地学雑誌 第200号

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Re: P598 残すは未完のみ

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/03/31 19:25 投稿番号: [26 / 26]
眞帰國の上、同年十月朝鮮之澤宮使對話仕候。刻右被仰出之次第伝達仕●に至り、論談相済候。

脚’表鎗さまλX・の、御沙汰’貪世にiil S ’c。’‐ 4iz . gけれど・む、見ゐ’こヽこか得ざゐま‐ x しるじ置く、只此ご】・’畢は.ぶ
‘コ恩・購に其寫・を.4’J 4 z此瘍に齢奉.しで支一條収考誼とすべざものなり.(未完)

P598 大行 ラスト

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/03/26 21:49 投稿番号: [25 / 26]
前々年より再度差渡候処、論談及入組候を今年正月廿八日義眞國元に御暇被成下候節、右竹島に日本人相渡候儀、無益との事に候間被差留候段、領主に被仰渡候由義眞に被仰渡候に付義

薦婦國・必上向参十升梱鮒之暉宮使對話仕舛刈右彼仰出之次第悔迦仕驚にづ芦こ声談相済齢一   、

脚’表鎗さまλX・の、御沙汰’貪世にiil S ’c。’‐ 4iz . gけれど・む、見ゐ’こヽこか得ざゐま‐ x しるじ置く、只此ご】・’畢は.ぶ
‘コ恩・購に其寫・を.4’J 4 z此瘍に齢奉.しで支一條収考誼とすべざものなり.(未完)

Re: P598 3行目まで

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/03/18 12:14 投稿番号: [24 / 26]
宗對馬守義卿より出たる家譜に、元禄九牟因幡國と朝鮮國との間、竹島と唱●島有之此島両國入合の如く相成居。   不宜候に付朝鮮之人、此島ゑ参候事を被禁候段、従公儀被仰出其後朝鮮國、禮曹参判に家老使者。

前ふ年よち再撹差渡候需論談及入組観を、今年正万廿八、日禽具國元知御暇鞍成下艇節、
右竹島≒抑J’本人楷渡礼珊無珠どの雇に貧附貌差留候段鯛主吟彼仰渡焦由義具匯被鍬.渡鰐に付蕎
薦婦國・必上向参十升梱鮒之暉宮使對話仕舛刈右彼仰出之次第悔迦仕驚にづ芦こ声談相済齢一   、

脚’表鎗さまλX・の、御沙汰’貪世にiil S ’c。’‐ 4iz . gけれど・む、見ゐ’こヽこか得ざゐま‐ x しるじ置く、只此ご】・’畢は.ぶ
‘コ恩・購に其寫・を.4’J 4 z此瘍に齢奉.しで支一條収考誼とすべざものなり.(未完)

P598 氏名

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/03/12 20:43 投稿番号: [23 / 26]
土屋相模守    在判
戸田山城守    仝
阿部豊後守    仝
大久保加賀守   仝

松平伯醤守殿

宗對溥守義・卿ょう出た庶家譜に、叉録九牟因播附と餅鮮國どの同竹島と唇4島甫之此島豚國入貪
の.如く祖成居   不宜候に付朝鯨之大瓦島ゑ嗇候市を被禁候段握公俵被仰附其後朝鮮國、波膚盛郷
知家老使煮前ふ年よち再撹差渡候需論談及入組観を、今年正万廿八、日禽具國元知御暇鞍成下艇節、
右竹島≒抑J’本人楷渡礼珊無珠どの雇に貧附貌差留候段鯛主吟彼仰渡焦由義具匯被鍬.渡鰐に付蕎
薦婦國・必上向参十升梱鮒之暉宮使對話仕舛刈右彼仰出之次第悔迦仕驚にづ芦こ声談相済齢一   、

脚’表鎗さまλX・の、御沙汰’貪世にiil S ’c。’‐ 4iz . gけれど・む、見ゐ’こヽこか得ざゐま‐ x しるじ置く、只此ご】・’畢は.ぶ
‘コ恩・購に其寫・を.4’J 4 z此瘍に齢奉.しで支一條収考誼とすべざものなり.(未完)

http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E5%9C%A8%E5%88%A4

Re: P598 初め

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/03/08 19:42 投稿番号: [22 / 26]
先年松平新太郎因伯両州領知の節相伺之伯州米子町人村川市兵衛・大谷甚吉至今入竹島ける。為漁獲向後入島の儀制禁可申付旨被仰出可存其趣恐惶謹言

元禄九年子正月廿八日

土屋卵模守    襄涸
士戸田山城守    仝
阿部豊後守
大久保加賀守   仝

松平伯醤守殿
宗對溥守義・卿ょう出た庶家譜に、叉録九牟因播附と餅鮮國どの同竹島と唇4島甫之此島豚國入貪
の.如く祖成居   不宜候に付朝鯨之大瓦島ゑ嗇候市を被禁候段握公俵被仰附其後朝鮮國、波膚盛郷
知家老使煮前ふ年よち再撹差渡候需論談及入組観を、今年正万廿八、日禽具國元知御暇鞍成下艇節、
右竹島≒抑J’本人楷渡礼珊無珠どの雇に貧附貌差留候段鯛主吟彼仰渡焦由義具匯被鍬.渡鰐に付蕎
薦婦國・必上向参十升梱鮒之暉宮使對話仕舛刈右彼仰出之次第悔迦仕驚にづ芦こ声談相済齢一   、

脚’表鎗さまλX・の、御沙汰’貪世にiil S ’c。’‐ 4iz . gけれど・む、見ゐ’こヽこか得ざゐま‐ x しるじ置く、只此ご】・’畢は.ぶ
‘コ恩・購に其寫・を.4’J 4 z此瘍に齢奉.しで支一條収考誼とすべざものなり.(未完)

