竹島

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隠州視聴合紀の「国代記」3/3

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/04/19 21:26 投稿番号: [8727 / 18519]
韓国が「此の州」を隠岐島だと解釈する。しかし、、、、


「韓国の領土」(1969年刊行)の著者である李漢基氏は、
「隠州(隠岐島)を日本の乾(西北限界)としていることは分明である。
日本側は鬱陵島と独島が西北限界と誤読している」と主張したのである。

さらに、慎?廈氏も「独島の民族領土史研究」(1996年刊行)で
?の此の州を以て限りと為す。その「此州」を隠岐島と解釈した。
そして、「日本側の資料は、発掘者の意図とは異なっている。これは鬱陵島と独島が高麗の領土である」と決めつけた。

彼は?〜?と?を省き、以下のように読んだわけである。

? 隠州(隠岐島)は、北の海の中にあり、故に隠岐島という
? 戌亥(北西)の方向、行2日1夜行けば、松島(現在の竹島)がある。
? そこから一日ほどにて竹島(現在の鬱陵島)がある。
? この2島、無人の地である。ここから高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
? 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。


両氏は、「此州」が日本の北西限である理由を説明した最も重要な箇所を無視し、齋藤豊仙は鬱陵島を日本領としていた、とする日本側の解釈を「誤読」と断言したのである。

李漢基氏や慎?廈氏ら韓国側の研究者は、?と?だけを引用して、日本の「隠州視聴合紀」も隠岐島を日本の北西限としていたと、反論しているのである。

明らかに、牽強付会の説である。

それでは?の前に接続詞の「然からば」を入れた意味が無くなってしまう。
ここでの「然からば」の役割は、雲州(出雲)より隠州(隠岐島)を望むが如く、竹嶋(鬱陵島)から高麗(朝鮮)が望める事を強調する事にあるからである。
そして、日本側から高麗(朝鮮)が望めるのは、「国代記」の中では鬱陵島だけである。

史料の一部を抜き出して解釈するのは問題があろう。全体を読んで解釈すべきである。


1770年代の長久保赤水の「日本輿地路程全図」にも、隠州視聴合紀からの引用があり、「此の州」を竹島(=鬱陵島)としていることも解る

さらに、1785年の林子平の『三国通覧輿地路程全図』に於いても、「此の州」を竹島(鬱陵島)として理解している。

>い、いやそれは・・・

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/04/19 20:58 投稿番号: [8726 / 18519]
>引用を意図的に、時代背景を無視して、騙してるというのが、真実では?

資料提供で多大な貢献してますから、勘弁してあげて。
おかしなところはみんなでつっこめばよいでしょ。

半月城氏のいないこのトピなんて、曹操の居ない三国志よりつまんないよ。

い、いやそれは・・・

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/04/19 20:41 投稿番号: [8725 / 18519]
>時々引用と解説がかけ離れていたりするもので。

引用を意図的に、時代背景を無視して、騙してるというのが、真実では?

innocence

投稿者: jijihuhujiji 投稿日時: 2005/04/19 19:03 投稿番号: [8724 / 18519]
私が最初、意地悪だった事は反省です。f^_^;

綺麗だろうと思ったのも事実です。

ただ、今の状況での観光は遠慮したいです。


勿論mattoyaさんに邪気はないのでしょうけど。

ところで、つづり適ってまず?(・ω・;)(;・ω・)

隠州視聴合紀の「国代記」2/3

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/04/19 17:34 投稿番号: [8723 / 18519]
隠州視聴合紀の「此の州」とは鬱陵島である


日本は、
? 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。
と記されている事から、「此州」とは鬱陵島の事と解釈し、それより東にある竹島(独島)は当然、日本領であると解釈した。

齋藤豊仙は、?以下の記事で、隠岐島を起点として、隠岐島からの方位とその周辺の地域との地理的関係を示しているのである。

そして、?〜?での説明
? 戌亥(北西)の間、行2日1夜行けば、松島(現在の竹島)がある。
? また一日ほどの程で竹島(現在の鬱陵島)がある。
? これは俗に言う磯竹島のことである。
竹や魚・海驢(あしか)が多い。按ずるに、神書の所謂五十猛歟。
? この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
この高麗を望んだ地点とは、何処か?
と言うことだが、これは、雲州(島根県)から、隠岐島を見るように、
高麗が見える地点と言うことだから、竹島、鬱陵島、隠岐島の何れか?

