新しいトピたてずにはいられない!!

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台湾台風被害復興情報

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/08/24 02:56 投稿番号: [171 / 1869]
natunokaze001様:
題目を変えさせてください。8月18日に米国国務省の報道官、Phillip
Crwley氏は人道救済の緊急援助発動に、米国は台湾以外の何処の国も
連絡する必要が無いと、沖縄米軍基地から救援物資を台湾の台南空港に
入った。この方針は今後も何処でも堅持されると発表しています。久々の
米軍輸送機の台湾着陸でありました。日本は少なくとも、中国の反響を
見てから援助と動き出すのではないですかね?米軍機は早い援助となりました。

Re: 日月譚、台湾電力会社、工業化の父高木

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/08/24 00:24 投稿番号: [170 / 1869]
あげる。

Re: 日月譚、台湾電力会社、工業化の父高木

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/08/17 03:30 投稿番号: [167 / 1869]
yuyfui様;おっしゃる通りです。まともに交渉の相手となる輩では
ありません。ロシヤは戦後直ぐ満州、北部中国駐屯の日本軍兵士を送還
するべきでした。だがだまし討ちでシベリヤ方面に拉致した数大体76万人で恐らく死傷者は7万以上でしょう。連合国相手に終戦処理を仲介して進めてもらいながら(全然すすめなかった)依頼した相手が強盗であったのです。順調にソ連が交渉を進めていたら原爆投下もなかったでしょう。捕虜のへの罰は決まって、人間凍死の刑罰でありました。一晩木に捕虜をくくりつけて置くと凍死しています。−50C辺りの獄寒の中では間違いないですね。1956年
馬鹿な日本外交は北方四島を返還してもらえるとぬか喜びして日露共同声明に日本側よりの一切の戦争賠償権利を放棄する旨で署名していました。領土は帰らずに、賠償金(遺族や身体不具者)は取れない子供騙しに会いました。
鉄のカーテンを意地で通したのは米国の、英国の歴々の首相達です。一歩も譲らずにロシヤ国が崩壊するまで粘ったレーガン、サッチャーの二人に見習って貰いたいですね。それは相手が騙しの天才外交であるからです。彼等は条約などを紙切れとしか考えないでしょう。スターリンこそ、国際裁判で
血祭りに揚げるべきスーパーA級戦犯なのです。

Re: 日月譚、台湾電力会社、工業化の父高木

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/08/16 07:01 投稿番号: [166 / 1869]
私は、露、中、朝半、は、どうしても好きになれません。其の国の為政者
は何を考えて居るんでしょうか?どうしても許せないのは、露ですね
不可侵条約を破り、捕虜にろくな食事も与えず酷使して大量の死者を出し
領土は返さずで世界の国々ではどう思っているんでしょうか?

Re: 日月譚、台湾電力会社、工業化の父高木

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/08/16 03:29 投稿番号: [165 / 1869]
natsunokaze 001様:
終戦記念日64年目ですから、今日は静かに当日を思い出して見たいと

