議定書「群民兵」解釈。
投稿者: ahuramazda1945 投稿日時: 2004/12/13 01:07 投稿番号: [59531 / 118550]
議定書によってジュネーブ条約後に、さらに戦闘員として扱われることになった「交戦適格者」は「群民兵」として規定されており、特殊な部類とされております。「群民兵(levy en masse)に参加している者、即ち、占領されていない地域の住民が敵の接近に伴い、自らを編成する余裕がなく、侵攻と戦うために自発的に武器をとる者。ただし、それらの者が武器を公然と携行し、かつ、戦争の法規慣例を尊重する場合に限る。」について考察します。
「群民兵」の規定は、「占領されてない地域の住民が・・」となってます。その意味するところは、その主権国家が交戦権の行使中であろうと、敵軍にいったん占領された地域の住民は、群民兵として戦闘行為をしてはならないという意味と解釈できます。
なぜならば、「占領されていない地域の住民が」と書く必要はなく、「交戦国国内の住民が」という文言であるはずです。
「戦争法規」の根底に流れる精神として、いかに民間人の被害を軽減するかについて腐心されております。議定書を含む広義の戦時国際法は、占領軍に占領されている地域で、住民が戦闘行為を働けば、民間人に被害が及んでしまいます。だから、その戦闘行為は正当なものとして認めないという思想として規定されました。
だから、国際的には「イラク全土が被占領地域」となっている現在、占領軍に戦闘を挑むということは、以前からの戦時国際法は勿論のこと、この議定書でも、正当な行為としては認めてはいないのです。現在でのイラク国内での、住民による戦闘行為はすべて違法であり、この行為に参加して、捕らえられたもには、捕虜になる資格はないのです。
※群民蜂起は単独個人の抗敵には適用されないという解釈が一般的で、条約文に「占領せられざる地方の人民」とありますが、人民の仏文は”La population"、英文”The inhabitants"と集団である事が前提とされています。「群民」とされているのはその為です)
これをイラクの状況に当てはめてみると、昨年春、イラク南部では米軍がたいした抵抗もなく進撃を続けている。けれど、まだ、バグダッドには統治者のフセインも健在と見られている。イラク共和国という国家もまだ曲がりなりにも存在している。そういった状態の中で、その近辺の、まだ米軍に占領されてない地域の住民たちが、自分たちで自発的に群民兵になる、つまり「群民兵」というものを、この議定書は想定しているのです。
「群民兵」というものを考えるに当たって、国家の存在がなぜ必要か?「戦闘」というものは、他人の財産を破損するだけでなく、他人を殺傷することです。そのような行為に「違法性を阻却させる」ということは、たいへんなことです。戦争という行為は、そのような大変なことをあえて一定のルール化のもと認め、許しているのです。そのような行為は「主権国家」にしか許されず、個人及び個人組織にそのような行為を認めていないとしか考えられません。
特定地域で、地域住民の圧倒多数を信者にしている宗教団体であろうと、別の種類の組織団体であろうと、国家主権の意思とは関係ないという状態で、いかに、戦時国際法に通暁している人を指揮官にし、標識を備え、公然と武器を所持していようと、そのような集団や団体に、社会が、「戦闘する権利」を認めるということはあり得ません。
主権国家が存在しておれば、現実には、その国家と、「決起する武装組織」との間に、連絡がなかったとしても、その武装組織は、その主権国家防衛のために戦闘行為に乗り出すわけですから、国家の意向にそった行動と捉えることができます。
そのようなことから、「群民兵」をも、「戦闘する権利」、また「捕虜にもなれる権利」を持つものとして、この条項は認めているのだと解釈できます。
つまり、イラク共和国というものが、主権を失った時点から、元イラク共和国領域内の住民には、どのような組織・団体であろうと、「国の交戦権」の行使を代行出来るものは存在しないと解釈します。
当然、「捕虜になる資格」を持ったものはいないということです。
「群民兵」の規定は、「占領されてない地域の住民が・・」となってます。その意味するところは、その主権国家が交戦権の行使中であろうと、敵軍にいったん占領された地域の住民は、群民兵として戦闘行為をしてはならないという意味と解釈できます。
なぜならば、「占領されていない地域の住民が」と書く必要はなく、「交戦国国内の住民が」という文言であるはずです。
「戦争法規」の根底に流れる精神として、いかに民間人の被害を軽減するかについて腐心されております。議定書を含む広義の戦時国際法は、占領軍に占領されている地域で、住民が戦闘行為を働けば、民間人に被害が及んでしまいます。だから、その戦闘行為は正当なものとして認めないという思想として規定されました。
だから、国際的には「イラク全土が被占領地域」となっている現在、占領軍に戦闘を挑むということは、以前からの戦時国際法は勿論のこと、この議定書でも、正当な行為としては認めてはいないのです。現在でのイラク国内での、住民による戦闘行為はすべて違法であり、この行為に参加して、捕らえられたもには、捕虜になる資格はないのです。
※群民蜂起は単独個人の抗敵には適用されないという解釈が一般的で、条約文に「占領せられざる地方の人民」とありますが、人民の仏文は”La population"、英文”The inhabitants"と集団である事が前提とされています。「群民」とされているのはその為です)
これをイラクの状況に当てはめてみると、昨年春、イラク南部では米軍がたいした抵抗もなく進撃を続けている。けれど、まだ、バグダッドには統治者のフセインも健在と見られている。イラク共和国という国家もまだ曲がりなりにも存在している。そういった状態の中で、その近辺の、まだ米軍に占領されてない地域の住民たちが、自分たちで自発的に群民兵になる、つまり「群民兵」というものを、この議定書は想定しているのです。
「群民兵」というものを考えるに当たって、国家の存在がなぜ必要か?「戦闘」というものは、他人の財産を破損するだけでなく、他人を殺傷することです。そのような行為に「違法性を阻却させる」ということは、たいへんなことです。戦争という行為は、そのような大変なことをあえて一定のルール化のもと認め、許しているのです。そのような行為は「主権国家」にしか許されず、個人及び個人組織にそのような行為を認めていないとしか考えられません。
特定地域で、地域住民の圧倒多数を信者にしている宗教団体であろうと、別の種類の組織団体であろうと、国家主権の意思とは関係ないという状態で、いかに、戦時国際法に通暁している人を指揮官にし、標識を備え、公然と武器を所持していようと、そのような集団や団体に、社会が、「戦闘する権利」を認めるということはあり得ません。
主権国家が存在しておれば、現実には、その国家と、「決起する武装組織」との間に、連絡がなかったとしても、その武装組織は、その主権国家防衛のために戦闘行為に乗り出すわけですから、国家の意向にそった行動と捉えることができます。
そのようなことから、「群民兵」をも、「戦闘する権利」、また「捕虜にもなれる権利」を持つものとして、この条項は認めているのだと解釈できます。
つまり、イラク共和国というものが、主権を失った時点から、元イラク共和国領域内の住民には、どのような組織・団体であろうと、「国の交戦権」の行使を代行出来るものは存在しないと解釈します。
当然、「捕虜になる資格」を持ったものはいないということです。
これは メッセージ 59393 (zakgokzugok0081 さん)への返信です.
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