P598

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/03/04 11:16 投稿番号: [21 / 26]
     先年松革新太郎因伯雨・州領知の節相伺之伯州米子町人村川市兵.柵大浴甚賓至今入竹島け
  コ.る瓦漁廬声後入島の蝉制禁可申付旨彼仰出可存其趣恐惶謹言づ          ぃ
  /        元纏戈年謳正ご月廿.八日    \      ド    .△.    …………
          ト       \.レ      土屋卵模守    襄涸ノ‘    ・.   ’ヽ   \      レ
               く     7   士戸田山城守    仝\‘   万一       ………
  j           l    ン      ー   ブー阿部豊後守    仝‐       ド   ノ‘\     ∇
                      大久保加賀守   仝    ☆   ト         ……
  \     \    松平伯醤守殿と         ’ド      ド       .’       \ノ   づフ.
宗對溥守義・卿ょう出た庶家譜に、叉録九牟因播附と餅鮮國どの同竹島と唇4島甫之此島豚國入貪
の.如く祖成居   不宜候に付朝鯨之大瓦島ゑ嗇候市を被禁候段握公俵被仰附其後朝鮮國、波膚盛郷
知家老使煮前ふ年よち再撹差渡候需論談及入組観を、今年正万廿八、日禽具國元知御暇鞍成下艇節、
右竹島≒抑J’本人楷渡礼珊無珠どの雇に貧附貌差留候段鯛主吟彼仰渡焦由義具匯被鍬.渡鰐に付蕎
薦婦國・必上向参十升梱鮒之暉宮使對話仕舛刈右彼仰出之次第悔迦仕驚にづ芦こ声談相済齢一   、

   ’脚’表鎗さまλX・の、御沙汰’貪世にiil S ’c。’‐ 4iz . gけれど・む、見ゐ’こヽこか得ざゐま‐ x しるじ置く、只此ご】・’畢は.ぶ
‘コ恩・購に其寫・を.4’J 4 z此瘍に齢奉.しで支一條収考誼とすべざものなり.(未完)

Re: P597の残り部分 5行目真ん中 3

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/03/04 10:48 投稿番号: [20 / 26]
國●又之を御勘定奉行松平美濃守殿へ達せられ、因て台命を下して、那の一夥の人員を江都へ召れ、審かに諸件を正させ玉ひ、時に日本人は朝鮮人との渡海は時候を異にせるにあらずやと尋れられしがは、右の一夥の答に、我等は毎歳春三月の頃渡島し、七月上旬帰帆の節獲

江都
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E6%B1%9F%E9%83%BD

Re: P597の残り部分 5行目真ん中 2

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/03/03 06:58 投稿番号: [19 / 26]
七國焦叉之を御勘定奉『行松平美浪守殿へ趣、がられ、眼て台命を
下’しで、那の一夥の人負か/江都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉.ひ、時に日本人ほ朝斬人との嵯海は昧侯を異
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’J上旬匯帆、の節畿

舟獲具等を小屋に納め置、翌年渡海の節まで毫も差違なかリしに元禄五年(一六九二年)より小屋を発き肆ままに器械を奪ひ、依然として居住するの模様にに見ゆれば、全く此事朝鮮人創めて竹島を探索したるは、疑いなしといへり。苟且之に依て魚猟為し難しきのよし、しばしば愁訴に及べりと云々

P597の残り部分 5行目真ん中

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/02/26 17:05 投稿番号: [18 / 26]
竹島圖説   翌元禄六年(一六九三年癸酉の年春二月下旬、再び米子を出帆して、夏四月十七日末刻竹島に着せり。然るに昨年の如く朝鮮人等専ら漁獲をして、我を妨げ動もすれば不軌の語言を放って和平ならず。止む事を得ず、其の中の長者一名と、火伴両三輩を延ぴて我船に入れ、同月十八日竹島より出帆して、同廿八日米子へ帰着し、其由を國候松平放伯耆守へ訴ふ。

七國焦叉之を御勘定奉『行松平美浪守殿へ趣、がられ、眼て台命を
下’しで、那の一夥の人負か/江都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉.ひ、時に日本人ほ朝斬人との嵯海は昧侯を異
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’J上旬匯帆、の節畿
舟粟具等を小阻に納s S‘l &.渡海の節44:p S ‐s S S 4zFa17 .1。21'g'.1¥JH一宍九’二年)Zリ小匿ヤ顎き肆
まÅ9器核今奪ひべ祭S .4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
i5 gしヽといへ吋・薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及.へリと云々

癸酉
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E7%99%B8%E9%85%89

P597の残り部分 竹島図説

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/02/26 07:11 投稿番号: [17 / 26]
竹島圖震   翌元旅六年(ブ六九莽年聚雁の.’年春‘『一升下句、再び来子を出帆し犬夏四、月十七H末刻竹島に着
ゼ、リ・蛉よに昨年の‥’如く娠鮮人犬等寡ら漁臓をし夭我をやげ勁むすれば不散妙語貧を放つて、和『乎尨らす.止
む事を’得す、其の中の長者一名と、火伴雨芦鼠を延ぴて我顧てに入れ、同月十八H竹島―り出帆して、同廿八n
米子”へ蜂看し、其山を國侠松乎伯香守’へ訴七國焦叉之を御勘定奉『行松平美浪守殿へ趣、がられ、眼て台命を
下’しで、那の一夥の人負か/江都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉.ひ、時に日本人ほ朝斬人との嵯海は昧侯を異
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’J上旬匯帆、の節畿
舟粟具等を小阻に納s S‘l &.渡海の節44:p S ‐s S S 4zFa17 .1。21'g'.1¥JH一宍九’二年)Zリ小匿ヤ顎き肆
まÅ9器核今奪ひべ祭S .4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
i5 gしヽといへ吋・薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及.へリと云々