思います。矢張り我々は日本の激動期に生まれ、育ち、人生を送った

のですね。1956年でしたか、日本はソ連と共同声明を出す際に、今後は

一切の賠償請求をソ連に出さないと約束して署名しました。爾来北方

四島は帰るはずが無視されてしまい、シベリヤでの軍人捕虜の死傷者

7万人以上の不当、国際法違反、損害賠償ができません。武器無き交渉の

外交で日本はことごとく負けつずきであります。武器ある交渉の外交に

転身するべきですね。平和運動を進める御仁たちが今も日本は平和で有ると

もうしています。暢気な爺さんの夢物語です。米国の傘の下に居るから平和

なのです。平和運動で核無しの宣伝を勧めてきました。だが核を持たない国家が

ふえましたか?核を持つ国家ばかりが急増しています。効果が出ない運動

は時間と経費のむだであります。

Re: 日月譚、台湾電力会社、工業化の父高木

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/08/09 12:09 投稿番号: [163 / 1869]
natunokaze001様:
中国共産党といえば磐石の歴史と礎があるかとおもったが、そうではなくて
内部で政争が激しいらしいですね。胡錦濤主席が急遽G9サミットをキャンセルして緊急に帰国したのはウルグイの騒動の案件で帰国したと思ったが、実はそうではなくて、反対側にたつ江沢民とその愛弟子の副首相の習近平常任委員の胡錦濤の右腕の李克強常任委員の子分二人の財蓄が暴露されたので、この際に李克強も追い落とす策にでたらしいです。胡氏は帰国して、ウルグイ騒動の鎮静化と蓄財暴露の解決と子分の救出にはせ参じたのです。
軍部にまだ影響を持つ江沢民がもしかして画策する党内部の政争は政党が脆弱であり、政争の真中にあることを示しています。思いのほか、危ない
政府バランスでありますね。

台湾下淡水渓(高屏渓)の飯田豊二技師の苦労

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/08/04 00:26 投稿番号: [161 / 1869]
natsunokaze 2001様:
静岡県出身の若い帝大工学部卒の技師、飯田豊二さんが総督府の技師
として赴任して鳳山の隣の九曲堂の土木出張所の主任となり、東洋一長い
下淡水渓をまたぐ鉄橋工事を監督しました。私は父に連れられて一度、
九曲堂駅に近い飯田さんの胸像を見にいきました。次に詳しく書いてみます。

Re: 日月譚、台湾電力会社、工業化の父高木

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/07/28 22:55 投稿番号: [159 / 1869]
すばらしい歴史の一ページをありがとうございます。

日月譚、台湾電力会社、工業化の父高木友枝

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/26 09:27 投稿番号: [158 / 1869]
natunokaze001様;
素晴らしい将来を捨てて、台湾に招聘された高木友枝医学博士は現在の
台湾大學総長と総督府医院長を終えた後、医療行政も台湾経済が発展し
無ければ、駄目で有ると判断、辞職して自分で電力会社を創設、社長に
座りました。是が総督府と協同で日月譚のダムを完成させて(1934年)台湾全土に送電することにより工業化の父となった。今も台湾全土に送電する
電力の半分を支給している日月譚の機能である。綺麗な湖面と静かな原住民のふるさとであった湖は大きな濁水渓からの水構を経て豊な水を称え、観光の名所になっている。昔の官僚は奉公精神に富み、後藤新平が医者であったが、行政に手腕を揮い、高木友枝は昭和の急激な台湾工業化の源泉である、
電力制度の拡大に邁進したところがちがいますね。彼は北里芝三郎の弟子で
ありました。同じ弟子の志賀潔博士は京城帝大総長に派遣されて弟の直氏は
台湾大學(台北帝大の医学部)の細菌学教授で派遣されたが休暇で帰国する途中潜水艦攻撃を受けて死んだのです。森鴎外兄弟は医学者として総督府(短期)と
台北帝大の医学部の解剖学の教授で引き上げまで長期勤務したのです。高木は偉大な先見の見通しの良い台湾開発者でありました。福島県出身ですと。

Re: 新しいトピたてずにはいられない!!

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/07/23 00:42 投稿番号: [156 / 1869]
新しいお話ありがとうございます。

図書館は家近くです。とほ10ッぷんぐらいです。

丁度その図書館に産経おいてあります。〔他の日本新聞はなし〕
日曜日に行って見ます。

では〜〜

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/22 14:51 投稿番号: [155 / 1869]
natunokaze001様:
台湾の官設農業集落は香川県の吉野川の氾濫から生じた避難民を政府が斡旋
して花蓮港庁の原住民の諍いで生じた土地に農業移民を定着させて、吉野村
があります。その後玉里、瑞穂、などが誕生しました。終戦時にはすでに2−3世の世代でありました。日本語、台湾語を日常語にした若手がいましたが、徴兵に取られて多くが戦病死して、もっと若い十代初期の若者がいました。
異国で見た事も無い日本に旅たつのは、不安一杯でした。在台を蒋介石に
拒否さて手、仕方なく異国へ旅たちましたが、日本では苦労三昧でありました。米国占領下であったから当然市民権を獲得できて永住できた筈ですが。
中華民国政府でも永住を認可するべきでありました。大きな尊厳と財力を
無くして日本にいきました。これらの農業集落も含めて書いてくださる?

Re: 新しいトピたてずにはいられない!!

