

  二人の死体には、検案書以外にも傷があり、大山中尉の場合は、腰部の盲管銃創をうけて
車外に倒れたところを、銃剣で胸を刺し、大刀で頭を割ったらしい。
「脳漿は全部出てしまい、心臓部に拳大の穴があいていた」

斉藤水兵の頭部貫通銃創は、即死をもたらしたとみられ、したがって、顔面、頭部の
挫傷と骨折は、死体をひきずりだし銃床をたたきつけたものと、推定された。」

とあります。

東中野修道著『南京虐殺の徹底検証』24pは簡単に
  「頭部は二つに切り割られ、顔半分は全く潰され、内蔵を露出し、心臓部に拳大の穴をあける」

などの暴行を受けていた。   と書いています。

この残虐な事件で、この日の和平会談はぶち壊しになりました。
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