natunokaze001様へ;提督のキャラクター
投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/06/26 10:21 投稿番号: [125 / 1869]
キンメル米国艦隊司令長官は嫌われ者で付き合いの悪い人物でありました。その下についたのがチェスター・ニミッツ提督で能吏方の生真面目ですが少将の事件にはびくともしない事務屋でした。彼の心臓は磐石で太平洋より広いといわれたそうです。太平洋艦隊司令長官でありました。ニューギニヤ、タラワ、まキン、ぺリュリューの島で負けた日本軍の武勇を慰霊碑を作り刻んだ名句は『この島に来た者全部聞け。この島を死守して勇敢に戦闘した日本軍兵士の勇猛さを故国に帰り友人に伝えて呉れ』と石碑がたっています。侍がいましたが、米国にはヤンキーがおりました。南太平洋艦隊司令長官と
唯一の機動部隊を指揮したゴム・ベリー提督と海戦熟練のフレッチャー提督を進撃速度が遅いとアラスカの千島に長く左遷せさせました。そして、今までいたすプルーアンス提督(機動部隊司令)と新任の鬼のハルゼーを機動部隊の指揮をとらせました。ハルゼーは海兵を失敗したので、母親が白亜に大統領を強引に押し寄せて、息子の推薦状を書けと迫りました。この年上のハルゼーは太平洋で一番の功績をあげたのです。前の左遷の二人とにミッツ提督は本土の絨毯爆撃には反対でありました。スプルーアンスヤハルゼーは
実行実践型でじゃっぷを殺せ、もっとじゃっぷを殺せと突進した提督でした。二つの艦隊を二人で交互に指揮を変わりましたので日本軍は迷ったそうです。アナポリス兵学校の定員を増やしたのもf。ルーズベルトでありました。大和はひた隠しでいた日本と比べて、1隻しか残っていない時期にヨーク
ターウンを表にだして、空母の存在を誇示したのです。全員彼等は航空機の
パイロットでありました。機動部隊を指揮するには航空術を知っておくべきでした。ハルゼーは52歳でライセンスをとったのです。彼等は日露海戦での
東郷元帥を尊敬していました。ハルゼーも訪問寄港した折、元帥を胴上げした一人でした。南雲や山本元帥がパイロットであったならば、ミッドウエイ
では勝利したのではないでしょうか。偵察機を雲の上を飛ばした間違いは偵察の本質を忘れていないでしょうか。分析やの二ミッツに比べて閃きやの
山本でありました。後方で指揮を取った山本でしたが、二ミッツは太平洋を
飛んで指揮をとりました。彼は航空局長で飛行機専門であったのです。
これは メッセージ 123 (natunokaze001 さん)への返信です.
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