それは、日本領から高麗(朝鮮)が望めるのは、「国代記」の中では鬱陵島だけである。

そのように高麗が見える地点とは、鬱陵島と言うことになる
ここでは、隠岐島から見て、北西の間にある松島(現在の竹島(独島))と、さらに鬱陵島がある
そこからは、雲州から隠州を見るように、高麗(朝鮮)が見える
と地理的特性を説明している
そして、?へと繋がる。

? 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

冒頭の「然からば」について、説明する必要があるようだ。
「然からば」の役割は、雲州(出雲)より隠州(隠岐)を望むように、
「竹嶋(=鬱陵島)」から高麗(朝鮮)が望める事を強調するためにある。
そして、日本領から高麗(朝鮮)が望めるのは、「国代記」の中では鬱陵島だけである。


「此の州」とは明白である。
隠岐島を基点に乾(北西)の方角にあって、最も朝鮮に近い州(島)と言えば、
「国代記」の中では竹嶋(=鬱陵島)だけである。

「此の州」の「州」の使い方については、韓国は異論を言う。
金柄烈教授の「独島か竹島か」では、「州」が島の意味で使われる事があるが、その場合は「群島」や「行政体制を持つ村がある場合」にだけ該当する。鬱陵島一島の場合は「州」とは言わない。
しかし、隠岐島を一島でも隠州とするように、州には島の意味がある。
よって、「此の州」を鬱陵島のこととして、問題はない。
また、鬱陵島一島だけの帰属が問題になった当時の記録をまとめた『星湖塞説』でも、「安龍福の功労で鬱陵島が朝鮮の領土に覆した」ことを「一州の土を覆す」と記していることからも「州」の使い方に問題がないと言える



「限りと為す」、、、を、隠岐島を北西の限りと解釈する説もあるが、
それでは齋藤豊仙が隠岐島を基点とした意味が無くなる


?において齋藤豊仙は、鬱陵島が磯竹島と言われている理由は、日本書紀の五十猛歟(五十猛神)に由来すると、考えている。
この事からも、斉藤豊仙は、鬱陵島を日本領と考えていた。
(逆に、鬱陵島を朝鮮領と考えていたとすれば、日本神話に思いを巡らすことはない)


以上の事から、隠岐島から北西の位置に竹島(鬱陵島)は、日本の最北西にある領土と認識していたと解る。


また、『隠州視聴合紀』が書かれた当時の出雲藩では、以下の事柄からも竹嶋(鬱陵島)を日本領として認識していた。
隠岐島は1638年以来、一時期を除き、出雲藩の預かり領だった。
それ故に、隠岐島の西郷には出雲藩から派遣された郡代が詰めていた。
よって、1696年に江戸幕府が鬱陵島への渡海を禁じるまでの間、
鳥取藩から「往来手形」の発給を受けた米子の大谷、村川両家は、
鬱陵島へ渡る際には、隠岐島の西郷にある出雲藩の番所に立ち寄っていた。
当然、郡代となった出雲藩士・齋藤豊仙も、大谷・村川の両家が鬱陵島に出漁していた事実を知っていた。

『隠州視聴合紀』の別の記事「知夫郡焼火山縁起」にも、
「伯耆の国の大賀邑河氏、官より朱印を賜り大船を磯竹島(鬱陵島)に致す」として、鬱陵島への渡海に言及している。
齋藤豊仙が鬱陵島を日本領として『隠州視聴合紀』に書くのは当然の事である。

