Re: 本文が読めるという自信過剰も
投稿者: cobapics0506z 投稿日時: 2006/05/26 23:33 投稿番号: [55538 / 66577]
横口ですが。
以下は、トカゲ氏の投稿です。で、僕は今君の所謂(確度の高い推測)を問題にします。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=55482
「第一章 中国の自然と人間
一 地理的孤立性
中国の歴史を語る前に、まず歴史の演ぜられる舞台である土地にざっと目をむけて見よう。その舞台となる中国の土地であるが、中国の政治的版図は事態によって広さが変わっているので・・・
それは南はヒマラヤ山脈、西はパミール高原、北はアルタイ山脈によって囲まれ、黄海、東シナ海、南シナ海に至る一体の土地である。
・・・・・・・
地理的一から来る孤立性は、中国の文明、したがって中国の民族性に深い影響をあたえずにはおかなかった。」
貝塚茂樹は中国の孤立性から論を書き起こしている。
しかし、プーハオは中央公論社版の同じ本を読んだ。全く中身は同じだが、孤立性など書いていないと主張した。<
このような引用の仕方は、どこまで【冒頭】だといえるのか?
【冒頭】といえば、誰でも認められる「冒頭」でなければならない。最低でも議論の両者(トカゲとにーはう両氏)が、それが「冒頭」だという共通の認識が必要だと思います。
そうでなければ、ずれてしまう可能性がある。
トカゲ氏の「ヨミ」をさておいて、この【冒頭】というのは、どこまで認められるか、疑問です。
例えば、書き出しの行から10行といえば、あっ、そうかと納得する場合もし、逆に8行目以降は【冒頭】とはいえないと主張する場合も考えられる。或は序の部分一括【冒頭】と主張する人も・・・様々な要素も考えられよう。
文章の長短もあろう、統一の見解はあるか?
要は、本をさえ紐解けば、誰でも一目で確認できる所であれば、いい逃しが効かなくなる。
では、とかげ氏の引用は、前後「・・・」という省略が挟んでいる。この「・・・」なるところの長さ(行数)について、少なくとも我々は現在、確認できない。前の「・・・」によって50行を省略したかもしれないし、1、2行しか省略されていない可能性も、後の「・・・」も同様に考えられる。
では、トカゲ氏の引用は、【冒頭】部分といえるのだろうか?確認の仕立てがないから、現在は、なんともいえない。
さて、キミの(確度の高い推測)へ行きましょう。
>1.<冒頭に書いてある部分>を<書いてないと主張>しているんだから、ニーハオは間違いなくこの部分を読んでない。(事実)
にーはう氏は、<冒頭に書いてある部分>を、【冒頭】だと認めなければ、<書いてないと主張>出来るようになる。どうしてできないか?
よって、キミのいう事実が崩れる。事実にならない。
(にーはう氏はこの部分を【冒頭】だと認める場合のみ、キミの推測があたるかもしれない)
>2.冒頭の重要な導入部分を読んでいないということは、著者の主張内容を正しく読むことはできていないということ。(事実)
>3.読んだとしても、適当な拾い読みで、本質的には読んでいないということだ。
問題にしなくても可と考える。
>4.傍証:「記述の所在を示しての確認に対し、返答できず、消えてしまった」ということは、明らかに不自然である。本当にないのであれば、冒頭の部分をすこし長くなっても書き出して「ない」ことを示せばよいだけ。
したがって、この状況での「消えた」ということは「回答できなかった」と言うことであり<
この辺は、単なる推測の域を出ない。
先言ったように、出処を示し確認できるが、果たしてそれは「冒頭」であるかどうか、確認できない。よって、あたらな議論が出る。(冗談じゃない、キミは冒頭だと言ったのに、あれはとてもじゃないが冒頭とはいえないよなど)、回答を放棄しても可と考えられる。
>最大のポイントは「記述があるのか、ないのか」である。これは論争ではなく、事実確認の内容である。「ある」のか「ないのか」である。ニーハオは自分の所持している本にその記述が「あるのか、ないのか」を答えればよいだけの話である。<
これはキミの自身過剰だといっていいな。【冒頭】であると認められる限り、「記述があるのか、ないのか」というポイントが絞られる。【冒頭】と認められなければ、「あるなし」の事実確認事項でなくなる。
以下は、トカゲ氏の投稿です。で、僕は今君の所謂(確度の高い推測)を問題にします。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=55482
「第一章 中国の自然と人間
一 地理的孤立性
中国の歴史を語る前に、まず歴史の演ぜられる舞台である土地にざっと目をむけて見よう。その舞台となる中国の土地であるが、中国の政治的版図は事態によって広さが変わっているので・・・
それは南はヒマラヤ山脈、西はパミール高原、北はアルタイ山脈によって囲まれ、黄海、東シナ海、南シナ海に至る一体の土地である。
・・・・・・・
地理的一から来る孤立性は、中国の文明、したがって中国の民族性に深い影響をあたえずにはおかなかった。」
貝塚茂樹は中国の孤立性から論を書き起こしている。
しかし、プーハオは中央公論社版の同じ本を読んだ。全く中身は同じだが、孤立性など書いていないと主張した。<
このような引用の仕方は、どこまで【冒頭】だといえるのか?
