Re: 高句麗の竹島(鬱陵島)
投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2005/12/21 06:03 投稿番号: [12369 / 18519]
>
『隠州視聴合記』の焼火山縁起によると、村川の船は高句麗の地に漂着したのではなく、高句麗の海に流されただけでした。その時に念仏をとなえたら、たちまち隠岐の港の漁火が見えたとあるので、高句麗の海域は隠岐のすぐ近くにあると認識されていたようです。
>
そうであれば、隠岐から二日一夜もかかるほど遠くにある松島(竹島=独島)や、さらにそれから一日の航路にある竹島(鬱陵島)は、漠然と高句麗の海域にあると考えられていたのではないでしょうか。したがって、高句麗の竹島(鬱陵島)という表現がピッタリだといえます。
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
ジョー談にしても念が入りすぎる。脳内妄想もここまで来たのか、アルツハイマーかと言われないようにエビデンスのない電波は避けられたら如何かな。それにしても半月城通信は電波基地だね。
とれぞ〜氏より引用
>上に、隠岐国福浦の湊は正保国絵図(1645年頃作成)に「竹嶋渡海此湊ニ而天気見合」と記されたとありますが、「隠岐の国絵図」文政9年(1826年)のものにも、南方村、北方村之内福浦のところに「此湊船懸吉・竹嶋江之渡海此湊ニ而天気見合ル」とあり、国立公文書館蔵の「隠岐国高村数○郡色分目録絵図 」にも「此湊船懸吉・竹嶋迄之渡海此湊ニ而天気見合ル」とあることからも江戸時代を通して福浦から竹嶋(鬱稜)まで往来で賑あったことは確かですな。
これは メッセージ 12361 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/12369.html