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なぜ、日中戦争が長期化したのか。

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/01/12 18:16 投稿番号: [3305 / 7270]
満州事変前から述べると大変なことになるので、蒋介石のあたりだけごく簡単に述べます。

第二次上海事件から、南京陥落となったところで、日本は在支ドイツ大使トラウトマンを仲介に立て、蒋介石との和平を探ります。

トラウトマン調停案を示された蒋介石の様子は次の通りです。
『十二月二日蒋介石は各将領の意見を求めることにし先ず唐生智に訊いた。唐はさすがに一座の空気を計り兼ねたか、即答し得なかったが、次に訊ねられた白崇禧は「これだけの条件なら何のための戦争か判らない」と答え、徐永昌も「これぐらいの条件なら応諾すべきだ」と述べ、顧祝同も唐生智もこれに賛成した。蒋介石は「これなら亡国的条件ではないから調停を拒否すべきではない。北支行政権はどこまでも確保すべきである」と言明し将領会議は終った。
かくて蒋介石は同日午後五時からトラウトマンと会見し徐謨が通訳に当った。この会談でトラウトマンは「もし支那がこの調停に応じないなら将来の条件は悪くなるであろう。中国は忍譲の態度をとるべきであろう」と述べたが、蒋介石は「日本人は信用出来ない、平気で条約違反をやり、戦勝国気取りで我に向って来るにちがいないから、ドイツはよろしく終始公平な仲裁者として日本を押えて貰いたい。特に断っておきたいことは華北の行政権は中国側で必ず確保せねばならぬことである」と主張し、トラウトマンもこれを諒とし「日支両国がドイツによる居中調停を望むならば、ヒトラー総統より日支双方へ先ず停戦を申入れるであろう」と約して会談は終了』

しかし、
『日本側では支那側の意思表示を待ち、首都南京の陥落後も松井軍司令官は兵力の休養旁々新たなる軍事行動を差控えた。然るに翌十三年一月十四日に至り、国民政府はトラウトマンを通じて「日本の和平条件は内容空漠にして論議のすべなし。更に詳細に条件を提示されたし」との回答を寄せ、ここにトラウトマンの調停工作は完全なる失敗に帰した。』

和平交渉のテーブルに着くことを拒否した蒋介石の態度の急変は、組織内部の徹底抗戦派からの突き上げがあり、日本と和平する責任を回避したことにあります。
日本はトラウトマン工作を打ち切り、近衛首相が、「国民政府を対手とせず」の声明発表。
日本軍は仕方なく、蒋介石を屈服させるべく進撃を再開しますが、蒋介石は漢口から重慶に遁走。
ここに戦争の長期化が始まるのです。

アメリカは支那事変の拡大によって、中国市場を失います。
以前から日本の中国、アジア進出を快く思わないアメリカは蒋介石に接近し、軍事援助を本格化したため、事変の収拾は困難になってしまいました。
そのアメリカの援蒋ルートを断つべく、日本軍は仏印に進駐し、日米間の直接対立は決定的になります。

以上は概略ですので、日本・蒋介石・アメリカの政略・戦略を比較検討することが肝要かと思います。
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