尖閣諸島は日本の領土である

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Re: 尖閣諸島研究会 8P

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/12 15:42 投稿番号: [6 / 61]
明など)。

尖閣列島がこのような領有権問題にまで発展した背景には、同列島周辺の東支那海大陸棚に埋蔵されると推定されている豊富な地下資原かある。そうしてこれらの大陸棚地下資源の探査および開発は今後の問題である。したがって、尖閣列島の領有権間題は東支那海大陸棚に対する探査・関発の本格化とともに、あるいは重要な問題に発展することもありうる。

  本研究会はその第一回の研究成果を昨年3月の本誌第56号(尖閣列島特集号)においてあきらかにした。本研究会はその後も領有権立証のための作業を継続してきたが、このほどあらたな証拠資料を加えた研究会としての結論を以下のようにまとめた。

領土編入
1領有意思   日本が尖閣列島に対して領有意思をもち始めたのは、明治12年(1879年)頃からである。すなわち、同年に発刊された「大日本全図」(松井忠兵衛編)には、すでに尖閣列島が個々の島嶼の名称を付されて日本の
領土としてあらわれている(注:この地図では和平山、黄尾島、赤尾島といりた名称を用いている。また南北二小島および附近の岩礒は総称として凸島とされている。なお和平山とは魚釣島のことである)。また明治16年(1883年)の内務省地理局編纂「大日本府県分轄図」(明治14年改訂版)にも、島
嶼の名称が付されないままに同列島が沖縄県の中に見出される。

  さらに明治18年(1885年)沖縄県知事は政府の命令によって美里間切詰山方策者大城永保氏から尖閣列島についての事情聴取をおこなうとともに、政府の許可を得て出雲丸を列島に派遺、港湾の形状や土地物産の開拓見込み
などを実地調査し、その調査結果を沖縄県五等属石沢兵吾、同船船長林鶴松の両名に報告させている。同列島に対する実地調査は明治25年(1892年)軍艦海門によってもおこなわれた(注:ただしこの事実は日下のところ第一
次資料によって確認されたものではない)。

なお、このほか明治19年(1886年)の海軍水路部水路誌(寰瀛水路誌)はその第一巻の第十編「州南諸島」の中で、同じく明治27年(1894年)の水路誌(海軍水路部)では、その第二巻第三編「南西諸島」の中において、尖閣列島を扱っている。(注:明治19年の海軍水路誌ではこれらの島々をすでに「尖閣群島」と総称していた。なお
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