P597の4行目から

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/02/20 19:52 投稿番号: [16 / 26]
翌元禄六年(一六九三年)の年渡海するに、唐人多数渡りて家居を設けて漁猟を恣にす。于時両氏計策をなして唐人両人連帰りて米子に参着し、同年四月廿七日未の下刻、灘町大谷九郎右衛門宅に入り斯両人島の趣、両人の唐人召連帰帆の事を太守へ訟るに、遂に武都の沙汰に留まるとなり[伯耆民談]

Re: P597の最後

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/02/18 08:13 投稿番号: [15 / 26]
我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’刃上旬匯帆、の節畿
舟楓具等を小阻に納め置、翌年‘渡海の節秀で毫J・差遼なか.りIノド邱・峰五枇み一
4’2’6S41奪ひべ祭S 。4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
ひなしヽといへ吋。薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及。へリと云
上討蜘び竹島を聊鮮犬ぶカヘ給ふとかや(″一四)

同年大谷村川連来る。彼二人の唐人等米子より、国府城下に到る時に加納郷左衛門、尾関忠兵衛両士領主の下知に應じて召連れ鳥取に入る[然れども此後はに見ることなし如何なりしやらん]。さて此後渡海あやりと、然るによって三年を過て元禄九年(一六九六年)丙子年正月廿八日(伯耆民談)


憲廟(徳川家綱其在職御光明天皇慶安四年[一六五一]より●元天皇延實八年[一六八〇]に至る寿八十五)の御時なるが朝鮮より竹島は鮮朝の島の由を申
上げれば竹島を朝鮮へあたえ給うとかや(草盧雑談)

かくて、御月番(正月廿八日なり)御老中戸田山城守殿奉書下され侯よしなり(竹島図説)

P597の最初から3行目まで

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/02/16 18:13 投稿番号: [14 / 26]
由て之を那の象胥に質せば、皆浦々へ廻はせりと答ふ。加之我舟を居へんと、強れども彼は衆我は寡固より敵すべからず。恐懽の情なきを能はず。故を持って三月廿一日晩七つ時竹島より出帆せり。但串鮑、笠、頭巾、味噌、麺一丸を携へ帰れり。是は遺回の渡海の證と做さんが為に四月遡日石州濱田へ帰れられし。雲州をえて同月五日七時に伯州米子に帰国せり。

我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’刃上旬匯帆、の節畿
舟楓具等を小阻に納め置、翌年‘渡海の節秀で毫J・差遼なか.りIノド邱・峰五枇み一
4’2’6S41奪ひべ祭S 。4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
ひなしヽといへ吋。薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及。へリと云
上討蜘び竹島を聊鮮犬ぶカヘ給ふとかや(″一四)
同年大・谷村川廸来る、彼二人の唐入等米子よ’9、個府城下に巽る時に加納郷左衛門、昆閣忠兵舞琳士
領主の下知に廊じで召漣れ鳥錐に入る(J心吋心讐巡こ91い勺で此後は渡海やおがと、然るによ
りず二二牟七邁.て忿鋒九年二六忿八年)丙子年正月廿八日(四懸          ド    \
憲廟(一竺こ芸四丿勁コ皿忿ぶ桟E器≒)の御時なるが梱鮮よ今竹島は鮮朝の島の由を申
  ‘   ’    .     .       ’‘        ゛!‘   ’                   ″
かくて面月番殴卵詐・ハケ御老中戸田山城守殿奉膚昇され侯よしtよE悲

http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%81%90%E6%87%BC&aq =- 1&oq=&r_dtype=all&ei=UTF-8

Re: P596の最後から1行目まで

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/02/12 07:43 投稿番号: [13 / 26]
然れども此島の以北に一島有て、上好の鮑尤多し。此故に吾●朝鮮國王の命を奉して二年毎に一回彼島に渡れリ。当年も亦那島に渡リ帰帆の砌難風に逢ひ不斗此島に漂着すと云ふ。爾後我輩曰此竹鳥は昔時より、日本人鮑猟を●れ来れる所なれば、速やかに出帆すべしといへば、彼か答えに難風に邁ひ船皆損破するが、故に之を補造して後去るぺしと説けども、其實は急に退くべきの状態にあらず。我輩の上陸して会て●造せる小屋を検査するに、猟船八艘を失ヘり。

由て之んこ?の象ヽ膏に’質ゼ。げ、皆油‘々、へ揖はぜりヽと答ふ。加之

  我舟を居へんl、強れ、こ6彼は衆我は寡。固lり敵すべからで、恐惺の情ちきl能はず、放a a F1111。月廿.T日
△U只溺グHj只甘玉パ利ブミ。。よ‥づぺ。
Dパ仁い‥‥‥‥ド→‥Hレ‥‥‥バ‥L‥‥いに‥‥ド
Å昌ぃにニリドバ‥ドリド付燧Nムけ討汀卜岫
一出に→にぷ一‥…田※悦ぶに失に※崖づ※
下しで、那の一夥の人負か我都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉。ひ、時に日本人ほ朝斬人との波海は昧侯を異’
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’刃上旬匯帆、の節畿
舟楓具等を小阻に納め置、翌年‘渡海の節秀で毫J・差遼なか.りIノド邱・峰五枇み一
4’2’6S41奪ひべ祭S 。4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
ひなしヽといへ吋。薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及。へリと云
上討蜘び竹島を聊鮮犬ぶカヘ給ふとかや(″一四)
同年大・谷村川廸来る、彼二人の唐入等米子よ’9、個府城下に巽る時に加納郷左衛門、昆閣忠兵舞琳士
領主の下知に廊じで召漣れ鳥錐に入る(J心吋心讐巡こ91い勺で此後は渡海やおがと、然るによ
りず二二牟七邁.て忿鋒九年二六忿八年)丙子年正月廿八日(四懸          ド    \
憲廟(一竺こ芸四丿勁コ皿忿ぶ桟E器≒)の御時なるが梱鮮よ今竹島は鮮朝の島の由を申
  ‘   ’    .     .       ’‘        ゛!‘   ’                   ″
かくて面月番殴卵詐・ハケ御老中戸田山城守殿奉膚昇され侯よしtよE悲

