Re: 高句麗の竹島(鬱陵島)
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/12/20 23:16 投稿番号: [12368 / 18519]
>『隠州視聴合記』の焼火山縁起によると、村川の船は高句麗の地に漂着したのではなく、高句麗の海に流されただけでした。その時に念仏をとなえたら、たちまち隠岐の港の漁火が見えたとあるので、高句麗の海域は隠岐のすぐ近くにあると認識されていたようです。
ええ、それに「村川の船」は隠岐の船ではありませんから、当時隠岐の船は竹嶋へ渡海していませんしね。
斉藤豊仙は隠岐の郡代として、老中連署の書き付けを持った異国渡海の船と認識していたことでしょう。
竹嶋が異国でなければ、隠岐の漁民が出漁できる筈ですが、松嶋も含めてその様な記録は確認されていません。
>そうであれば、隠岐から二日一夜もかかるほど遠くにある松島(竹島=独島)や、さらにそれから一日の航路にある竹島(鬱陵島)は、漠然と高句麗の海域にあると考えられていたのではないでしょうか。したがって、高句麗の竹島(鬱陵島)という表現がピッタリだといえます。
斉藤豊仙の考えとしては、そのとおりだろうと思います。
ただ、それが幕府の認識には直結しませんよね。
幕府も当初は異国と考えていたようですが、少し時代が下りますと、「御尋の御書付」(これは「竹島一件」を朝鮮領として落着させるためのアリバイ文書の可能性もありますが)のように竹嶋を或いは因幡か伯耆の所属ではないかと考えるようになったわけですし、何れかの時点で異国と考えないようになった可能性は残されると思いますが、これは飽くまでも幕府についてであって、斉藤豊仙の考えではないでしょう。
これは メッセージ 12361 (hangetsujoh さん)への返信です.
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