【冒頭】といえば、誰でも認められる「冒頭」でなければならない。最低でも議論の両者(トカゲとにーはう両氏)が、それが「冒頭」だという共通の認識が必要だと思います。
そうでなければ、ずれてしまう可能性がある。
トカゲ氏の「ヨミ」をさておいて、この【冒頭】というのは、どこまで認められるか、疑問です。
例えば、書き出しの行から10行といえば、あっ、そうかと納得する場合もし、逆に8行目以降は【冒頭】とはいえないと主張する場合も考えられる。或は序の部分一括【冒頭】と主張する人も・・・様々な要素も考えられよう。
文章の長短もあろう、統一の見解はあるか?
要は、本をさえ紐解けば、誰でも一目で確認できる所であれば、いい逃しが効かなくなる。
では、とかげ氏の引用は、前後「・・・」という省略が挟んでいる。この「・・・」なるところの長さ(行数)について、少なくとも我々は現在、確認できない。前の「・・・」によって50行を省略したかもしれないし、1、2行しか省略されていない可能性も、後の「・・・」も同様に考えられる。
では、トカゲ氏の引用は、【冒頭】部分といえるのだろうか?確認の仕立てがないから、現在は、なんともいえない。
さて、キミの(確度の高い推測)へ行きましょう。
>1.<冒頭に書いてある部分>を<書いてないと主張>しているんだから、ニーハオは間違いなくこの部分を読んでない。(事実)
にーはう氏は、<冒頭に書いてある部分>を、【冒頭】だと認めなければ、<書いてないと主張>出来るようになる。どうしてできないか?
よって、キミのいう事実が崩れる。事実にならない。
(にーはう氏はこの部分を【冒頭】だと認める場合のみ、キミの推測があたるかもしれない)
>2.冒頭の重要な導入部分を読んでいないということは、著者の主張内容を正しく読むことはできていないということ。(事実)
>3.読んだとしても、適当な拾い読みで、本質的には読んでいないということだ。
問題にしなくても可と考える。
>4.傍証:「記述の所在を示しての確認に対し、返答できず、消えてしまった」ということは、明らかに不自然である。本当にないのであれば、冒頭の部分をすこし長くなっても書き出して「ない」ことを示せばよいだけ。
したがって、この状況での「消えた」ということは「回答できなかった」と言うことであり<
この辺は、単なる推測の域を出ない。
先言ったように、出処を示し確認できるが、果たしてそれは「冒頭」であるかどうか、確認できない。よって、あたらな議論が出る。(冗談じゃない、キミは冒頭だと言ったのに、あれはとてもじゃないが冒頭とはいえないよなど)、回答を放棄しても可と考えられる。
>最大のポイントは「記述があるのか、ないのか」である。これは論争ではなく、事実確認の内容である。「ある」のか「ないのか」である。ニーハオは自分の所持している本にその記述が「あるのか、ないのか」を答えればよいだけの話である。<
これはキミの自身過剰だといっていいな。【冒頭】であると認められる限り、「記述があるのか、ないのか」というポイントが絞られる。【冒頭】と認められなければ、「あるなし」の事実確認事項でなくなる。
これは メッセージ 55537 (ipodsd さん)への返信です.
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