Re: P596の最後から5行目まで

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/02/09 21:18 投稿番号: [12 / 26]
海跡に於て又船二艘を見たり。但し一艘は居船にて一艘に浮べて、異国人三十人許リ是に乗れり。我舟を八九間隔て大阪浦に廻る。其人員に属する者の一人、陸に残り居たるが、忽●小舟に乗して我近傍に来る因て之を問うに朝鮮か「カワテレカワラ」の人民と答ふ。面那鮑猟の故を●るに、彼答て曰、原より此島の鮑を猟するの意なし。

蔡’れ’.どピ此.島/り以北に一島有て、上好り咆尤・多乙.屁放に涯牌朝鮮國主の命か拳して二年毎に.
  ム回彼島に渡似リ、営年む’亦駈島に渡リ筒帆の瑚雖風に逢ひ不斗此島に沿着すと云ふ、爾後我肇曰此竹鳥『
s i'。時IM SgZ:木人咆慨を。れ班れゐ所な
りげ。辿に拘帆すべし’といへば、彼か答止疑風に邁ひ船皆損破す
iQ S’放に之を禎諧して後去ゐぺしー震けども元賓ほ急に。退くべ、き‘の欧態にむ。らす。喪奮の上陸して曾・て
拠造ぜゐ小眼か嶮.麦ず・ゐに、佩船『ハ.敢か失ヘ
り、由て之んこ?の象ヽ膏に’質ゼ。げ、皆油‘々、へ揖はぜりヽと答ふ。加之

  我舟を居へんl、強れ、こ6彼は衆我は寡。固lり敵すべからで、恐惺の情ちきl能はず、放a a F1111。月廿.T日
△U只溺グHj只甘玉パ利ブミ。。よ‥づぺ。
Dパ仁い‥‥‥‥ド→‥Hレ‥‥‥バ‥L‥‥いに‥‥ド
Å昌ぃにニリドバ‥ドリド付燧Nムけ討汀卜岫
一出に→にぷ一‥…田※悦ぶに失に※崖づ※
下しで、那の一夥の人負か我都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉。ひ、時に日本人ほ朝斬人との波海は昧侯を異’
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’刃上旬匯帆、の節畿
舟楓具等を小阻に納め置、翌年‘渡海の節秀で毫J・差遼なか.りIノド邱・峰五枇み一
4’2’6S41奪ひべ祭S 。4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
ひなしヽといへ吋。薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及。へリと云
上討蜘び竹島を聊鮮犬ぶカヘ給ふとかや(″一四)
同年大・谷村川廸来る、彼二人の唐入等米子よ’9、個府城下に巽る時に加納郷左衛門、昆閣忠兵舞琳士
領主の下知に廊じで召漣れ鳥錐に入る(J心吋心讐巡こ91い勺で此後は渡海やおがと、然るによ
りず二二牟七邁.て忿鋒九年二六忿八年)丙子年正月廿八日(四懸          ド    \
憲廟(一竺こ芸四丿勁コ皿忿ぶ桟E器≒)の御時なるが梱鮮よ今竹島は鮮朝の島の由を申
  ‘   ’    .     .       ’‘        ゛!‘   ’                   ″
かくて面月番殴卵詐・ハケ御老中戸田山城守殿奉膚昇され侯よしtよE悲

Re: P596 伯耆民談(4行目まで)

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/02/06 11:01 投稿番号: [11 / 26]
竹島圖説に、元和五年(一六一九年)春二月十有一日、例年の如く米子を出帆して隠岐の國福浦に着し、同三月廿四日、福浦を出帆して同月廿六日朝五時竹島の内イカ島と云ふ處に着す。此時●めて異邦の人魚獲するを見るを得たり。蓋し是より先は会て見ざる所なり。翌廿七日我舟を同島の濱田浦に廻さんとする

海跡に於て瓦異組ご二教御見ぢプ但】殼は居船に犬一酸は浮べて.異凶人て丁.人詐リ茫u兪汗宍牝舟をハ
  {九.間隔て’大阪ご冊に嶺¨ろ・其ん貝に扁々ざ者め.一入陸に嘔リwガヌ‘か、忽y小爵に乖して覆匠’傍.に来忌’因ぞ
  ヽ之寿筒ふに俳鮮りカアテレカよ兄この入民と答犬面那咆餓の放を諮・ゐ・に、芦答そ曰、原ご41’鳶島の鮑.を・橿.1’
‐’‐9@‘Q・息察む、蔡’れ’.どピ此.島/り以北に一島有て、上好り咆尤・多乙.屁放に涯牌朝鮮國主の命か拳して二年毎に.
  ム回彼島に渡似リ、営年む’亦駈島に渡リ筒帆の瑚雖風に逢ひ不斗此島に沿着すと云ふ、爾後我肇曰此竹鳥『
s i'。時IM SgZ:木人咆慨を。れ班れゐ所な
りげ。辿に拘帆すべし’といへば、彼か答止疑風に邁ひ船皆損破す
iQ S’放に之を禎諧して後去ゐぺしー震けども元賓ほ急に。退くべ、き‘の欧態にむ。らす。喪奮の上陸して曾・て
拠造ぜゐ小眼か嶮.麦ず・ゐに、佩船『ハ.敢か失ヘ
り、由て之んこ?の象ヽ膏に’質ゼ。げ、皆油‘々、へ揖はぜりヽと答ふ。加之