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/07/22 10:58 投稿番号: [154 / 1869]
  nipponndaisuki003様

  暑い中大変でしたね。

  また台湾で偉業を成し遂げた日本人の記事を見つけました。

  7月11日の産経新聞14版を見て戴けませんか?

  日台つなぐ   環境ダム   屏東県へ大正12年に小さい地下ダムを

  作り現在も利用されており台湾より胸像が6月に贈られたとの

  記事です。鳥居信平をyahoo japan   で検索してみて下さい。

  11日は早く家を出たので今朝整理をしましたらこの記事に

  出会いました。二度手間をかけさせて御免なさい。

  ”台湾を語る”に投稿しましたが焦っていました。

  暑いので体調管理は十分行って下さい。

Re: 新しいトピたてずにはいられない!!

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2009/07/21 23:09 投稿番号: [153 / 1869]
あがれ。

Re: 新しいトピたてずにはいられない!!

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2009/07/19 23:50 投稿番号: [152 / 1869]
yuwfui さん;

今朝図書館へ行ってきました。産経の15日、確かに読んできました。
すばらしい記事でした、それもふたつ並んで、、、
コピーもとってきました。

それについてお話できたらうれしいです。

真夏の季節、くれぐれもお体大切に、、、

Re: natunokaze001様へ

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/07/19 23:09 投稿番号: [151 / 1869]
「開拓者の夢」ご紹介ありがとうございます。

書店で注文ができると思います。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/19 11:11 投稿番号: [150 / 1869]
題名が『開拓者の夢』と言う戦後日本へ台湾から留学した張文山という

作家が終戦後に玉里村を中心にして描く『戦時中の金銀寶話』に取り付かれた村人の隠れた日々の生活、いさかいなどの台湾島殺人想行を描いた本です。
ほにんは昭和8年玉里生まれで、国民学校から旧制工業学校へ進み、1年生で終戦、台湾芸大に進み、千葉大学、英米文学科に留学、卒業、今は
通訳と台北市大同工学院(工科大學)の日本語教授をされています。

発行所は総意力文化事業有限公司です。台北市大安区大安路一段106巷
19号一楼とあります。Tel=(02)772-3145です。
結構日本人にも向く211ページの
単行本であります。
参考まで。

Re: 新しいトピたてずにはいられない!!

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2009/07/18 23:43 投稿番号: [149 / 1869]
またまた、ごめんなさい。

今日は台南から台北へ帰りました。ほとんどの時間がバスの中でした。

明日行きます。

Re: 新しいトピたてずにはいられない!!

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/07/17 22:46 投稿番号: [148 / 1869]
yuwfui さん;ごめんなさい、今日、図書館へ、行き損ねました。

必ず見てきます。ある図書館は産経を訂閲いるが、あるのは読売をとっています。だから2〜3処、回らなけりゃできないかもです。

ごめんなさい、言い訳して〜〜〜

Re: 新しいトピたてずにはいられない!!

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/07/16 21:36 投稿番号: [147 / 1869]
メッセありがとうございます。

7月15日の   産経新聞の1面と8面を見て下さい。<<<
猛署の話かな?明日図書館で見てきます。

Re: 新しいトピたてずにはいられない!!

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/07/16 10:38 投稿番号: [146 / 1869]
natunokaze様

  暑いですね!

