Re: P595(後半)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/01/25 23:32 投稿番号: [5 / 26]
第一、沿革
竹島一に他計甚慶又は舳羅島と云ふ。島に大竹藪あり竹の周圍二尺に達す。其竹極めて大なるが故、此名ありしが如し。同島に関し、最も古き記事として伝われるものは、北史巻の十四[十九丁裏より廿一丁裏まで]倭国伝末の記事なりとす。是れに由るに、遺文林郎受飲清使倭國度百臍行至屑島南望耽羅島云云の
レ句われど玖ニ貿世詩芦る4のは、小野妹子に従ひて来朝せし砥のにしでヽ其摩聊の年ぼ推吉帝十五年
即ぢ隋の場帝大業三.年(J?≒)?寸す、面しで松浦氏の胱尹云へ∠るが如く北面の竹島なる喝の
は巣しで此島なるや、否や容易『に列定し能は犬其他竹島に関しこ一の記録おれどを一としで信す
可き柘のなし。
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伯耆民談に依るに伯州米子の町人に大谷、村川の両氏は代々名ある町人にて、子孫は今にも町年寄を勤む。此両人竹島渡海免許を蒙る事は、当國前太守中村伯耆守忠一とあり。又慶長十四年[1609年]
これは メッセージ 4 (senkaku_islands さん)への返信です.
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