Re: >「そも近代国家とは何ぞや?」
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/02/26 20:59 投稿番号: [3601 / 7270]
>「そも近代国家とは何ぞや?」
法学的には、近代国家とは立憲国家、憲法で権力分立と人権が保障された国。
つまり、絶対君主制から立憲君主制、人治主義から法治主義、身分制から契約関係、人権尊重、権力の分配と均衡など諸原理を備えた国家です。
歴史的には、市民と国王との権力闘争・市民革命によって、国王の行政権を制限する法律を制定する市民議会の権限を認め、権利を拡大していく契約=憲法を定める。
そのとき絶対君主の扱いは各国の伝統や革命の有り方によって、違った道を歩むことになります。
フランスは廃絶。イギリスは早くから模範的な立憲君主制を確立。プロシアは皇帝の権限を一部温存。など様々なバージョンがあります。
以上のような法学的な説明では難しいですが、赤城艦長の説明の通り柔らかく表現すると、近代国家とは「国民国家」、国民が主人公の国家だろうと思います。
そのためには、精神的自由と経済的自由の保障という理念だけでは生活できません。
それに相応しい学校・病院・交通などの制度・社会インフラを整備し、治安と国防を確保せねばなりません。
もう一度、法学に戻すと、古典的近代国家が想定していた市民は教養と財産を有するブルジョワジーであり、ブルジョワジーの経済活動を阻害しないように国家の責務は治安維持と国防だけにあるとする「夜警国家」だったのですが、やがて国家間の国力競争、つまり戦争や経済競争に勝ち抜くためには、ブルジョワジーだけでなく、国民の総力が必要となります。
そこで、質の高い製品と軍隊を作る必要に迫られて、国民全体に一定の教育や福祉を施し、労働者の権利を認め、選挙権を拡大して、憲法に社会権を規定し、国家の責務も拡大した「福祉国家」「社会的国家」へと発展させることになりました。
したがって、最初から現代のような国民全体に権利や自由があったのではなく、歴史的な発展を経て、獲得していったものです。
>本家本元の欧米(この頃は西欧が主かなあ)でも近代国家の体裁が確立していた国にしてもその体制の歴史はごく若い国が多かったのではなかったかな・・・と
>でもって、そういった「発展途上の近代国家」の最先端を片っ端から取り入れて組み立てていった近代日本ってのは、かなり特異な(悪い意味ではありません)
明治憲法は基本的には新興国プロシア(ドイツ)流ですね。
欧米で、普仏戦争に勝利したプロシアに勢いに明治政府が影響されたと考えるのが一般的です。
しかも日本の天皇制を立憲君主制で表現した場合、イギリス型よりはプロシア型の方が収まりがよかった。
そして明治日本の陸軍、刑法、医学、哲学はプロシア、海軍はイギリス、民法はフランスなど模範となる国が混在しているのはご存知と思いますが、こうした諸制度・概念を導入するには、日本に適合するような翻訳・消化が必要です。
そして、日本には消化吸収能力があった。
つまり、近代国家の萌芽が明治維新以前にあり、その変革に適応するのに大きな抵抗や障害はありませんでした。
それが東洋的なものを全部捨て去ることなく、しかも西洋の単純コピーでなく、両立できた理由でしょう。
その意味で、東洋の端に位置する日本だけが西洋的近代国家を理解し、かつ西洋に対抗できる国になったというのは稀有ですが、また当然だったと思います。
法学的には、近代国家とは立憲国家、憲法で権力分立と人権が保障された国。
つまり、絶対君主制から立憲君主制、人治主義から法治主義、身分制から契約関係、人権尊重、権力の分配と均衡など諸原理を備えた国家です。
歴史的には、市民と国王との権力闘争・市民革命によって、国王の行政権を制限する法律を制定する市民議会の権限を認め、権利を拡大していく契約=憲法を定める。
そのとき絶対君主の扱いは各国の伝統や革命の有り方によって、違った道を歩むことになります。
フランスは廃絶。イギリスは早くから模範的な立憲君主制を確立。プロシアは皇帝の権限を一部温存。など様々なバージョンがあります。
以上のような法学的な説明では難しいですが、赤城艦長の説明の通り柔らかく表現すると、近代国家とは「国民国家」、国民が主人公の国家だろうと思います。
そのためには、精神的自由と経済的自由の保障という理念だけでは生活できません。
それに相応しい学校・病院・交通などの制度・社会インフラを整備し、治安と国防を確保せねばなりません。
もう一度、法学に戻すと、古典的近代国家が想定していた市民は教養と財産を有するブルジョワジーであり、ブルジョワジーの経済活動を阻害しないように国家の責務は治安維持と国防だけにあるとする「夜警国家」だったのですが、やがて国家間の国力競争、つまり戦争や経済競争に勝ち抜くためには、ブルジョワジーだけでなく、国民の総力が必要となります。
そこで、質の高い製品と軍隊を作る必要に迫られて、国民全体に一定の教育や福祉を施し、労働者の権利を認め、選挙権を拡大して、憲法に社会権を規定し、国家の責務も拡大した「福祉国家」「社会的国家」へと発展させることになりました。
したがって、最初から現代のような国民全体に権利や自由があったのではなく、歴史的な発展を経て、獲得していったものです。
>本家本元の欧米(この頃は西欧が主かなあ)でも近代国家の体裁が確立していた国にしてもその体制の歴史はごく若い国が多かったのではなかったかな・・・と
>でもって、そういった「発展途上の近代国家」の最先端を片っ端から取り入れて組み立てていった近代日本ってのは、かなり特異な(悪い意味ではありません)
明治憲法は基本的には新興国プロシア(ドイツ)流ですね。
欧米で、普仏戦争に勝利したプロシアに勢いに明治政府が影響されたと考えるのが一般的です。
しかも日本の天皇制を立憲君主制で表現した場合、イギリス型よりはプロシア型の方が収まりがよかった。
そして明治日本の陸軍、刑法、医学、哲学はプロシア、海軍はイギリス、民法はフランスなど模範となる国が混在しているのはご存知と思いますが、こうした諸制度・概念を導入するには、日本に適合するような翻訳・消化が必要です。
そして、日本には消化吸収能力があった。
つまり、近代国家の萌芽が明治維新以前にあり、その変革に適応するのに大きな抵抗や障害はありませんでした。
それが東洋的なものを全部捨て去ることなく、しかも西洋の単純コピーでなく、両立できた理由でしょう。
その意味で、東洋の端に位置する日本だけが西洋的近代国家を理解し、かつ西洋に対抗できる国になったというのは稀有ですが、また当然だったと思います。
これは メッセージ 3598 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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