Re: 尖閣諸島研究会 11P
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/07/13 21:10 投稿番号: [10 / 61]
中既された)。
大正十五年(一九こ五年)八月古賀辰四郎氏に貸与して
いた国有地四島の使用期間が満了したため、政府は以後一
年契約の有料賃貸に改め、貸地料金百三十六円六十一銭
(四・局八‥計額)を微収、引続き使用を認めた(大正十五年九
月から昭和六年三月までの四年八ヵ月)。
しかし、昭和七年(一九三二年)古賀善次氏が国有地四
島の払下げを申請してきたので、政府は同年三月三十一
日、これを有料で払下げた【注買売価格は魚釣島一千八百
。トお円、λ場島一一百四十七円、南小島四十七円。北小島三十】
円瓦F銭、なお所有哨移転竪記は、魚釣島および久楊島について
は同9瓦H二小LR南北二小島は同年七月一一十八日)。民有地
に移管された後の魚釣島など四島は有租地となったため、
同年十二月十五日賃貸価格が設定されるとともに、この貨
貸価格を基準とした地租が微収されることとなった(注
賃貸両恪は昭和十一年六月一日法伴第三六号により改訂された。
昭和七年の賃貸価格は九円Ξ十銭、昭和十一年六円二十銭)。
沖縄県は上述したごとく明治三十四年(一九〇一年)列
島に対する最初の公式測量をおこなってきたが、それ以前
よりあるいはその後も国もしくは地方の行政機関が、また
これら機関の許可あるいは奨励による学術調査団が、しぱ
しば尖閣列島に赴いている。
すなわち、明治三十三年(一九〇〇年)には野村道安八重
山島司が管内視察として列島に出張しているが、これには
沖縄師範学校教諭黒岩恒氏と宮嶋幹之助理学士(注東京
帝国大学教授箕作佳吉理学博士の推挙による。後の麦応大学医学
鮪教授)が学術調査に同行している(注この年古賀氏に黒
岩、宮嶋氏等の一行は魚釣島などに赴く途中亦限嶼に立寄り、上
陸記念のため英文と邦文からなる捧木を同島に廸立している)。
翌胴捨三十四年(一九〇一年)には臨時沖縄県土地整理
事務局の一行歎名とともに、沖縄県技師熊倉工学士が古賀
氏の依頼によって設計その他の日的で渡島している。さら
に明治三十七年こ九〇四年)には捺本賀昌沖縄県事務官、
中島謙次郎ハ重山島庁書記、宮。原景名ハ重山警察暑長の三
名が相前後して列島に出張するとともに、明恰四十年(一九
〇七年)九月大山男吉沖縄県技師、同年十月内田輔松八重
山警察署長、春田昂同瞥部ほか一名が情況視察その他の日
的で尖閣列島へ赴いている。明粕四十一年【】九〇八年)
にも沖縄県島尻水産学校教諌岩井氏と間校卒案生一名が缶
詰製造の方法など指導のために、また恒藤飢隆農学博士が
燐鉱石の現地検査のため渡島している。
さらに昭和十四年(一九Ξ九年)には農林省の資源調査
大正十五年(一九こ五年)八月古賀辰四郎氏に貸与して
いた国有地四島の使用期間が満了したため、政府は以後一
年契約の有料賃貸に改め、貸地料金百三十六円六十一銭
(四・局八‥計額)を微収、引続き使用を認めた(大正十五年九
月から昭和六年三月までの四年八ヵ月)。
しかし、昭和七年(一九三二年)古賀善次氏が国有地四
島の払下げを申請してきたので、政府は同年三月三十一
日、これを有料で払下げた【注買売価格は魚釣島一千八百
。トお円、λ場島一一百四十七円、南小島四十七円。北小島三十】
円瓦F銭、なお所有哨移転竪記は、魚釣島および久楊島について
は同9瓦H二小LR南北二小島は同年七月一一十八日)。民有地
に移管された後の魚釣島など四島は有租地となったため、
同年十二月十五日賃貸価格が設定されるとともに、この貨
貸価格を基準とした地租が微収されることとなった(注
賃貸両恪は昭和十一年六月一日法伴第三六号により改訂された。
昭和七年の賃貸価格は九円Ξ十銭、昭和十一年六円二十銭)。
沖縄県は上述したごとく明治三十四年(一九〇一年)列
島に対する最初の公式測量をおこなってきたが、それ以前
よりあるいはその後も国もしくは地方の行政機関が、また
これら機関の許可あるいは奨励による学術調査団が、しぱ
しば尖閣列島に赴いている。
すなわち、明治三十三年(一九〇〇年)には野村道安八重
山島司が管内視察として列島に出張しているが、これには
沖縄師範学校教諭黒岩恒氏と宮嶋幹之助理学士(注東京
帝国大学教授箕作佳吉理学博士の推挙による。後の麦応大学医学
鮪教授)が学術調査に同行している(注この年古賀氏に黒
岩、宮嶋氏等の一行は魚釣島などに赴く途中亦限嶼に立寄り、上
陸記念のため英文と邦文からなる捧木を同島に廸立している)。
翌胴捨三十四年(一九〇一年)には臨時沖縄県土地整理
事務局の一行歎名とともに、沖縄県技師熊倉工学士が古賀
氏の依頼によって設計その他の日的で渡島している。さら
に明治三十七年こ九〇四年)には捺本賀昌沖縄県事務官、
中島謙次郎ハ重山島庁書記、宮。原景名ハ重山警察暑長の三
名が相前後して列島に出張するとともに、明恰四十年(一九
〇七年)九月大山男吉沖縄県技師、同年十月内田輔松八重
山警察署長、春田昂同瞥部ほか一名が情況視察その他の日
的で尖閣列島へ赴いている。明粕四十一年【】九〇八年)
にも沖縄県島尻水産学校教諌岩井氏と間校卒案生一名が缶
詰製造の方法など指導のために、また恒藤飢隆農学博士が
燐鉱石の現地検査のため渡島している。
さらに昭和十四年(一九Ξ九年)には農林省の資源調査
これは メッセージ 9 (senkaku_islands さん)への返信です.
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