隠州視聴合紀の「国代記」1/3

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/04/19 17:21 投稿番号: [8722 / 18519]
隠州視聴合紀の「国代記」とは

1667年8月、出雲松江藩の齋藤豊仙が隠岐郡代として、約2ヶ月を掛けて隠州(隠岐島)を巡察した際の、「視て」「聴いた」ことを採録した近世隠岐の地誌(調査報告書)である。

齋藤豊仙は、以下のように、北海の中にある隠岐島が、隠岐島から東西南北、それぞれの方向にある日本の領地まで、どれだけの位置にあるかを記述している。

そして、日韓双方が竹島を自国領とする根拠としてきた

それは、巻一の『国代記』に松島(現在の竹島(独島))と竹嶋(現在の鬱陵島)の二島の名前が見え、その読み方によっては、竹島が朝鮮領とも解釈出来るからだ

隠州視聴合紀の竹島関連の部分

? 隠州在北海中故云隠岐島、
? 従是南、至雲州美穂関三十五里、
? 辰巳至泊州赤碕浦四十里、
? 未申至石州温泉津五十八里、
? 自子至卯、無可往地、
? 戍亥間行二日一夜有松島、
? 又一日程有竹島、
? 俗言磯竹島   多竹魚海鹿、按神書所謂五十猛歟
? 此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
? 然則日本之乾地、以此州為限矣


? 隠州(隠岐島)は、北の海の中にあり、故に隠岐島という
? 是(隠岐島)より南、雲州(出雲国・島根県東部)美穂関に至るは(海上)35里
? 辰巳(南東)に伯州(伯耆(ほうき)国・島根県西部)赤崎浦に至ること(海上)40里
? 未申(南西)に石州(石見国・島根県西部)温泉津に至ること(海上)58里
? 子(北)より卯(東)に至りては、往くべき地は無し
? 戌亥(北西)の間、行2日1夜行けば、松島(現在の竹島)がある。
? また一日ほどの程で竹島(現在の鬱陵島)がある。
? これは俗に言う磯竹島のことである。
竹や魚・海驢(あしか)が多い。按ずるに、神書の所謂五十猛歟。
(按ずる=考えをめぐらす。調査する)

? この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
? 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

齋藤豊仙は、北海の中にある隠岐島が、隠岐島から東西南北、それぞれの方向にある日本の領地まで、どれだけの位置にあるかを記述している
?の記述から、此の文書は、隠岐島を中心の基点にして、それぞれの地域を放射線状に記述していることが解る。



隠州視聴合紀の「此の州」とは鬱陵島である

日本は、
? 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。
と記されている事から、「此州」とは鬱陵島の事と解釈し、それより東にある竹島(独島)は当然、日本領であると解釈した。

齋藤豊仙は、?以下の記事で、隠岐島を起点として、隠岐島からの方位とその周辺の地域との地理的関係を示しているのである。

そして、?〜?での説明
? 戌亥(北西)の間、行2日1夜行けば、松島(現在の竹島)がある。
? また一日ほどの程で竹島(現在の鬱陵島)がある。
? これは俗に言う磯竹島のことである。
竹や魚・海驢(あしか)が多い。按ずるに、神書の所謂五十猛歟。
? この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
この高麗を望んだ地点とは、何処か?
と言うことだが、これは、雲州(島根県)から、隠岐島を見るように、
高麗が見える地点と言うことだから、竹島、鬱陵島、隠岐島の何れか?

