明治政府の竹島=独島放棄
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/12/28 11:51 投稿番号: [2792 / 18519]
半月城です。
ahirutousagi2さんの書き込みは、訂正が多い上に結論を読みとりにくいのでコメントしづらいのですが、ともかくも ahirutousagi2さんが #2716において<島根県が外一島を伝統的な松島(現竹島)として考えたことは先に私も認めたとおりです>と書き、これに対してここの掲示板で誰からも異論がなかった事実は、この会議室での成長ぶりを示すものとして私は高く評価します。旧トピの虎三さんみたいな人は決して引き下がらないのでしょうが。もう、かれは竹島=独島問題にはこりごりして現れないのでしょうか?
RE:2716
>島根県からの伺いにおいて竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)が意識されていたのは確かかと思いますが、政府側でそれを意識していたかどうかは疑問であるとすでに申しあげました。いくら慎重に考えたとはいえ、政府が当時、西洋の地図の混乱の影響を受けていた可能性があるということです。
どうもahirutousagi2さんの論旨を読みとりにくいのですが、「政府側」とは具体的に何をさすのですか? 内務省、ついで太政官が島根県からの伺書を審査するのに、松島(竹島=独島)が記述された資料を含めてすべての書類を十分吟味しなかったといいたいのですか? あるいは内務省や太政官が島根県以外の資料、とくに外国の地図に惑わされて自国の領土を決定したといいたいのですか?
それとも太政官の決定は「政府」の決定でなく、「政府」の意見は別にあったといいたいのですか?
ahirutousagi2さんは、島名の混乱を口実に<政府が外一島を現竹島と見ていた可能性はほぼ無いように思われます>と書きましたが、失礼ながらahirutousagi2さんもさらに考察が進めば、いずれ竹島=独島問題の研究者と同じ結論、すなわち外一島は竹島=独島であり、明治政府はそれを放棄したという結論に達するだろうと思われます。
その結論は、学術書を書くような研究者間においてはもはや異論がありません。下記に書いたように、誰一人として異議をとなえていません。
http://www.han.org/a/half-moon/hm093.html#No.672
<「竹島日本領派」の松島(竹島=独島)放棄への対応>より抜粋
明治政府による竹島・松島放棄を「竹島=独島日本領派」の研究者はどう
対応しているのかについてふれたいと思います。具体的には、塚本孝氏と芹田
健太郎氏のふたりを取りあげます。
まず、塚本氏ですが,明治政府が竹島=独島を日本の版図外にしたという史
実を同氏が認めた画期的な文章は下記のとおりです。
・・・
いまでは、研究者
の間で堀氏が解明した明治政府の「竹島・松島放棄」に異議をとなえる人はだ
れもいないようです。といっても、その史実にふれる学者は少ないようですが。
やけどを恐れて、あえて火中の栗を拾おうとしないのでしょうか。
下條正男氏などはいろいろ文を書いても、堀論文については沈黙している
ようなので、あるいは堀論文の存在すら知らないのかもしれません。
一方、なかには堀論文をさんざん批判しても、堀氏の一大成果である「明
治政府の竹島・松島放棄」から目をそらしたままで領土を論じる学者もいるか
ら驚きます。
その人は前回すこし紹介した芹田健太郎氏です。同氏は著書で日本の松島
(竹島=独島)経営を竹島渡海免許や、今では否定されている「松島渡海免
許」から説きおこし、明治期の「松島開拓願い」や軍艦天城の派遣など含めて
概観しましたが、なぜか肝心の明治政府による「竹島ほか一島放棄」について
は一言半句もふれせんでした。
そのあげく「このようにして、竹島に対する日本の実効的支配は第二次大
戦の終了まで平穏に続けられた」と締めくくりました(注3)。日本に不利に
なりそうな所だけを徹底的に無視すれば、どのような結論も可能ですが、その
ときは研究者として失格であることはいうまでもありません。単なるデマゴ
ギーにすぎません。
ahirutousagi2さんの書き込みは、訂正が多い上に結論を読みとりにくいのでコメントしづらいのですが、ともかくも ahirutousagi2さんが #2716において<島根県が外一島を伝統的な松島(現竹島)として考えたことは先に私も認めたとおりです>と書き、これに対してここの掲示板で誰からも異論がなかった事実は、この会議室での成長ぶりを示すものとして私は高く評価します。旧トピの虎三さんみたいな人は決して引き下がらないのでしょうが。もう、かれは竹島=独島問題にはこりごりして現れないのでしょうか?
