Re: taiwanboomさま、日本時代と現在の台湾
投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2005/12/20 11:54 投稿番号: [7576 / 10346]
cafe様
昭和10年代の台湾人と日本人(2)
<台湾人と日本人の接触>
私が住んだ街は台南市と花蓮港街それに台東街だけだが…。
商店街では両者は混在していたが、町の大半は台湾人街だった。
日本人は官舎などでまとまっていたようだ。
台湾人の店で買い物をすることが少なくなかったが、別段異和感はなかった
というより日本人の店と同じ感覚で買っていたようだ。
当時は台湾人の注文取りがよくきていた。
「奥さんきょうはチヌ鯛おいしいよ」とヘンな抑揚で言うのを記憶している。
その抑揚を、私がからかったことがあるから忘れないのだろう。
台湾人街には、学校の先生から「一人では行ってはいけない」と言われて
いたが、面白いところだった。
飴細工やコオロギの喧嘩の賭博、鶏を殺すところなど、いつまで見ていても
あきない。告げ口によって、先生から叱られたこともある。それでも懲りずに
よく行ったものだ。
台湾人には日本語が普及していて、買い物などはまったく不自由しなかった。
台湾での日本語は、東京弁でもなく正真正銘の「標準語」だった。
台湾人のクラスメートの日本語は完璧だったが、大人はヘンな抑揚があった。
私が内地の小学校に転校してしばらくは、国語の授業の初めに先生が
教科書のその日に教える部分を、必ず私に読ませていた。
そのために予習をしなければならず、私は「なぜボクだけが」と不満だった。
戦後台湾で会った老人の素晴しい日本語を聞いて納得した。当時の私も
このような綺麗な標準語を話していたのだから…。
あらためて当時の台湾の日本語教育の素晴しさを知った。
台湾に9年も住んで、私が覚えた台湾語は実に少ない。
数詞のほかは「リー、ゴワ」「カッキン」「ベッサイ」「ライライ」など。
「あなた、わたし」「急げ」「いけない、だめ」「来い」でいずれも命令調の
言葉である。当時の台湾人と日本人の関係を現している。
台東街(現台東市)では原住民は珍しくなかった。
上半身裸体に腰みのをつけ、蕃刀を腰に下げていた。
蕃刀は鞘を縦に割っていて刀身が見える。刀身が鞘から落ちないように
鞘の数箇所に針金を巻いていた。刃についた血が鞘にたまらないためだ。
原住民は、雑用をするために我が家にきていた。
庭で百日紅(サルスベリ)の木を薪にするために、蕃刀で一刀両断するのが面白くて
よく見ていた。このときの家は現在もそのまま。
切れすぎて原住民が自分の脛に切り込んで、母が出てきて大騒ぎしたことも
ある。そのとき使ったメンソレタームが効いたので、後に原住民が薬の名前を聞きにきた。
イレズミの記憶はない。女性の原住民の記憶もない。
(つづく)
昭和10年代の台湾人と日本人(2)
<台湾人と日本人の接触>
私が住んだ街は台南市と花蓮港街それに台東街だけだが…。
商店街では両者は混在していたが、町の大半は台湾人街だった。
日本人は官舎などでまとまっていたようだ。
台湾人の店で買い物をすることが少なくなかったが、別段異和感はなかった
というより日本人の店と同じ感覚で買っていたようだ。
当時は台湾人の注文取りがよくきていた。
「奥さんきょうはチヌ鯛おいしいよ」とヘンな抑揚で言うのを記憶している。
その抑揚を、私がからかったことがあるから忘れないのだろう。
台湾人街には、学校の先生から「一人では行ってはいけない」と言われて
いたが、面白いところだった。
飴細工やコオロギの喧嘩の賭博、鶏を殺すところなど、いつまで見ていても
あきない。告げ口によって、先生から叱られたこともある。それでも懲りずに
よく行ったものだ。
台湾人には日本語が普及していて、買い物などはまったく不自由しなかった。
台湾での日本語は、東京弁でもなく正真正銘の「標準語」だった。
台湾人のクラスメートの日本語は完璧だったが、大人はヘンな抑揚があった。
私が内地の小学校に転校してしばらくは、国語の授業の初めに先生が
教科書のその日に教える部分を、必ず私に読ませていた。
そのために予習をしなければならず、私は「なぜボクだけが」と不満だった。
戦後台湾で会った老人の素晴しい日本語を聞いて納得した。当時の私も
このような綺麗な標準語を話していたのだから…。
あらためて当時の台湾の日本語教育の素晴しさを知った。
台湾に9年も住んで、私が覚えた台湾語は実に少ない。
数詞のほかは「リー、ゴワ」「カッキン」「ベッサイ」「ライライ」など。
「あなた、わたし」「急げ」「いけない、だめ」「来い」でいずれも命令調の
言葉である。当時の台湾人と日本人の関係を現している。
台東街(現台東市)では原住民は珍しくなかった。
上半身裸体に腰みのをつけ、蕃刀を腰に下げていた。
蕃刀は鞘を縦に割っていて刀身が見える。刀身が鞘から落ちないように
鞘の数箇所に針金を巻いていた。刃についた血が鞘にたまらないためだ。
原住民は、雑用をするために我が家にきていた。
庭で百日紅(サルスベリ)の木を薪にするために、蕃刀で一刀両断するのが面白くて
よく見ていた。このときの家は現在もそのまま。
切れすぎて原住民が自分の脛に切り込んで、母が出てきて大騒ぎしたことも
ある。そのとき使ったメンソレタームが効いたので、後に原住民が薬の名前を聞きにきた。
イレズミの記憶はない。女性の原住民の記憶もない。
(つづく)
これは メッセージ 7568 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqbfma4hkdc5a4a4g8rnae_1/7576.html