Re: 尖閣諸島研究会 10P
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/14 03:10 投稿番号: [11 / 61]
考え、同年八月同氏に対して期間30年の無斜貸与を許可した(注:列島に対する借地申請は明治27年と明治28年にもなされいる。ただしこのときは列島の帰属が不明であるという理由で認められなかった)。
国有地の借用許可をえた古賀氏は翌明治30年(1897年以降大規模な資本を投じて尖閣列島の開拓に着手した(列島開拓のため古賀氏は最初の4年間、すなわち明治30年に35人、明治31年同じく50、明治32年29人、明治33年男13人・女子9人の労働者を列島に派遺した。
すなわち、同氏は魚釣島と久場島に家屋、貯水旅股、船着場、桟橋などを構築するとともに、排水溝など衛生環境の改善、海鳥およぴ鳥卵の保護、実験栽培(穀物、甘薯、野菜類)植林(樟苗、松、杉、柑橘類)、開墾(60余町歩)、牧畜、養蚕などをおこなってきた。その結果、明治42年には248名(99戸)の移民が列島に定住し、開拓事業に従事していた。この功績によって政府は同年11月22日古賀氏に藍綬褒章を授与した。
古賀氏は開拓事業と並行して明治17年(1884年)から継続しておこなってきたアホウ烏の鳥毛(羽毛および綿毛)採取、フカの鰭、海参、貝類、鼈甲採集に加えて、明治36年(1903年)以降海鳥の剥製(同年剥製造り職人十数名移住)、明治40年(1907年)以降珊瑚採集、明治41年以降海鳥の缶詰製造までもおこなってきた。古賀氏はまた明治17年以降小規襖な鰹漁を列島で営んできたが、明治38年(1905年)遠洋鰹漁3隻を内地で新造(注:明治39年五隻その後も毎年2〜5隻を建造し、このほか珊瑚採取船も毎年5隻平均新造している)させるともに、宮崎県下より鰹節製造職人数十名を雇い入れ列島にと派遣している。
さらに同氏は明治40年(1907年)福岡鉱山監督署に燐鉱石(グアノ)の採掘出願をおこない、同年8月19日これを認可されるや、ただちにグアノ(鳥糞)の採掘に着手した(注:グアノの採堀と積み出しは第一次大戦の結果価格が高騰し採算がとれなくなる大正8年頃までおこなわれた)。
古賀辰四郎氏の死亡後その嫡子善次氏によって開拓と事業が続けられ、とくに魚釣島と南小島で鰹節および各種海鳥の剥製製造、森林伐採などの事業が営まれてきた(注:古賀善次氏による事業の最盛期には鰹節製造の漁夫80人、剥製作りの職人、7、80人が魚釣島と南小島に居住していた。ただしア
ホウ鳥の鳥毛採取は乱獲と猫害などのため大正4年以降、また鰹節の製造も太平洋戦争直後に船舶用燃料が配給制となったため、
国有地の借用許可をえた古賀氏は翌明治30年(1897年以降大規模な資本を投じて尖閣列島の開拓に着手した(列島開拓のため古賀氏は最初の4年間、すなわち明治30年に35人、明治31年同じく50、明治32年29人、明治33年男13人・女子9人の労働者を列島に派遺した。
すなわち、同氏は魚釣島と久場島に家屋、貯水旅股、船着場、桟橋などを構築するとともに、排水溝など衛生環境の改善、海鳥およぴ鳥卵の保護、実験栽培(穀物、甘薯、野菜類)植林(樟苗、松、杉、柑橘類)、開墾(60余町歩)、牧畜、養蚕などをおこなってきた。その結果、明治42年には248名(99戸)の移民が列島に定住し、開拓事業に従事していた。この功績によって政府は同年11月22日古賀氏に藍綬褒章を授与した。
古賀氏は開拓事業と並行して明治17年(1884年)から継続しておこなってきたアホウ烏の鳥毛(羽毛および綿毛)採取、フカの鰭、海参、貝類、鼈甲採集に加えて、明治36年(1903年)以降海鳥の剥製(同年剥製造り職人十数名移住)、明治40年(1907年)以降珊瑚採集、明治41年以降海鳥の缶詰製造までもおこなってきた。古賀氏はまた明治17年以降小規襖な鰹漁を列島で営んできたが、明治38年(1905年)遠洋鰹漁3隻を内地で新造(注:明治39年五隻その後も毎年2〜5隻を建造し、このほか珊瑚採取船も毎年5隻平均新造している)させるともに、宮崎県下より鰹節製造職人数十名を雇い入れ列島にと派遣している。
さらに同氏は明治40年(1907年)福岡鉱山監督署に燐鉱石(グアノ)の採掘出願をおこない、同年8月19日これを認可されるや、ただちにグアノ(鳥糞)の採掘に着手した(注:グアノの採堀と積み出しは第一次大戦の結果価格が高騰し採算がとれなくなる大正8年頃までおこなわれた)。
古賀辰四郎氏の死亡後その嫡子善次氏によって開拓と事業が続けられ、とくに魚釣島と南小島で鰹節および各種海鳥の剥製製造、森林伐採などの事業が営まれてきた(注:古賀善次氏による事業の最盛期には鰹節製造の漁夫80人、剥製作りの職人、7、80人が魚釣島と南小島に居住していた。ただしア
ホウ鳥の鳥毛採取は乱獲と猫害などのため大正4年以降、また鰹節の製造も太平洋戦争直後に船舶用燃料が配給制となったため、
これは メッセージ 9 (senkaku_islands さん)への返信です.
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