  我舟を居へんl、強れ、こ6彼は衆我は寡。固lり敵すべからで、恐惺の情ちきl能はず、放a a F1111。月廿.T日
△U只溺グHj只甘玉パ利ブミ。。よ‥づぺ。
Dパ仁い‥‥‥‥ド→‥Hレ‥‥‥バ‥L‥‥いに‥‥ド
Å昌ぃにニリドバ‥ドリド付燧Nムけ討汀卜岫
一出に→にぷ一‥…田※悦ぶに失に※崖づ※
下しで、那の一夥の人負か我都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉。ひ、時に日本人ほ朝斬人との波海は昧侯を異’
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’刃上旬匯帆、の節畿
舟楓具等を小阻に納め置、翌年‘渡海の節秀で毫J・差遼なか.りIノド邱・峰五枇み一
4’2’6S41奪ひべ祭S 。4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
ひなしヽといへ吋。薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及。へリと云
上討蜘び竹島を聊鮮犬ぶカヘ給ふとかや(″一四)
同年大・谷村川廸来る、彼二人の唐入等米子よ’9、個府城下に巽る時に加納郷左衛門、昆閣忠兵舞琳士
領主の下知に廊じで召漣れ鳥錐に入る(J心吋心讐巡こ91い勺で此後は渡海やおがと、然るによ
りず二二牟七邁.て忿鋒九年二六忿八年)丙子年正月廿八日(四懸          ド    \
憲廟(一竺こ芸四丿勁コ皿忿ぶ桟E器≒)の御時なるが梱鮮よ今竹島は鮮朝の島の由を申
  ‘   ’    .     .       ’‘        ゛!‘   ’                   ″
かくて面月番殴卵詐・ハケ御老中戸田山城守殿奉膚昇され侯よしtよE悲

Re: P596(つづき)

投稿者: fouquint 投稿日時: 2012/02/04 23:58 投稿番号: [10 / 26]
あなたが引用した文章は文字化けして全然読めないんだが…

ところで、あなたは日本語が読解できるの?
日本語のわからない人間はあんまり難しい文章をやめて、
もっと簡単な挨拶文から始めるといいね。
たとえば、
「こんにちは。お元気ですか」とか、
「今日はたいへん寒いですね」とか。

政治の話題は10年くらい早い気がします。

Re: P596(つづき)

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/29 08:39 投稿番号: [9 / 26]
元和四年(一六一八年)那両を江府に召され、免許の御朱印を賜う。但し直ちに両商へ賜わらず。一旦烈候[新太郎光政君]へ渡し給うて之を拝領す。[此年より両商は、将軍家の拝謁を辱ふして時殿を拝受し、竹島の名鮑を奉貢す。後八九年を歴て両商の内一名づつを召して隔年の拝謁に定めらる(竹島図説)]是によって此両家不絶渡海して漁事を致しに、後七十四年を過て、元録五年壬申(一六九二年)に渡海する所に唐人群居して海猟をなす。両氏是を制すといへども、更に聞入れさるのみならずして危難とするにより、両氏無念ながら帰帆す(伯耆民談)

  ‘竹島圖吸’に、元租五年ご.ハー九.年崔こ一刃’す有Tn、.例SQI‘/IHi a E・‐g¥:y’腫岐こり・國縞浦に着じ、隨三月’
   作鯛Q1.浦ぶ出帆して同刀ぼ枇u紅五タ時’.竹島の内勺鮒島と云ふ處に着す、此時愈めで異邦の・人魚蜃す
  ‘ゐな見ie s&IS g ¥’蓋・J l a‘’.7先j2 ’ 。a1 4Z‐ 11 1。2丑b ie.所夕叱翌廿七H我舟を同’島の凛田油に・廻さんとすゐ
  海跡に於て瓦異組ご二教御見ぢプ但】殼は居船に犬一酸は浮べて.異凶人て丁.人詐リ茫u兪汗宍牝舟をハ
  {九.間隔て’大阪ご冊に嶺¨ろ・其ん貝に扁々ざ者め.一入陸に嘔リwガヌ‘か、忽y小爵に乖して覆匠’傍.に来忌’因ぞ
  ヽ之寿筒ふに俳鮮りカアテレカよ兄この入民と答犬面那咆餓の放を諮・ゐ・に、芦答そ曰、原ご41’鳶島の鮑.を・橿.1’
‐’‐9@‘Q・息察む、蔡’れ’.どピ此.島/り以北に一島有て、上好り咆尤・多乙.屁放に涯牌朝鮮國主の命か拳して二年毎に.
  ム回彼島に渡似リ、営年む’亦駈島に渡リ筒帆の瑚雖風に逢ひ不斗此島に沿着すと云ふ、爾後我肇曰此竹鳥『
s i'。時IM SgZ:木人咆慨を。れ班れゐ所な
りげ。辿に拘帆すべし’といへば、彼か答止疑風に邁ひ船皆損破す
iQ S’放に之を禎諧して後去ゐぺしー震けども元賓ほ急に。退くべ、き‘の欧態にむ。らす。喪奮の上陸して曾・て
拠造ぜゐ小眼か嶮.麦ず・ゐに、佩船『ハ.敢か失ヘ
り、由て之んこ?の象ヽ膏に’質ゼ。げ、皆油‘々、へ揖はぜりヽと答ふ。加之

  我舟を居へんl、強れ、こ6彼は衆我は寡。固lり敵すべからで、恐惺の情ちきl能はず、放a a F1111。月廿.T日
△U只溺グHj只甘玉パ利ブミ。。よ‥づぺ。
Dパ仁い‥‥‥‥ド→‥Hレ‥‥‥バ‥L‥‥いに‥‥ド
Å昌ぃにニリドバ‥ドリド付燧Nムけ討汀卜岫
一出に→にぷ一‥…田※悦ぶに失に※崖づ※
下しで、那の一夥の人負か我都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉。ひ、時に日本人ほ朝斬人との波海は昧侯を異’
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’刃上旬匯帆、の節畿
舟楓具等を小阻に納め置、翌年‘渡海の節秀で毫J・差遼なか.りIノド邱・峰五枇み一
4’2’6S41奪ひべ祭S 。4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
ひなしヽといへ吋。薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及。へリと云
上討蜘び竹島を聊鮮犬ぶカヘ給ふとかや(″一四)
同年大・谷村川廸来る、彼二人の唐入等米子よ’9、個府城下に巽る時に加納郷左衛門、昆閣忠兵舞琳士
領主の下知に廊じで召漣れ鳥錐に入る(J心吋心讐巡こ91い勺で此後は渡海やおがと、然るによ
りず二二牟七邁.て忿鋒九年二六忿八年)丙子年正月廿八日(四懸          ド    \
憲廟(一竺こ芸四丿勁コ皿忿ぶ桟E器≒)の御時なるが梱鮮よ今竹島は鮮朝の島の由を申
  ‘   ’    .     .       ’‘        ゛!‘   ’                   ″
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Re: P596