  7月15日の   産経新聞の1面と8面を見て下さい。

    暑いのでご自愛して下さい。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/13 07:15 投稿番号: [144 / 1869]
natunokaze001様:
『海外にいる台湾好きの方、台湾人の方」の2009/7/11/;No.1595/1595
のトピを場所を間違えて、かいてしまいました。題名は『涼しいところ;清境農場
は涼しいし、静かーー」であります。一度読んでみてくださる。
失礼しました。御免なさい。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/12 11:24 投稿番号: [143 / 1869]
yufui様:
横から入ります。よろしく。座間に出帆した13−18歳の優秀な本島人
の学生も含めて大部分の日本語族には反日は居ないでしょう。親日か知日
でしょう。然し日本政府は日本人として彼等を待遇したかどうとなると、
やや落第生でありましたね。座間に勤労奉仕を募ったとき、契約期限がおわったら、工業学校卒業の資格を与えると宣伝されて裕福では無い一般家庭の
師弟は中等教育が台湾では難しいので応募したが是は反故にされました。帰国には、
日本船は無くて、放置されて半年も船舶さがしをしたのです。こんな酷い仕打ちを受けたにもかかわらずに、彼等は大和市の足跡をしたってくれます。相当台湾人は度量も広く、寛容であり、当時の在台内地人の我々よりずっと
本気で日本を守る中心になろうとしたのです。ここらへ光を当てて、台湾
の国語世代をみていきたいとおもいます。いかがでしょうか。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/12 11:22 投稿番号: [142 / 1869]
yufui様:
横から入ります。よろしく。座間に出帆した13−18歳の優秀な本島人
の学生も含めて大部分の日本語族には反日は居ないでしょう。親日か知日
でしょう。然し日本性フィは日本人として彼等を待遇したかどうとなると、
やや落第生でありましたね。座間に勤労奉仕を募ったとき、契約期限がおわったら、工業学校卒業の資格を与えると宣伝されて裕福では無い一般家庭の
師弟は中等教育が台湾では難しいので応募したが是は反故にされました。帰国には、
日本船は無くて、放置されて半年も船舶さがしをしたのです。こんな酷い仕打ちを受けたにもかかわらずに、彼等は大和市の足跡をしたってくれます。相当台湾人は度量も広く、寛容であり、当時の在台内地人の我々よりずっと
本気で日本を守る中心になろうとしたのです。ここらへ光を当てて、台湾
の国語世代をみていきたいとおもいます。いかがでしょうか。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/10 05:54 投稿番号: [140 / 1869]
yufuiさん:
蒋介石に感謝するならトルーマンとチャーチルに感謝するのが至当です。
邪魔に成ル日本軍人と内地人を早く台湾からは排除したい彼でしたが、運ぶ
船舶も食料も、船員も皆無でありました。中華の軍人を大陸から台湾に連行しtのも米国極東司令部で我々が引き揚げた船舶の提供も米国で食物もそうでした。引き揚げ基準を作り何をもって帰られるかを決めた野の在日米軍で
在台米国大使館、領事館が基準を持っていました。乗り組船員だけは日本人でありました。蒋介石政府がやった役は突堤で乗船する日本人の身体検査で
ありました。その目的は説明する必要がないでしょう。蒋介石はすでの膨大な台湾企業、土地、建築ビル、インフラ、農業、砂糖、産業を奪取していました。2年は何もしなくても行政できると言われたとおりでした。
行政院は政府であり、立法院が議会ですね。行政院長は首相ですね。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/09 09:48 投稿番号: [139 / 1869]
natunokaze001様:
内台結婚秘話(悲話)の抜粋が『『台湾の大東亜戦争(文学、メデア、文化)』に要約されtれいます。藤井省三、黄英哲、垂水千恵で東京大学
出版会ででています。多くの同じ趣旨の作品から時計草を選んだのは歴史事実にもとずいた霧社の下山一家の結婚で感情を分析しているからです。
山本零子(阪口は結婚後の名前)の時計草は1942年出版で作家、中島利郎に伝えたのを彼が小説的に出版したそうです。『座談会、私の霧社事件」、許介鱗著の『証言霧社事件』所収、東京、草風館、1998年で110ページである。
中島利郎『阪口零子作品解説』、『日本統治期台湾文学日本人作家、作品集、
第五巻』東京、緑陰書房、1998年、562ページであるそうです。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/07/08 13:03 投稿番号: [138 / 1869]
その節は大変お世話になりました。
”台湾を語る”のトピで補償の事が書かれていましたので私達が受けた
教育を書きたいと思っています。戦後日中戦争補償問題で、蒋介石は
日本に対して補償は求めない、捕虜は捕らないで即時帰国させると発表。
教師はあれだけ損害と迷惑を掛けたにも拘わらず補償を放棄した蒋介石は
偉大な人物だと教わりましたので、昭和55年に観光で行った折には
憲兵が護る安置所まで行きました。事実10年前までは、今の日本が有るのは蒋介石のお蔭と言う事を信じていました。教育の恐ろしさを知りました。
終戦前に試験で合格した少年8000人を日本へ送り勉強させたのは極
短期間で戦闘機造りに従事苦労をさせたが、終戦のどさくさで其のまま
政府は放置したと言う話しを聞きましたが少年工達は独自で規律を守り
21年に帰国したそうです。7年位前に厚生省社会援護局?が海軍工廠の
修了証と卒業証の授与式に800人位来日しました。私は尋ね人が居りましたので座間市まで行きましたが残念乍来日してませんでした。
証書など貰って今更何の役にたつのか?
日本を怨んでいませんか?補償金の請求は?など色々聞きましたが
誰一人として、不平、不満を言う人はいませんでしたし、当時の教育の
お蔭で今の私達が有るんだし、日本人(当時)として当たり前の事をしたんだと、胸を張り答えておりました。辛かった事は?寒さが一番辛かった
と!!日本は第二の故郷だとも言ってました。式典の入場に際しては
県別でしたが、一人が前で、四列縦隊っ   歩調をとれっ   進めっ   の
合図で行進しながら、高雄、チャンファ、が入って行きました。
式典はわたしは二階から拝見致しました。もう皆さんも80歳近くなると
思いますが当時の少年工の特集でも出来れば嬉しいと思います。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/07/08 05:16 投稿番号: [137 / 1869]
あがれ!!