それは、日本領から高麗(朝鮮)が望めるのは、「国代記」の中では鬱陵島だけである。

そのように高麗が見える地点とは、鬱陵島と言うことになる
ここでは、隠岐島から見て、北西の間にある松島(現在の竹島(独島))と、さらに鬱陵島がある
そこからは、雲州から隠州を見るように、高麗(朝鮮)が見える
と地理的特性を説明している
そして、?へと繋がる。

? 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

冒頭の「然からば」について、説明する必要があるようだ。
「然からば」の役割は、雲州(出雲)より隠州(隠岐)を望むように、
「竹嶋(=鬱陵島)」から高麗(朝鮮)が望める事を強調するためにある。
そして、日本領から高麗(朝鮮)が望めるのは、「国代記」の中では鬱陵島だけである。

>ありがとうございました

投稿者: banbancho2 投稿日時: 2005/04/19 16:09 投稿番号: [8721 / 18519]
>そしたら冬は太陽より左に見えることもあるんでしょうか

私が以前msg7935で紹介させていただいたフリーソフトを元に、以前半月城氏が鬱陵島からの竹島(獨島)の方位を算出されております(msg8295)。
それによると、鬱陵島から竹島(獨島)の方位は真東から南よりに17度51分です。

先ほど私がお伝えした冬至に太陽が昇る方位は真東から南に約30度ということで、冬の一時期に竹島(獨島)は日の出の左(北)に見える可能性があります。

ただし以下の不安材料があるため、私も断言はできません。
・計算式(ソフトウェア)による値の誤差
・あくまで数値による解釈であり、実際にその状況を確認したことがない
・私がこの件に精通していない(^^;)
(詳しい方のアドバイスがほしいところです)
・冬に鬱陵島から竹島(獨島)が見えるのか不明

もう少し色々と情報を調べてみたいと思います。

>日本では

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/04/19 16:01 投稿番号: [8720 / 18519]
>リアンクールロックと呼ばれたようです

はい、ありがとうございます。

半月城氏は資料をたくさん出してくれるんで貴重な人だと
は思うのですが、時々引用と解説がかけ離れていたりするもので。

ありがとうございました

投稿者: jijihuhujiji 投稿日時: 2005/04/19 14:41 投稿番号: [8719 / 18519]
そしたら冬は太陽より左に見えることもあるんでしょうか

>>こんにちは(^o^)/

投稿者: banbancho2 投稿日時: 2005/04/19 14:27 投稿番号: [8718 / 18519]
>冬至の日は真東より30度ほど南から昇り、
>夏至の日は真東より30度ほど北から太陽が昇ります。

補足ですが、夏至・冬至でずれる角度は緯度によって変化します。

30度というのは、鬱陵島の経緯度でのおよその値とご理解ください。

参照:太陽表(フリーウェア)
http://www.vector.co.jp/soft/win95/business/se230982.html

林子平の「三国通覧輿地路程全図」

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/04/19 14:01 投稿番号: [8717 / 18519]
Okino:他サイトから転写

http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/hayashi.html

長久保はこの「日本分野図」に「隠州視聴合記」の記述を加えて地図を作成した。
それは長久保赤水の「日本輿地路程全図」に描かれた鬱陵島(図では竹島と表記)の右上に「見高麗猶雲州望隠州(高麗を見る事、猶雲州より隠州を望むが如し)」という付記がある事からも解る。
この付記は齋藤豊仙の「隠州視聴合記」からの引用である。
隠州視聴合記は鬱陵島が日本領と考えられていた時代の記録である。

>こんにちは(^o^)/

投稿者: banbancho2 投稿日時: 2005/04/19 13:55 投稿番号: [8716 / 18519]
横レスですみません。
春秋分の日に朝日は真東から昇ります。
冬至の日は真東より30度ほど南から昇り、
夏至の日は真東より30度ほど北から太陽が昇ります。

太陽の昇る位置は季節により60度ほどずれるようです。

肉眼で鬱陵島から見えるのでしょうか。

投稿者: shoin1992 投稿日時: 2005/04/19 13:21 投稿番号: [8715 / 18519]
肉眼で鬱陵島から竹島が見えるのでしょうか。

それとも双眼鏡などで見えるのでしょうか。

いつもは、見えないが、
見落としてしまいそうな、
点として見えるのでしょうか。

昇る太陽の横に
小さな点として見えるのでしょうか。
その様子をお願いします。

肉眼で鬱陵島から見えるのでしょうか。

投稿者: shoin1992 投稿日時: 2005/04/19 13:20 投稿番号: [8714 / 18519]
肉眼で鬱陵島から竹島が見えるのでしょうか。
それとも双眼鏡などで見えるのでしょうか。

