「ハル・ノートは最後通牒だったのか」関連
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/01/12 17:41 投稿番号: [3303 / 7270]
>>東郷は、嘘の上奏により開戦にもっていていった経緯が恥ずかしく、米国大使グルーとの面会を拒絶したのだ。
前半は論じられているので、後半部分「(東郷外相が)米国大使グルーとの面会を拒絶したのだ。」の検証。
『12月7日ルーズベルト大統領が天皇陛下に充てた親電を発した。
その内容の概略は、「日本軍の仏印からの撤退を天皇陛下が聖断されることを願う」であった。
東京にあったグルー大使は7日夕刻サンフランシスコ放送を聞いてこの親電のことを知った。そして公式電報の到着を待った。
日本の郵便局からグルー大使の手許にその電報が配達されたのは夜の10時30分であった。
だが早速東郷外相と打合わせるべく深夜にも拘らず官邸を訪問し、
「親電を親しく陛下に奉呈したいから拝謁の機会が得られるよう尽力願う」と懇請した。
東郷は初めは反対したが終に同意したので、グルーは親電の写しを渡して8日午前零時30分官邸を辞した。
これは実に真珠湾攻撃の3時間前のことである。
8日の朝午前7時、けたたましい電話のベルに呼び起されたグルーは、
「出来る限り速かに官邸に来訪されたい。今暁5時以来電話を試みたが、接続しなかった」という東郷の声を受話器に聞いた。
急ぎ外相官邸に入ったグルー大使に対し、外相は冷静にしかもいとも形式的に、
「午前3時、陛下に拝謁仰せつけられ、貴国大統領よりの親電を奉呈した。日本政府は遣憾ながら米国政府の態度によりて、これ以上会談を継続するも到底一致点に到達すること不可能なりとの結論に帰着したことを通告せざるを得ない」と長文の覚書を手交した。
グルー大使が、「余が陛下に拝謁を賜りたき旨の請願を陛下に奏上せられたか」と質したところ、
東郷外相は、「貴下と陛下との間を阻隔する意思はない」と答え、更に言葉を続けて、
「平和維持のため貴下の尽くせし努力に対しては感謝す」と簡単な挨拶があった。
大使はそのまま平素の通り階段を降り、外相もまた扉口まで見送った。
この会談において外相は世界を震撼せしめた日米開戦について一言も語らなかった。
グルー大使は日米会談が断絶した以外に何事も知らなかったのである。
大使が真珠湾の攻撃を知ったのは、その後1時間して新聞を手にしたときである。』
①東郷外相に、「米国大使グルーとの面会を拒絶したのだ。」という事実はない。
②ルーズベルト大統領の親電の内容は、これまでのアメリカの要求と変わりがない。
③親電が天皇陛下に渡ったときは、真珠湾攻撃の直前だった。面会の意味がなくなった。
④アメリカ大使館内の電話が朝7時まで切られていて、グルー大使に繋がらなかった。
⑤日本のラジオで日米開戦が放送されたのが午前7時であり、グルー大使の情報収集はお粗末。
前半は論じられているので、後半部分「(東郷外相が)米国大使グルーとの面会を拒絶したのだ。」の検証。
『12月7日ルーズベルト大統領が天皇陛下に充てた親電を発した。
その内容の概略は、「日本軍の仏印からの撤退を天皇陛下が聖断されることを願う」であった。
東京にあったグルー大使は7日夕刻サンフランシスコ放送を聞いてこの親電のことを知った。そして公式電報の到着を待った。
日本の郵便局からグルー大使の手許にその電報が配達されたのは夜の10時30分であった。
だが早速東郷外相と打合わせるべく深夜にも拘らず官邸を訪問し、
「親電を親しく陛下に奉呈したいから拝謁の機会が得られるよう尽力願う」と懇請した。
東郷は初めは反対したが終に同意したので、グルーは親電の写しを渡して8日午前零時30分官邸を辞した。
これは実に真珠湾攻撃の3時間前のことである。
8日の朝午前7時、けたたましい電話のベルに呼び起されたグルーは、
「出来る限り速かに官邸に来訪されたい。今暁5時以来電話を試みたが、接続しなかった」という東郷の声を受話器に聞いた。
急ぎ外相官邸に入ったグルー大使に対し、外相は冷静にしかもいとも形式的に、
「午前3時、陛下に拝謁仰せつけられ、貴国大統領よりの親電を奉呈した。日本政府は遣憾ながら米国政府の態度によりて、これ以上会談を継続するも到底一致点に到達すること不可能なりとの結論に帰着したことを通告せざるを得ない」と長文の覚書を手交した。
グルー大使が、「余が陛下に拝謁を賜りたき旨の請願を陛下に奏上せられたか」と質したところ、
東郷外相は、「貴下と陛下との間を阻隔する意思はない」と答え、更に言葉を続けて、
「平和維持のため貴下の尽くせし努力に対しては感謝す」と簡単な挨拶があった。
大使はそのまま平素の通り階段を降り、外相もまた扉口まで見送った。
この会談において外相は世界を震撼せしめた日米開戦について一言も語らなかった。
グルー大使は日米会談が断絶した以外に何事も知らなかったのである。
大使が真珠湾の攻撃を知ったのは、その後1時間して新聞を手にしたときである。』
①東郷外相に、「米国大使グルーとの面会を拒絶したのだ。」という事実はない。
②ルーズベルト大統領の親電の内容は、これまでのアメリカの要求と変わりがない。
③親電が天皇陛下に渡ったときは、真珠湾攻撃の直前だった。面会の意味がなくなった。
④アメリカ大使館内の電話が朝7時まで切られていて、グルー大使に繋がらなかった。
⑤日本のラジオで日米開戦が放送されたのが午前7時であり、グルー大使の情報収集はお粗末。
これは メッセージ 3275 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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