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論点「ハル・ノートを拒否した理由」

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/01/12 18:14 投稿番号: [3304 / 7270]
>>「〜蒋介石政権以外は認めないというハル・ノートは日本への最後通牒、宣戦布告ですよ。
>>政府はそれを国民にかくして発表しなかった。発表すれば、世論は開戦はやむを得ないと承知したでしょう。」

>当時の国民世論からすると『蒋介石政権以外認めない』アメリカとの開戦なら仕方ないって事のようですが
>何故そこまで蒋介石政権の中国は日本の国民世論が危険視する相手だったんでしょうね。

なぜ日本軍及び日本国民のスローガンが、「暴戻なる抗日支那の膺懲(支那を懲らしめる)」となったのか。
日貨排斥運動、中国人の馬賊・軍閥・蒋介石軍・共産党軍による婦女子を含む日本人(朝鮮人)の合法的居留民の虐殺が相次ぎ、日本世論の反感が強い。
この治安維持は、満州事変の動機のひとつとも言われています。
日本人虐殺目的の大規模な例は、通州事件と第二次上海事件で、これが支那事変を拡大させる原因となりました。
日本の立場から見れば、中国の人治主義・残虐性という点も日中間の齟齬の原因になったと考えます。

通州事件
昭和12年7月29日通州の日本軍守備隊は、主力が不在で、留守部隊はわずかに110名程度であった。
この機に乗じて、千数百の中国側保安隊は、日本軍及び一般民への襲撃を開始した。
城を閉じ、逃げられない様にして、在留日本人380名中、惨殺260名。強姦後殺害無数に及んだ。

第二次上海事件
中国各地で日本人居留民の殺害が相次ぐ昭和11年から12年、上海の共同租界には日本人民間人3万人がいた。
それを守るために(第一次上海事件で派遣)、日本海軍陸戦隊4千余が駐留。
蒋介石軍は、上海ー南京ラインに陣地を構築し、この地域に数十万の部隊を集結させた。
そして、昭和12年8月13日攻撃の準備が整った蒋介石軍前衛部隊12万は、上海の日本軍と日本人民間人の居住地域に攻撃を開始する。
蒋介石軍の計画的な作戦目的は、日本軍と民間人の殲滅です。
なお、上海租界は日・英・米・伊の「共同租界」と、フランスの「仏蘭西租界」があり、各国の軍隊も駐屯。
当然、他国の租界に流れ弾が出るため、日本軍は国際法を遵守し、租界の安全を確保しつつ敵を撃退するも、増援部隊が到着するまでの間、相当の苦戦と損害を蒙った。
11月5日第10軍(3個師団)が杭州湾に、13日第16師団が白茆口に上陸。
11月17日中支那方面軍を編成。
11月19日南京へ向け、進撃開始。

以上から、もうひとつ重要な点は、日本軍には戦闘計画がなく、部隊の派遣にすら手間取っていることです。

昭和6年満州事変勃発。
昭和7年満州国、建国宣言。
昭和8年日中軍、熱河省で衝突。
昭和10年梅津・何応欽協定。土肥原・秦徳純協定。
昭和11年西安事件。蒋介石、張学良に監禁さる。
昭和12年盧溝橋事件。支那事変勃発。
通州事件。第二次上海事件。第二次国共合作成立。日本軍、南京占領。
昭和13年トラウトマン工作打ち切り。近衛首相、「国民政府を対手とせず」の声明発表。
日本軍、徐州・広東・武漢三鎮を占領。
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