いつもは、見えないが、見落としてしまいそうな、点として見えるのでしょうか。

昇る太陽の横に小さな点として見えるのでしょうか。その様子をお願いします。

日本では

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/04/19 13:13 投稿番号: [8713 / 18519]
リアンクールロックと呼ばれたようです。大日本四神全図では、そうなってます。当時、西洋の地図が、入ってきたことによって、存在しないアルゴノート島が竹島、ダジョレー島が松島と、誤認されたようですね。これをもともとの朝鮮側の誤認である鬱陵島の二島表記が相まって、ややこしいことになってます。

これは

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/04/19 13:04 投稿番号: [8712 / 18519]
>「門脇貞二氏は、この蘇我満智が百済から渡来したとされる高級官僚の木(秔・羅)満致と同一人物であるとし、蘇我氏の出自を百済人に求めておられる。」
モトは三国史記

この門脇貞二氏の主観による判断だろう?三国史記のどの部分が、そうだと言えるのか、提示してくれ。この三国史記に、決定的に百済人だったと記述があるのかどうか、わからん。この内容を見て、自分が蘇我氏は百済人だったと思うならそれでよし。

だったかもしれない→だった→間違いなくそうだった

と、変化されても困る。

半月城氏飛躍では?

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/04/19 13:01 投稿番号: [8711 / 18519]
>葛生は竹島=独島を明らかに韓国領と認識していたようです

直前の引用からはそう読めません。

>名前である松島が鬱陵島につけられてしまった結果、竹島=独島の和名が失われ、かわりにフランスの捕鯨船にちなんでリャンコ島とかヤンコ島とか呼ばれるようになっていたので、そうした新しい洋名の島を日本領と考える人がいないのも当然です。

個別名を失うと自国領でないと考えるのなら、それはお互い様ですな。
日韓ともにヤンコ島と呼んだのでしょう?

どのへんが、

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/04/19 12:59 投稿番号: [8710 / 18519]
すさまじい航海技術だったと、書かれているんだ?どこだ?

ノーノー、mattouyaさん

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/04/19 12:52 投稿番号: [8709 / 18519]
仮定だなんて、そもそもあなたは「聖徳太子は百済人」と「断定」したのだから、それはダメですからね。

貴方のご意見とかご想像は無用ですので、「聖徳太子は百済人」「蘇我氏は百済人」だとする「一次資料」を回り道せず提示し、該当部分を引用して下さい。

>「門脇貞二氏は、この蘇我満智が百済から渡来したとされる高級官僚の木(秔・羅)満致と同一人物であるとし、蘇我氏の出自を百済人に求めておられる。」
モトは三国史記

ダメダメ。一次資料でないとダメですよ。
「モトは三国史記」って、『三国史記・百済本紀』に蘇我満智イコール木(秔・羅)満致であると書いてあるのですか?

さて、トピずれですが、続けましょう。

>役人は行ってないでしょうね

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/04/19 12:48 投稿番号: [8708 / 18519]
>しかし、隠岐の漁民も鬱陵の漁民も、江原道の漁民も、慶尚道の漁民も、七つの海で漁をしていたでしょう。

推測と事実は違います。
日本の漁民については、獨島に到達していた記録があります。

鬱陵島の漁民なんてものは、長い間存在してません。
あくまでも半島の漁民です。
また、1900年やや
前では外洋に出るような漁をしていないことがこのトピで確認されています。

ご返信ありがとうございますヽ( ー`)

投稿者: jijihuhujiji 投稿日時: 2005/04/19 12:36 投稿番号: [8707 / 18519]
それではまた。

円仁の

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/04/19 12:15 投稿番号: [8706 / 18519]
『入唐求法巡礼行記』

伝説上の人物であると仮定するなら

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/04/19 12:13 投稿番号: [8705 / 18519]
>つまり、伝説でしかない系図をもとに、「妄想」で聖徳太子は百済人とおっしゃったのですね?