RE:2716
>島根県からの伺いにおいて竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)が意識されていたのは確かかと思いますが、政府側でそれを意識していたかどうかは疑問であるとすでに申しあげました。いくら慎重に考えたとはいえ、政府が当時、西洋の地図の混乱の影響を受けていた可能性があるということです。
どうもahirutousagi2さんの論旨を読みとりにくいのですが、「政府側」とは具体的に何をさすのですか? 内務省、ついで太政官が島根県からの伺書を審査するのに、松島(竹島=独島)が記述された資料を含めてすべての書類を十分吟味しなかったといいたいのですか? あるいは内務省や太政官が島根県以外の資料、とくに外国の地図に惑わされて自国の領土を決定したといいたいのですか?
それとも太政官の決定は「政府」の決定でなく、「政府」の意見は別にあったといいたいのですか?
ahirutousagi2さんは、島名の混乱を口実に<政府が外一島を現竹島と見ていた可能性はほぼ無いように思われます>と書きましたが、失礼ながらahirutousagi2さんもさらに考察が進めば、いずれ竹島=独島問題の研究者と同じ結論、すなわち外一島は竹島=独島であり、明治政府はそれを放棄したという結論に達するだろうと思われます。
その結論は、学術書を書くような研究者間においてはもはや異論がありません。下記に書いたように、誰一人として異議をとなえていません。
http://www.han.org/a/half-moon/hm093.html#No.672
<「竹島日本領派」の松島(竹島=独島)放棄への対応>より抜粋
明治政府による竹島・松島放棄を「竹島=独島日本領派」の研究者はどう
対応しているのかについてふれたいと思います。具体的には、塚本孝氏と芹田
健太郎氏のふたりを取りあげます。
まず、塚本氏ですが,明治政府が竹島=独島を日本の版図外にしたという史
実を同氏が認めた画期的な文章は下記のとおりです。
・・・
いまでは、研究者
の間で堀氏が解明した明治政府の「竹島・松島放棄」に異議をとなえる人はだ
れもいないようです。といっても、その史実にふれる学者は少ないようですが。
やけどを恐れて、あえて火中の栗を拾おうとしないのでしょうか。
下條正男氏などはいろいろ文を書いても、堀論文については沈黙している
ようなので、あるいは堀論文の存在すら知らないのかもしれません。
一方、なかには堀論文をさんざん批判しても、堀氏の一大成果である「明
治政府の竹島・松島放棄」から目をそらしたままで領土を論じる学者もいるか
ら驚きます。
その人は前回すこし紹介した芹田健太郎氏です。同氏は著書で日本の松島
(竹島=独島)経営を竹島渡海免許や、今では否定されている「松島渡海免
許」から説きおこし、明治期の「松島開拓願い」や軍艦天城の派遣など含めて
概観しましたが、なぜか肝心の明治政府による「竹島ほか一島放棄」について
は一言半句もふれせんでした。
そのあげく「このようにして、竹島に対する日本の実効的支配は第二次大
戦の終了まで平穏に続けられた」と締めくくりました(注3)。日本に不利に
なりそうな所だけを徹底的に無視すれば、どのような結論も可能ですが、その
ときは研究者として失格であることはいうまでもありません。単なるデマゴ
ギーにすぎません。
これは メッセージ 2716 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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