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/28 12:35 投稿番号: [8 / 26]
卒去あって嗣なきが故に跡を断て爾来元和二年まで国主なくして御料となる。然るに依って御上代年々武都より来番して当城に居し、伯州を鎮護す。同年阿部四郎五郎在番あり。此時両氏竹島渡島の事を希ふ。然るに翌元和三年丁巳松平新太郎光政卿当國を管領して入都あるにより、両人また願う處に、光政卿やがて武都に告て之れを許され爾来竹島に押渡海漁をなす。其後毎歳渡海不倦怠[伯耆民談]

元和四年ご六一八年)那班育を江府に召ぶれ、弛許げ   御朱印じ賜右   但し寵尽に用商へ賜賑ら
申二旦誉こ一昔)へ渡し給予よ濠弁領す.ハ慧彩鸚貿が器昌諮丿訂こ懸ごこ翁
詐、貿諮(器))是によつて此所家不薦渡侮し元漁事と靫せし比、栽七十四年を邁覗元録玉年壬・
申二六九二年)R渡海する所″に唐人群居して海猟七な宍雨.氏是乍制すといへど殖、更に聞入れさる

のみな・ら申しで危難とするによ・9、雨氏無念ながら婦帆れ(伯嗇溥誉          上   \     ‘.

  ‘竹島圖吸’に、元租五年ご.ハー九.年崔こ一刃’す有Tn、.例SQI‘/IHi a E・‐g¥:y’腫岐こり・國縞浦に着じ、隨三月’
   作鯛Q1.浦ぶ出帆して同刀ぼ枇u紅五タ時’.竹島の内勺鮒島と云ふ處に着す、此時愈めで異邦の・人魚蜃す
  ‘ゐな見ie s&IS g ¥’蓋・J l a‘’.7先j2 ’ 。a1 4Z‐ 11 1。2丑b ie.所夕叱翌廿七H我舟を同’島の凛田油に・廻さんとすゐ
  海跡に於て瓦異組ご二教御見ぢプ但】殼は居船に犬一酸は浮べて.異凶人て丁.人詐リ茫u兪汗宍牝舟をハ
  {九.間隔て’大阪ご冊に嶺¨ろ・其ん貝に扁々ざ者め.一入陸に嘔リwガヌ‘か、忽y小爵に乖して覆匠’傍.に来忌’因ぞ
  ヽ之寿筒ふに俳鮮りカアテレカよ兄この入民と答犬面那咆餓の放を諮・ゐ・に、芦答そ曰、原ご41’鳶島の鮑.を・橿.1’
‐’‐9@‘Q・息察む、蔡’れ’.どピ此.島/り以北に一島有て、上好り咆尤・多乙.屁放に涯牌朝鮮國主の命か拳して二年毎に.
  ム回彼島に渡似リ、営年む’亦駈島に渡リ筒帆の瑚雖風に逢ひ不斗此島に沿着すと云ふ、爾後我肇曰此竹鳥『
s i'。時IM SgZ:木人咆慨を。れ班れゐ所な
りげ。辿に拘帆すべし’といへば、彼か答止疑風に邁ひ船皆損破す
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拠造ぜゐ小眼か嶮.麦ず・ゐに、佩船『ハ.敢か失ヘ
り、由て之んこ?の象ヽ膏に’質ゼ。げ、皆油‘々、へ揖はぜりヽと答ふ。加之

  我舟を居へんl、強れ、こ6彼は衆我は寡。固lり敵すべからで、恐惺の情ちきl能はず、放a a F1111。月廿.T日
△U只溺グHj只甘玉パ利ブミ。。よ‥づぺ。
Dパ仁い‥‥‥‥ド→‥Hレ‥‥‥バ‥L‥‥いに‥‥ド
Å昌ぃにニリドバ‥ドリド付燧Nムけ討汀卜岫
一出に→にぷ一‥…田※悦ぶに失に※崖づ※
下しで、那の一夥の人負か我都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉。ひ、時に日本人ほ朝斬人との波海は昧侯を異’
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’刃上旬匯帆、の節畿
舟楓具等を小阻に納め置、翌年‘渡海の節秀で毫J・差遼なか.りIノド邱・峰五枇み一
4’2’6S41奪ひべ祭S 。4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
ひなしヽといへ吋。薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及。へリと云
上討蜘び竹島を聊鮮犬ぶカヘ給ふとかや(″一四)
同年大・谷村川廸来る、彼二人の唐入等米子よ’9、個府城下に巽る時に加納郷左衛門、昆閣忠兵舞琳士
領主の下知に廊じで召漣れ鳥錐に入る(J心吋心讐巡こ91い勺で此後は渡海やおがと、然るによ
りず二二牟七邁.て忿鋒九年二六忿八年)丙子年正月廿八日(四懸          ド    \
憲廟(一竺こ芸四丿勁コ皿忿ぶ桟E器≒)の御時なるが梱鮮よ今竹島は鮮朝の島の由を申
  ‘   ’    .     .       ’‘        ゛!‘   ’                   ″
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P596