Re: natunokaze001様へ

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/07/05 21:02 投稿番号: [136 / 1869]
「時計草」読んでみたいものです。
探し出すには、どのような手口をたどればいいのでしょうか?
ぜひ、一読したいもんです。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/07/04 02:42 投稿番号: [135 / 1869]
natunokaze001様;
内地人と本島人の若い間で起きた、数々の恋愛、結婚から当然起きた混血児
の苦渋を背景に書いてみるのも良いかもしれません?
1942年2月の女流作家の坂口零子の書いた『時計草』は霧社の実在した
混血と内地人の二人の背景を添えつつ書いた傑作です。だが当時は、この種の結婚は奨励されていたにもかかわらず、難しい影をもっていました。この48ページの寸話は削除の連続にあいまして、台湾時報、1941年9月に
阪口の『鄭一家」などで内台結婚・恋愛などが披露されました。当然、血の
問題がでてきました。さて『時計草』が手に入るかどうかは、至難の業でありますが。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/06/28 14:45 投稿番号: [132 / 1869]
kazenouta001様;
内地人で戦前、戦時、戦後を体験した人も少なくなりつつあります。米国で
台湾系の国語世代に多くあいました。昭和20年10月に復学した高雄第一中学
ではほとんど内地人の学生はキャンパスにはみえませんでした。昭和21年2月に1年生終了証書を事務室に貰いにい行くと、内地人の事務屋さんが一人だけいました。今頃何しているのだと叱られました。引き揚げの準備をしろと申します。学生ですから出来るだけ学んで帰りたいともうすと、危険が迫っているからと忠告されて最後の学生として高雄港からかえりました。毎日の北京語の学習と市や街が急に汚染されて景色がかわりました。私のほぼ同じ年齢の中華兵がうろうろしだして全てが珍しいらしく山奥から来た少年兵集団
であると感じました。彼等に日本軍が負けたとは、かんがえられませんでした。同時に本島人の高い文化と大陸からの低い文化は衝突するだろうと憶測
しました。2−28事件が直ぐ起きたのです。
nachitakaoより。

natunokaze001様へ

投稿者: kazenouta001 投稿日時: 2009/06/27 23:00 投稿番号: [131 / 1869]
natunokaze001様へ

喜んでいただいて何よりです。
返信は高雄様宛てになってしまいましたが,タイトルをご覧くださいませ。
natunokaze001様へと書いてございますでしょう?

>どのようにして、連絡すればよいのかもわからないうえに、連絡したとて、笑いものされるでしょう。
残念なことですね。

そんなことはありませんよ!
どうか、希望を持ってよい小説をお書きになられますようにと、心より願っております。

連絡先はキネマ旬報社でいいんじゃないでしょうか?

ご健闘を祈ります!

