獨島問答 Q44
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/12/28 11:53 投稿番号: [2793 / 18519]
Q44.そうであれば、当時の日本海軍は「獨島」をどの国の領土とみなしたのか?
ANS.もちろん日本の軍部も獨島を朝鮮領とみなした。
日本の陸軍省参謀局は1875年(明治8年)に「朝鮮全図」を編纂したが、鬱陵島(竹島)とともに獨島(于山島:松島)を朝鮮領として表示した。日本陸軍のこのような観点は20世紀にも継続された。
たとえば、1936年、日本の陸軍参謀本部陸地測量部は日本帝国の支配領土を元来の併呑区域別に区分けして表示した「地圖区域一覧圖」を発刊したが、この地図にて獨島を鬱陵島とともに「朝鮮区域」に表示した。
この地図は日帝の敗亡(1945年)後、連合国最高司令部が日本帝国を解体して併呑した領土を元の主に帰すとき、獨島が韓国に返還されるときに重要な役割をした日本側根拠資料のひとつとして連合国最高司令部により使用された。
日本海軍も獨島を朝鮮領と判断した。日本海軍省水路局は英国、ロシアなど西洋の船舶が調査・測量した資料を翻案、編集し1876年に「朝鮮東海岸圖」を編纂したが、獨島を鬱陵島とともに「朝鮮東海岸」に含めて朝鮮領と表示した。
また、ロシアの軍艦が「獨島」を3.5マイル真北の方向から描いた獨島のスケッチ、北西10度方向5マイルの距離で描いた獨島のスケッチ、北西61度方向14マイルの距離にて描いたスケッチを「日本西北海岸圖」に入れず、無理に空間を広げて「朝鮮東海岸圖」に入れ、獨島が「朝鮮領」であることを明確に表示した。
日本の海軍省はその後 1877年「朝鮮東海岸圖」の再版をだすときも同じ方式で獨島を朝鮮領に表示した。その後も版が重ねられたが、日本海軍省の「朝鮮東海岸圖」のあらゆる版本は1905年まで獨島を朝鮮領に表示した。
また、日本の海軍省は 1886年に世界の水路誌である『寰瀛水路誌』を編纂したが、獨島を「リアンクール岩」という名で「朝鮮東岸」に収録した。また、日本海軍省は1889年に『寰瀛水路誌』編纂を中断し、これを『日本水路誌』『朝鮮水路誌』など国家領土別に分類して編纂し始めた。
このとき「獨島(リアンクール岩)」を『日本水路誌』と『朝鮮水路誌』のどちらに入れたのかをみれば日本海軍の判断と決定を知ることができる。このとき、海軍省は「獨島(リアンクール岩)を『朝鮮水路誌』だけに入れ『日本水路誌』には入れなかったのであり、「獨島(リアンクール岩)」を朝鮮領として表示した。日本海軍は明らかに「獨島」を朝鮮領とみなして判定したのであった。
コメント1:連合国総司令部(GHQ)は、1946年1月、GHQ指令「若干の外郭地域の日本からの政治上および行政上の分離に関する連合国総司令部覚書(SCAPIN第677号)」を発し、竹島=独島などを日本から分離する地域と規定した。
これは最終的決定ではないとされたが、この指令以降、竹島=独島の所属に関する明示的な国際的取り決めは存在しない。とくに、サンフランシスコ条約では竹島=独島に関して一言半句の記述もない。
コメント2.ahirutousagi2さんは #2716において、<政府はもとより「ホル子ツトロツクス」は日本と考えており>と書き、外務省の一局長の考えと日本政府の考えを一緒くたにしているようです。
しかし、当時において海の国境を明確化するのが海軍の仕事であったので、海軍の考えこそが日本政府の代表ともいうべき性格をもちます。その海軍がリアンクール岩を朝鮮領と考えていたのは愼𨉷廈氏が指摘しているとおりです。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
ANS.もちろん日本の軍部も獨島を朝鮮領とみなした。
日本の陸軍省参謀局は1875年(明治8年)に「朝鮮全図」を編纂したが、鬱陵島(竹島)とともに獨島(于山島:松島)を朝鮮領として表示した。日本陸軍のこのような観点は20世紀にも継続された。
たとえば、1936年、日本の陸軍参謀本部陸地測量部は日本帝国の支配領土を元来の併呑区域別に区分けして表示した「地圖区域一覧圖」を発刊したが、この地図にて獨島を鬱陵島とともに「朝鮮区域」に表示した。
この地図は日帝の敗亡(1945年)後、連合国最高司令部が日本帝国を解体して併呑した領土を元の主に帰すとき、獨島が韓国に返還されるときに重要な役割をした日本側根拠資料のひとつとして連合国最高司令部により使用された。
日本海軍も獨島を朝鮮領と判断した。日本海軍省水路局は英国、ロシアなど西洋の船舶が調査・測量した資料を翻案、編集し1876年に「朝鮮東海岸圖」を編纂したが、獨島を鬱陵島とともに「朝鮮東海岸」に含めて朝鮮領と表示した。
また、ロシアの軍艦が「獨島」を3.5マイル真北の方向から描いた獨島のスケッチ、北西10度方向5マイルの距離で描いた獨島のスケッチ、北西61度方向14マイルの距離にて描いたスケッチを「日本西北海岸圖」に入れず、無理に空間を広げて「朝鮮東海岸圖」に入れ、獨島が「朝鮮領」であることを明確に表示した。
日本の海軍省はその後 1877年「朝鮮東海岸圖」の再版をだすときも同じ方式で獨島を朝鮮領に表示した。その後も版が重ねられたが、日本海軍省の「朝鮮東海岸圖」のあらゆる版本は1905年まで獨島を朝鮮領に表示した。
また、日本の海軍省は 1886年に世界の水路誌である『寰瀛水路誌』を編纂したが、獨島を「リアンクール岩」という名で「朝鮮東岸」に収録した。また、日本海軍省は1889年に『寰瀛水路誌』編纂を中断し、これを『日本水路誌』『朝鮮水路誌』など国家領土別に分類して編纂し始めた。
このとき「獨島(リアンクール岩)」を『日本水路誌』と『朝鮮水路誌』のどちらに入れたのかをみれば日本海軍の判断と決定を知ることができる。このとき、海軍省は「獨島(リアンクール岩)を『朝鮮水路誌』だけに入れ『日本水路誌』には入れなかったのであり、「獨島(リアンクール岩)」を朝鮮領として表示した。日本海軍は明らかに「獨島」を朝鮮領とみなして判定したのであった。
コメント1:連合国総司令部(GHQ)は、1946年1月、GHQ指令「若干の外郭地域の日本からの政治上および行政上の分離に関する連合国総司令部覚書(SCAPIN第677号)」を発し、竹島=独島などを日本から分離する地域と規定した。
これは最終的決定ではないとされたが、この指令以降、竹島=独島の所属に関する明示的な国際的取り決めは存在しない。とくに、サンフランシスコ条約では竹島=独島に関して一言半句の記述もない。
コメント2.ahirutousagi2さんは #2716において、<政府はもとより「ホル子ツトロツクス」は日本と考えており>と書き、外務省の一局長の考えと日本政府の考えを一緒くたにしているようです。
しかし、当時において海の国境を明確化するのが海軍の仕事であったので、海軍の考えこそが日本政府の代表ともいうべき性格をもちます。その海軍がリアンクール岩を朝鮮領と考えていたのは愼𨉷廈氏が指摘しているとおりです。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 2709 (hangetsujoh さん)への返信です.
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