あの部分の記紀は、伝説的です。
それでも、書かれた意図などから、ある程度の真実は分かるでしょうが、聖徳太子を伝説上の人物ととらえるなら、全く意味のないことですね、確かに。
記紀の系図によると、用明天皇と穴補部間人の子となっているようですが・・・・

>よし、では蘇我氏が百済人である根拠をお願いします。一時資料でそう記載してあるものの名前と引用文をご提示下さい。


「門脇貞二氏は、この蘇我満智が百済から渡来したとされる高級官僚の木(秔・羅)満致と同一人物であるとし、蘇我氏の出自を百済人に求めておられる。」
モトは三国史記

へえ

投稿者: greatjp22 投稿日時: 2005/04/19 12:09 投稿番号: [8704 / 18519]
蘇我氏が百済人ですか。

それは是非一次資料を拝見したいもんですな。よろしく。

秋分の日

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/04/19 12:03 投稿番号: [8703 / 18519]
>正直私も行きたくなりました。

ぜひ行ってください。
西の、島ばかりで成った新安郡の島々(紅島など)も見てきましたが、
共に素晴らしく美しいです。
青銅器時代の支石墓や、古墳もあります。高麗時代の寺院跡もあります。

>ところで、秋分の日は、太陽は北東(東北?)から昇るんでしょうか。

小学生にでも聞いてください。
私は太陽のすぐ右に、独島を見ました。

まあまあまあ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/04/19 12:01 投稿番号: [8702 / 18519]
ここはひとつ、返答を楽しみに待つと致しましょう。せっかくのデムパ浴です。

聖徳太子=百済人説の証拠と、蘇我氏=百済人説の証拠を一次資料資料で。

(とある資料を提示されるのでは?と楽しみにしているのです。)

ワクワク☆

韓国人は

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/04/19 11:57 投稿番号: [8701 / 18519]
過去のことについて、曖昧なものは、全て、朝鮮発だとか、百済人だとか、決め付けるようだが、少なくとも朝鮮起源と言う証拠は何も無いことに対し、そう決め付けるのは、理論としては無茶苦茶だ!主張するなら、それだけの根拠くらい提示せよ!こんなものは基本だ!めんどくさいから、半月城の妄想記事読めとか言うが、こっちは散々奴の破綻した理論を目にしている。あれを根拠に出すなど、お笑い種だ。都合の悪いことは載せずに己の主張ばかりの奴の言い分など、史料に値しない。あいつが史料にしているものの中に、都合の悪いところは、わざと隠している事を知ってて言ってるのか?

はあ?

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/04/19 11:48 投稿番号: [8700 / 18519]
>なにしろ、聖徳太子はいなかったという説もあるくらいで・・・・・
>伝説でしかない系図を見ると、父方も母方も蘇我氏系。蘇我氏といえば百済人。
>ま、そんなところです。

で?聖徳太子が、百済人の証拠は?

はあ?

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/04/19 11:47 投稿番号: [8699 / 18519]
>まして、青海鎮の張保皐など海洋族は、凄まじい航海術を持っていました。

まるで、見たことあるような、書きようだ。一体、何を見てそう言える?答えてくれ。

更に説明願います

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/04/19 11:42 投稿番号: [8698 / 18519]
トピずれだけれども続けます。

>父方も母方も蘇我氏系。蘇我氏といえば百済人。
ま、そんなところです。

よし、では蘇我氏が百済人である根拠をお願いします。一時資料でそう記載してあるものの名前と引用文をご提示下さい。

>伝説でしかない系図を見ると

つまり、伝説でしかない系図をもとに、「妄想」で聖徳太子は百済人とおっしゃったのですね?
それとも、違うのですか?