なお、メールにて他のサイトのものもお送りしましたので、ご覧くださいませ。

Re: natunokaze001様へ

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/06/27 22:12 投稿番号: [130 / 1869]
高雄様の返信になっておりましたが、それとは気付かぬ、クリックしてしまいました。
そしたらなんと、私にとって、この上ない大事な情報ではないかと、びっくりしました。
これから着手する、小説の2〜3本、この方に使ってもらえたら、さぞ、面白いかなーと考えてしまいました。
どのようにして、連絡すればよいのかもわからないうえに、連絡したとて、笑いものされるでしょう。
残念なことですね。

natunokaze001様へ

投稿者: kazenouta001 投稿日時: 2009/06/27 14:40 投稿番号: [129 / 1869]
http://kaze.shinshomap.info/special/19/01.html

Re: 民国海軍旗艦「丹陽」

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/06/27 03:03 投稿番号: [128 / 1869]
yoshi3jpさん:金剛と榛名の熾烈な艦砲射撃に合いーーーでありました。武蔵ではありません。改正します。

Re: 民国海軍旗艦「丹陽」

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/06/27 03:00 投稿番号: [127 / 1869]
yosh 3jpさん:
ガダルカナル奪回の米国は必至で上陸軍を援助しましたが、武蔵、金剛の
砲門の熾烈さに適わぬと被害を受けたホーネット空母をハワイに回送して一時退却を要請したが断られた後、失脚したのが優秀な提督ロバート・ゴームリー南太平洋艦隊司令でありました。真珠湾で艦隊が全滅して、昭和17年末には空母は一隻もなかった米国は大西洋艦隊を徐々に太平洋に回遊するのに時間がかかりました。断然優位に立っていたのに、負けたので武器、弾薬、艦船の多少は言い訳になりますね。このガダル・カナルの陸軍輸送から食糧
輸送まで参加して沖縄戦まで参加したのは雪風駆逐艦でしたね。一番多く生き延びたのは駆逐艦で敵潜水艦は相手にしにくいでしょうからね。でも駆逐艦を使い兵卒の輸送や、食糧の輸送をやって異常な被害をこうむった戦略は
日本海軍の恥でありました。雪風は千島列島のキスカの連隊の撤収作戦には
参加しなかったですかね。駆逐艦の兵卒の撤収作戦で成功した自慢の勝利(逃げるが勝ち)でしたが、是も正常の駆逐艦の使用ではなかったですね。

民国海軍旗艦「丹陽」

投稿者: yosh_3jp 投稿日時: 2009/06/26 12:07 投稿番号: [126 / 1869]
数年前に戦艦大和の映画が話題になり、将軍・提督の話で思い出したのが
「丹陽」です。   日本海軍駆逐艦「雪風」で知られています。
記憶がいいかげんなのでネットで調べたら

1940年(昭和15年)佐世保工廠にて竣工
スラバヤ沖海戦、ミッドウェー作戦、ソロモン海戦、ガダルカナル撤退作戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、菊水作戦(大和沖縄特攻)
宮津湾にて終戦
戦後は特別輸送艦として武装を撤去し中国・南方より復員作業(合計13000名)
昭和22年(1947)上海にて中華民国に引き渡され中華民国艦隊旗艦「丹陽」となる
金門島付近で中華人民共和国の軍艦と砲戦

1960年代末期には練習艦として使用
1966年除籍
1970年5月に台風により座礁し解体処分
1971年(昭和46)に台湾から雪風の錨と舵輪が雪風保存会に送られ、海上自衛隊に寄贈された。現在江田島にある
スクリューは現在高雄の海軍軍官学校にある
旗津で台湾老兵世界平和祈願公園の建設をめざす許昭栄さんは「丹陽」機関兵
      http://rinnkennryou.blog24.fc2.com/blog-entry-75.html
海上自衛隊最初の護衛艦は「ゆきかぜ」

負け戦に多く出つづけ、沈没した僚艦の兵士を助けたのですが
逆に言うと「疫病神」のように思われていたそうです。
幸運も重なりすぎると周囲から妬まれるのですね。
錨が江田島にあるのは知っていましたが、何とスクリューが高雄にあるとは知りませんでした。一度見たいものです。
護衛艦「ゆきかぜ」の名前は海上自衛隊関係者の思いが想像できます。