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/26 22:19 投稿番号: [7 / 26]
卒去心りで嗣なきが故に跡・を晰七爾来一刄和二年まで附主なくして御科となる屁?9に依つて御上
代年夕武都よ19来番し七営城に居≒伯侑を倣護す。同年阿部囚郎五郎在番心久此時甫氏竹島渡島
の事七希七然『るに翌元和三年丁巳松手新太郎光政嘸雷國・ど管領しで入都心る几により、雨人また
甑よ處に光政卿やがで武都記沓て之れを許され爾末竹島に押渡海漁をな丈其後毎単渡海庫捲息
  元和四年ご六一八年)那班育を江府に召ぶれ、弛許げ   御朱印じ賜右   但し寵尽に用商へ賜賑ら
申二旦誉こ一昔)へ渡し給予よ濠弁領す.ハ慧彩鸚貿が器昌諮丿訂こ懸ごこ翁
詐、貿諮(器))是によつて此所家不薦渡侮し元漁事と靫せし比、栽七十四年を邁覗元録玉年壬・
申二六九二年)R渡海する所″に唐人群居して海猟七な宍雨.氏是乍制すといへど殖、更に聞入れさる

のみな・ら申しで危難とするによ・9、雨氏無念ながら婦帆れ(伯嗇溥誉          上   \     ‘.

  ‘竹島圖吸’に、元租五年ご.ハー九.年崔こ一刃’す有Tn、.例SQI‘/IHi a E・‐g¥:y’腫岐こり・國縞浦に着じ、隨三月’
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  ム回彼島に渡似リ、営年む’亦駈島に渡リ筒帆の瑚雖風に逢ひ不斗此島に沿着すと云ふ、爾後我肇曰此竹鳥『
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Å昌ぃにニリドバ‥ドリド付燧Nムけ討汀卜岫
一出に→にぷ一‥…田※悦ぶに失に※崖づ※
下しで、那の一夥の人負か我都へ召れ、審かに躊件を正さゼ玉。ひ、時に日本人ほ朝斬人との波海は昧侯を異’
に¥.9e uLSら.す『?≒尋れられし`針は、右の』・夥φ答に、我等ほ毎歳春三刃の頃渡島し、七’刃上旬匯帆、の節畿
舟楓具等を小阻に納め置、翌年‘渡海の節秀で毫J・差遼なか.りIノド邱・峰五枇み一
4’2’6S41奪ひべ祭S 。4zJ R・S住ず芯の摸様に見ゆれば、仝く此事朝鮮入創めて竹島を探索J g te 11'S
ひなしヽといへ吋。薦且之に、依て魚猟鶏し雖4 Q9・11。JJ !! 't'‘. I S 2及。へリと云
上討蜘び竹島を聊鮮犬ぶカヘ給ふとかや(″一四)
同年大・谷村川廸来る、彼二人の唐入等米子よ’9、個府城下に巽る時に加納郷左衛門、昆閣忠兵舞琳士
領主の下知に廊じで召漣れ鳥錐に入る(J心吋心讐巡こ91い勺で此後は渡海やおがと、然るによ
りず二二牟七邁.て忿鋒九年二六忿八年)丙子年正月廿八日(四懸          ド    \
憲廟(一竺こ芸四丿勁コ皿忿ぶ桟E器≒)の御時なるが梱鮮よ今竹島は鮮朝の島の由を申
  ‘   ’    .     .       ’‘        ゛!‘   ’                   ″
かくて面月番殴卵詐・ハケ御老中戸田山城守殿奉膚昇され侯よしtよE悲

Re: P595(後半)

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/26 22:04 投稿番号: [6 / 26]
第一、沿革

竹島一に他計甚慶又は舳羅島と云ふ。島に大竹藪あり竹の周圍二尺に達す。其竹極めて大なるが故、此名ありしが如し。同島に関し、最も古き記事として伝われるものは、北史巻の十四[十九丁裏より廿一丁裏まで]倭国伝末の記事なりとす。是れに由るに、遺文林郎斐世清使倭國度百済行至竹島南望耽羅島云云の句あれども斐世清なるものは、小野妹子に従ひて来朝せしものにして、其来朝の年は推古帝十五年、即ち隋の煬帝大業三年[西暦六百七年]なりとす。而して松浦氏の既に云へるが如く北史の竹島なるものは果して此島なるや否や容易に判定し能はず。其他竹島に関し一二の記録おれども一として信ず可きものなし。

伯耆民談に依るに伯州米子の町人に大谷、村川の両氏は代々名ある町人にて、子孫は今にも町年寄を勤む。此両人竹島渡海免許を蒙る事は、当國前太守中村伯耆守忠一とあり。又慶長十四年[1609年]

Re: P595(後半)

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/25 23:32 投稿番号: [5 / 26]
第一、沿革

竹島一に他計甚慶又は舳羅島と云ふ。島に大竹藪あり竹の周圍二尺に達す。其竹極めて大なるが故、此名ありしが如し。同島に関し、最も古き記事として伝われるものは、北史巻の十四[十九丁裏より廿一丁裏まで]倭国伝末の記事なりとす。是れに由るに、遺文林郎受飲清使倭國度百臍行至屑島南望耽羅島云云の
レ句われど玖ニ貿世詩芦る4のは、小野妹子に従ひて来朝せし砥のにしでヽ其摩聊の年ぼ推吉帝十五年
即ぢ隋の場帝大業三.年(J?≒)?寸す、面しで松浦氏の胱尹云へ∠るが如く北面の竹島なる喝の
  は巣しで此島なるや、否や容易『に列定し能は犬其他竹島に関しこ一の記録おれどを一としで信す
  可き柘のなし。                       ブ

伯耆民談に依るに伯州米子の町人に大谷、村川の両氏は代々名ある町人にて、子孫は今にも町年寄を勤む。此両人竹島渡海免許を蒙る事は、当國前太守中村伯耆守忠一とあり。又慶長十四年[1609年]

Re: P595(前半)

