Re: 高句麗の竹島(鬱陵島)
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/12/18 09:07 投稿番号: [12361 / 18519]
半月城です。
te2222000さんの『隠州視聴合記』に関する質問に答えたいとおもいます。
> 半月城さんは以下のようにお考えだということでよろしいでしょうか。
b'. 斉藤豊仙は「朱印船が行くような場所」は単なる国外ではなく、異国であると考えていた。つまり、仮に竹島が日本の領土でも朝鮮の領土でもないとしたら、それは斉藤豊仙にとって「朱印船が行くような場所」ではない。
現在でも海外というとほとんど外国を意味するように、当時も国外という語は異国とほとんど同義語と考えられていただろうと思います。
それにもかかわらず、あえて異国という語を選んだのは、『隠州視聴合記』に朱印という語がでてきたので、異国の方が語感としてふさわしいのではないかというセンスにあります。
朱印をもった船、斉藤豊仙が連想したであろう朱印船はいうまでもなく異国との交易が主目的なので、そのような舟の渡航は「国外への渡航」というより「異国への渡航」という表現がよりふさわしいといえます。
したがって、竹島(鬱陵島)が朝鮮の領土であろうとなかろうと、斉藤豊仙にとって朱印船がいくような場所は漠然とした異国だったのではないかと思います。また、斉藤にとって、竹島(鬱陵島)が朝鮮の領土であるかどうかは問題ではなかっただろうと思います。
そのためか『隠州視聴合記』に高麗や高句麗という語は登場しても、朝鮮という語がまったく登場しなかったのではないでしょうか。
te2222000さん、
>#12355で触れたように、焼火山縁起の竹島渡航のエピソードには斎藤豊仙が取材したオリジナル情報があった筈です。したがって「朱印を賜り」の文言の発生源には二つの可能性があります。
(I) オリジナル情報には存在しておらず、斉藤豊仙が作文した
(II)オリジナル情報に存在していたのを、斉藤豊仙がそのまま記録した
斉藤豊仙は隠岐島の郡代として、渡航が国禁にふれるかどうかという重大問題を責任者の職務として判断しただろうと思われますので、すでに「村川が朱印を賜り」という風説がたとえあったとしても、斉藤はそうした風説だけで「朱印」などという用語を軽々しく使用したのではなく、老中の連署を確認したうえで、朱印という用語をすこしは吟味して使用したのではないかと思います。
te2222000さん、
>上の引用文は「暴風のために目的地の磯竹島ではなく、高句麗に流されてしまった」ことを述べており、磯竹島と高句麗が別の場所であるという認識を示しています。
『隠州視聴合記』の焼火山縁起によると、村川の船は高句麗の地に漂着したのではなく、高句麗の海に流されただけでした。その時に念仏をとなえたら、たちまち隠岐の港の漁火が見えたとあるので、高句麗の海域は隠岐のすぐ近くにあると認識されていたようです。
そうであれば、隠岐から二日一夜もかかるほど遠くにある松島(竹島=独島)や、さらにそれから一日の航路にある竹島(鬱陵島)は、漠然と高句麗の海域にあると考えられていたのではないでしょうか。したがって、高句麗の竹島(鬱陵島)という表現がピッタリだといえます。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
te2222000さんの『隠州視聴合記』に関する質問に答えたいとおもいます。
> 半月城さんは以下のようにお考えだということでよろしいでしょうか。
b'. 斉藤豊仙は「朱印船が行くような場所」は単なる国外ではなく、異国であると考えていた。つまり、仮に竹島が日本の領土でも朝鮮の領土でもないとしたら、それは斉藤豊仙にとって「朱印船が行くような場所」ではない。
現在でも海外というとほとんど外国を意味するように、当時も国外という語は異国とほとんど同義語と考えられていただろうと思います。
それにもかかわらず、あえて異国という語を選んだのは、『隠州視聴合記』に朱印という語がでてきたので、異国の方が語感としてふさわしいのではないかというセンスにあります。
朱印をもった船、斉藤豊仙が連想したであろう朱印船はいうまでもなく異国との交易が主目的なので、そのような舟の渡航は「国外への渡航」というより「異国への渡航」という表現がよりふさわしいといえます。
したがって、竹島(鬱陵島)が朝鮮の領土であろうとなかろうと、斉藤豊仙にとって朱印船がいくような場所は漠然とした異国だったのではないかと思います。また、斉藤にとって、竹島(鬱陵島)が朝鮮の領土であるかどうかは問題ではなかっただろうと思います。
そのためか『隠州視聴合記』に高麗や高句麗という語は登場しても、朝鮮という語がまったく登場しなかったのではないでしょうか。
te2222000さん、
>#12355で触れたように、焼火山縁起の竹島渡航のエピソードには斎藤豊仙が取材したオリジナル情報があった筈です。したがって「朱印を賜り」の文言の発生源には二つの可能性があります。
(I) オリジナル情報には存在しておらず、斉藤豊仙が作文した
(II)オリジナル情報に存在していたのを、斉藤豊仙がそのまま記録した
斉藤豊仙は隠岐島の郡代として、渡航が国禁にふれるかどうかという重大問題を責任者の職務として判断しただろうと思われますので、すでに「村川が朱印を賜り」という風説がたとえあったとしても、斉藤はそうした風説だけで「朱印」などという用語を軽々しく使用したのではなく、老中の連署を確認したうえで、朱印という用語をすこしは吟味して使用したのではないかと思います。
te2222000さん、
>上の引用文は「暴風のために目的地の磯竹島ではなく、高句麗に流されてしまった」ことを述べており、磯竹島と高句麗が別の場所であるという認識を示しています。
『隠州視聴合記』の焼火山縁起によると、村川の船は高句麗の地に漂着したのではなく、高句麗の海に流されただけでした。その時に念仏をとなえたら、たちまち隠岐の港の漁火が見えたとあるので、高句麗の海域は隠岐のすぐ近くにあると認識されていたようです。
そうであれば、隠岐から二日一夜もかかるほど遠くにある松島(竹島=独島)や、さらにそれから一日の航路にある竹島(鬱陵島)は、漠然と高句麗の海域にあると考えられていたのではないでしょうか。したがって、高句麗の竹島(鬱陵島)という表現がピッタリだといえます。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 12359 (te2222000 さん)への返信です.
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