残念なことに、民国海軍で「丹陽」がどうしていたのか、どこが母港だったのか(多分高雄では?)わかりませんでした。

natunokaze001様へ;提督のキャラクター

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/06/26 10:21 投稿番号: [125 / 1869]
キンメル米国艦隊司令長官は嫌われ者で付き合いの悪い人物でありました。その下についたのがチェスター・ニミッツ提督で能吏方の生真面目ですが少将の事件にはびくともしない事務屋でした。彼の心臓は磐石で太平洋より広いといわれたそうです。太平洋艦隊司令長官でありました。ニューギニヤ、タラワ、まキン、ぺリュリューの島で負けた日本軍の武勇を慰霊碑を作り刻んだ名句は『この島に来た者全部聞け。この島を死守して勇敢に戦闘した日本軍兵士の勇猛さを故国に帰り友人に伝えて呉れ』と石碑がたっています。侍がいましたが、米国にはヤンキーがおりました。南太平洋艦隊司令長官と
唯一の機動部隊を指揮したゴム・ベリー提督と海戦熟練のフレッチャー提督を進撃速度が遅いとアラスカの千島に長く左遷せさせました。そして、今までいたすプルーアンス提督(機動部隊司令)と新任の鬼のハルゼーを機動部隊の指揮をとらせました。ハルゼーは海兵を失敗したので、母親が白亜に大統領を強引に押し寄せて、息子の推薦状を書けと迫りました。この年上のハルゼーは太平洋で一番の功績をあげたのです。前の左遷の二人とにミッツ提督は本土の絨毯爆撃には反対でありました。スプルーアンスヤハルゼーは
実行実践型でじゃっぷを殺せ、もっとじゃっぷを殺せと突進した提督でした。二つの艦隊を二人で交互に指揮を変わりましたので日本軍は迷ったそうです。アナポリス兵学校の定員を増やしたのもf。ルーズベルトでありました。大和はひた隠しでいた日本と比べて、1隻しか残っていない時期にヨーク
ターウンを表にだして、空母の存在を誇示したのです。全員彼等は航空機の
パイロットでありました。機動部隊を指揮するには航空術を知っておくべきでした。ハルゼーは52歳でライセンスをとったのです。彼等は日露海戦での
東郷元帥を尊敬していました。ハルゼーも訪問寄港した折、元帥を胴上げした一人でした。南雲や山本元帥がパイロットであったならば、ミッドウエイ
では勝利したのではないでしょうか。偵察機を雲の上を飛ばした間違いは偵察の本質を忘れていないでしょうか。分析やの二ミッツに比べて閃きやの
山本でありました。後方で指揮を取った山本でしたが、二ミッツは太平洋を
飛んで指揮をとりました。彼は航空局長で飛行機専門であったのです。

Re: 海軍の将官は「将軍」でなく「提督」

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/06/25 14:16 投稿番号: [124 / 1869]
yosh3jpさん:
此処で久しぶりですね。日本軍の主導を握ったのは、矢張り陸軍であったでしょう。ですから、陸軍兵の移動が大変でした。上陸用舟艇がなくて、不便
でしたね。機動部隊が海空の制海権を制空権をにぎり、陸地では海兵隊が
主導する米国式ではなくて、陸軍を現地に送るのが艦隊の役目でありました。即ち機動性で勝負する考えは余りなかったのでしょう。真の機動部隊の
戦闘なら、ミドウウエイで失敗した山本、南雲両提督は首であり、直ぐ小沢
治三郎中将が唯一の航空戦略専門であったので引き継ぐべきでしたね。年功序列、卒業先輩、責任を取らない、決断薄いなど今の官僚の素質そっくりですね。米国も陸軍、海軍は折り合いが悪いが、日本はもっと酷いもので、
戦略でも協力が少ないものでした。空軍は日本では、Marshallですかね?

Re: natunokaze001様へ

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/06/25 10:34 投稿番号: [123 / 1869]
無視リストとは、私が書いたのですか?

これについて、私は意味が解りませんが、、、?

ごめんなさい!!!

Re: natunokaze001様へ

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/06/25 04:00 投稿番号: [122 / 1869]
natunokaze001様;
無視リストで読めないとありますが、誰が決める事項でありますかね。
さっぱり聞いた事がないので、不思議であります。いきさつを聞かしてください。
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