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/24 21:38 投稿番号: [4 / 26]
竹島考   伊藤東涯
竹島図説   金森   謙
多気甚麼襍誌   松浦竹四郎(源弘)   嘉永七年十一月

松浦氏は地理に熟心なる人なり。而して其記事の啻に正確なるのみなず著書中当時の人心にして竹島を無視せる事を慨嘆せるの文字さへあり。予は竹島に関する記事を輯むるに際し其多くを氏の多気甚麼襍誌に依り。他に二三の材料をも参照しぬ。記事或は正確を失するや末だ計る可からざるも暫ぐ此の材料にて同島に関する沿革及奮記に依れる地理を記載すべし


竹島一に他訃甚慶叉は舶羅島之云ふ、島拡大竹藪お’り竹0.周園上尺に達犬其竹極満で大なるが
故此名おーじが・漸九同島昇関しヽ岳て古き記事として恪はれル;’の屯牝史零吋十四(趾百皿いU
  曼國侮末の記事予9と丸是れに一田るに、遺文林郎受飲清使倭國度百臍行至屑島南望耽羅島云云の
レ句われど玖ニ貿世詩芦る4のは、小野妹子に従ひて来朝せし砥のにしでヽ其摩聊の年ぼ推吉帝十五年
即ぢ隋の場帝大業三.年(J?≒)?寸す、面しで松浦氏の胱尹云へ∠るが如く北面の竹島なる喝の
  は巣しで此島なるや、否や容易『に列定し能は犬其他竹島に関しこ一の記録おれどを一としで信す
  可き柘のなし。                       ブ
  伯醤民談に汝るげ伯州米子の町人に大谷、村川の爾氏は代々名ある町人に犬子孫は今に弘町年
、斉ど勤む屁謄人竹島渡・海菟許を彙る事弓冨國倉太守中村伯省守忠てと心6ヽ叉夏長十四矢七Eoい

Re: P595原本

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/24 20:08 投稿番号: [3 / 26]
  竹島考    ドノ.三   コ伊藤東涯   土   ≫                        ト
  竹島圖脆     ・     金森   謙          ☆
  多飯甚‥歴樫誌      松浦竹四郎(源弘)   嘉永七年寸一月               犬・
柵1‐氏は堆理に熟心なる人な久面して其翼事の債に正確なるりみな有宇著書申常時‐0Å心にし
て竹島匙貧’親ぜる事を慨嘆ぜ予の文宇jへ’南’9、予拡竹島に嗣する記事牽輯むるに際し其多くど
氏.の多気甚無襖誌・、に依’9他に二三の材料・ど屯嗇捕士ね.記事或MJ ! 。g失す.るや末だ.瀞『る可から
ざるり暫ぐ此の杜料にで同島に圓する.指革及奮記に依れる薦理を記載すべ`ト        ”
  トノ    第べ.揖’革   .、           一                ト
{竹島一に他訃甚慶叉は舶羅島之云ふ、島拡大竹藪お’り竹0.周園上尺に達犬其竹極満で大なるが
故此名おーじが・漸九同島昇関しヽ岳て古き記事として恪はれル;’の屯牝史零吋十四(趾百皿いU
  曼國侮末の記事予9と丸是れに一田るに、遺文林郎受飲清使倭國度百臍行至屑島南望耽羅島云云の
レ句われど玖ニ貿世詩芦る4のは、小野妹子に従ひて来朝せし砥のにしでヽ其摩聊の年ぼ推吉帝十五年
即ぢ隋の場帝大業三.年(J?≒)?寸す、面しで松浦氏の胱尹云へ∠るが如く北面の竹島なる喝の
  は巣しで此島なるや、否や容易『に列定し能は犬其他竹島に関しこ一の記録おれどを一としで信す
  可き柘のなし。                       ブ
  伯醤民談に汝るげ伯州米子の町人に大谷、村川の爾氏は代々名ある町人に犬子孫は今に弘町年
、斉ど勤む屁謄人竹島渡・海菟許を彙る事弓冨國倉太守中村伯省守忠てと心6ヽ叉夏長十四矢七Eoい

P594

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/22 10:06 投稿番号: [2 / 26]
同島は去二月二十二日、島根県令を以て、公然我が帝国の範囲に入り、行政上隠岐島司の管轄とせられたり、而して其当時吾人は同島の外国人に依り発見せられたる事実及地形に関する一般を紹介し置きたるが(本誌第十七年百九十六号参照)此地は去る五月二七八日の日本海の海戦に依り、リアンコートLiancourtRocks岩の名称の下に世上に知られたり、今此島の沿革を考ふるに其発見の年代は不明なれども、フランス船リアンクール号の発見より遙に以前に於て、本邦人の知る所なり、徳川氏の時代に於て之れを朝鮮に與へたるが如きも、其の以前に於て、此島は或は隠岐に或は伯書、石見に属したり、明治の初年に到り、正院地埋課に於て其の本邦の領有たることを全然非認したるを以て、其の後の出版にかかる地図は多く其の所在をも示さざるが如し。明治八年文部省出版宮本三平氏の日本帝国全図には之れを載すれども、帝国の領土外に置き塗色せず。又我海軍水路部の朝鮮水路誌には、リアンコ一ト岩と題し、リアンコート号の発見其他外国人の測量記事を載するのみなり。故に連合艦隊司令長官報告   大海報第一一九号に之れを襲用してりアンコート岩として報ぜられ、大本営海軍幕僚は其後是を竹島に訂正・・・せられたり。

地学雑誌 第200号

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/22 09:09 投稿番号: [1 / 26]
田中阿歌麻呂が『地学雑誌 第200号』に投稿した文章の文字起しをします。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1905/

日本は法律で形成されている社会、中国は賄賂で形成されている社会、韓国は感情で形成されている社会。この資料の文章起しを通じて日本人の知的水準の高さを示すと共に、事実はどこにあるのかを皆様にご掲示致します。

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