あいまいにせず、キッチリと行きましょう。

こんにちは(^o^)/

投稿者: jijihuhujiji 投稿日時: 2005/04/19 11:42 投稿番号: [8697 / 18519]
見たんですか。羨しいです。文を拝見して、とても綺麗な情景が浮かびました。


正直私も行きたくなりました。

ところで、秋分の日は、太陽は北東(東北?)から昇るんでしょうか。

展望台と富士見台の違いは?

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/04/19 11:27 投稿番号: [8696 / 18519]
>山から見えるなら、展望台などわざわざ作らず、富士見台みたいなテラスで十分だったんじゃない?

独島展望台と言うのは、木で作ったテラスのようなものなのですが・・・・?

>聖徳太子百済人説のロバストな根拠

なにしろ、聖徳太子はいなかったという説もあるくらいで・・・・・
伝説でしかない系図を見ると、父方も母方も蘇我氏系。蘇我氏といえば百済人。
ま、そんなところです。

>聖徳太子百済人説

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/04/19 11:00 投稿番号: [8695 / 18519]
>聖徳太子百済人説のロバストな根拠はどうなったんですか?

ワタシも希望します。(楽しみ)

>鬱陵島全体が山です

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2005/04/19 10:50 投稿番号: [8694 / 18519]
「展望台から見えた」
というのは、見に行ったmattouyaさんがそう仰るのならそうなんでしょう。
多少幸運が必要みたいですが。

それはそれとして、
山から見えるなら、展望台などわざわざ作らず、富士見台みたいなテラスで十分だったんじゃない?
という疑問が湧いただけです。

ところで、聖徳太子百済人説のロバストな根拠はどうなったんですか?

役人は行っていないでしょうね

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/04/19 10:33 投稿番号: [8693 / 18519]
役人が実際に竹島へ行っていないのは、日韓同様でしょう。
しかし、隠岐の漁民も鬱陵の漁民も、江原道の漁民も、慶尚道の漁民も、七つの海で漁をしていたでしょう。
まして、青海鎮の張保皐など海洋族は、凄まじい航海術を持っていました。

鬱陵島全体が山です

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/04/19 10:25 投稿番号: [8692 / 18519]
平地は、中央部のカルデラ部分だけ。
道洞の町も、傾斜地に作られていて坂道だらけ。
島の周りを見晴らそうと思えば、小高いところに登って、360度の水平線を見るでしょう。
今はロープウエイ(現地ではケーブルカーと書いてありましたが)で簡単に展望台に登れるので、ご来光前の30分ぐらいに宿を出ればいいです。
昔は、宿(家)自身が小高いところにあったと思います。

いいんですよ

投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2005/04/19 10:19 投稿番号: [8691 / 18519]
見たっていうなら、見たって言わせておけばいい。

目を凝らしてようやく見えるかどうかの竹島を
昔の人が展望台も無い山に登って、存在すら知らない竹島を見つけたかどうか。

まぁ、見つけたとしても、そこに行くかどうかは中華文化圏の行動様式を考えればまずない。
言うまでも無い事実なんですけど。

>見ました

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2005/04/19 10:14 投稿番号: [8690 / 18519]
>独島博物館から、ロープウエイで、独島展望台に登ります。

展望台に上らないと見えないと言うこと?

それは「見える」とは、少々ルール違反っぽい。

見ました

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/04/19 09:49 投稿番号: [8689 / 18519]
独島博物館から、ロープウエイで、独島展望台に登ります。
9月の秋分に近い日、ご来光を仰ぎましたが、空が白み始めた頃から、水平線上に竹島が見えました。朝日のすぐ右側でした。
展望台の反対側の真下に、島の中心の町、道洞が見下ろせました。

お一人居たはずですが、

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/04/19 09:00 投稿番号: [8688 / 18519]
今は出てきてないと思います。

実際に見るのは不可能に近いですね。
90キロ先だと、大きな島でも滅多にみえません。

また、計算式もいろいろあり。
見えない計算式もあります。
私の経験的には、見える方の計算式のほうが正しいと思います。
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