読みました
投稿者: bosintang 投稿日時: 2006/09/13 23:06 投稿番号: [3087 / 3669]
>「新羅人もしくは新羅人二世あたりの人が新羅で勉強してから帰国し,新羅式漢文を取り混ぜて〈日本書紀〉を書いたという推定が可能だ。」
>森氏もこう考えているのか、興味深いところです。
>次の論文も増補されているようです。
>「文章より観た『日本書紀』成立区分論――日本書紀箚記・その三――」
巻末付録にはそれ以外に,
「「日本書紀」はだれが執筆したか」(2001年6月15日,韓国東方文化比較研究会発表要旨文
「長屋王邸跡の木簡に「大宝律令」制定者の名」(1989年6月24日の朝日新聞記事)
も載っています。
まえがきなどを読んでも,1999年の本に加筆が行われたという説明はなく,付録として上記3点が追加されているだけです。
森教授は,2001年4月から一年間,韓国高麗大学民族文化研究院に客員研究員として滞在していましたが,それによって得られた知見が反映されているわけではなさそうです。
付録の3編を読んでも,別に「山田史御方」に関する新情報はありません。
さて,ハンギョレ新聞の
「新羅人もしくは新羅人二世あたりの人が新羅で勉強してから帰国し,新羅式漢文を取り混ぜて〈日本書紀〉を書いたという推定が可能だ。」
という記述の根拠は,韓国語版序文の次の記述だと思われます。
(前略)
「日本書紀」ベータ群の漢文には音韻・語彙・文法にわたって,日本語の発想に基づく誤りがたいへん多い。すなわち,ベータ群(巻1〜13,22〜23,28〜29)の漢文は,純粋な漢文ではなく日本式漢文だ。このベータ群の執筆者は文章博士である山田史御方(やまだのふひとみがた)であると,私は推定した。御方(みがた)は「史(ふひと)」という姓からわかるように,韓半島からの渡来人が祖先だ。彼は若くして新羅に留学し仏教を修めた。その経歴を考慮すれば,ベータ群の表記と文章には新羅漢文の影響が表れているのではないか。
実際にベータ群の歌謡に使われている「弓(弓の下の一あり)」という文字は「氏(氏の下の一あり)」の異体字で,中国にはなく韓半島の三国時代に作られた異体字だ。また,「甲子七月中」だとか「秋九月中」の「中」は時制格を表す吏読の用法と一致する。
(後略)
「韓半島からの渡来人が祖先だ。彼は若くして新羅に留学し仏教を修めた。」
から,
「新羅人もしくは新羅人二世あたりの人が新羅で勉強してから帰国し,新羅式漢文を取り混ぜて〈日本書紀〉を書いた」
と推定するのは,私には不可能です(笑)。
韓半島からの渡来人には新羅以外にも百済系,高句麗系などがあったろうし,一世や二世じゃなく,何代も前に渡来して言語的に日本人になりきったからこそ,日本人特有の誤りを犯したんではないでしょうか。
可能性としては新羅語と日本語は類似していたということも考えられるかもしれませんが,新羅語がどんな言語だったかは不明ですよね。
ただ,私は,当時の日本の知識人の相当数が渡来系だっただろうことを否定するものではありません。
>森氏もこう考えているのか、興味深いところです。
>次の論文も増補されているようです。
>「文章より観た『日本書紀』成立区分論――日本書紀箚記・その三――」
巻末付録にはそれ以外に,
「「日本書紀」はだれが執筆したか」(2001年6月15日,韓国東方文化比較研究会発表要旨文
「長屋王邸跡の木簡に「大宝律令」制定者の名」(1989年6月24日の朝日新聞記事)
も載っています。
まえがきなどを読んでも,1999年の本に加筆が行われたという説明はなく,付録として上記3点が追加されているだけです。
森教授は,2001年4月から一年間,韓国高麗大学民族文化研究院に客員研究員として滞在していましたが,それによって得られた知見が反映されているわけではなさそうです。
付録の3編を読んでも,別に「山田史御方」に関する新情報はありません。
さて,ハンギョレ新聞の
「新羅人もしくは新羅人二世あたりの人が新羅で勉強してから帰国し,新羅式漢文を取り混ぜて〈日本書紀〉を書いたという推定が可能だ。」
という記述の根拠は,韓国語版序文の次の記述だと思われます。
(前略)
「日本書紀」ベータ群の漢文には音韻・語彙・文法にわたって,日本語の発想に基づく誤りがたいへん多い。すなわち,ベータ群(巻1〜13,22〜23,28〜29)の漢文は,純粋な漢文ではなく日本式漢文だ。このベータ群の執筆者は文章博士である山田史御方(やまだのふひとみがた)であると,私は推定した。御方(みがた)は「史(ふひと)」という姓からわかるように,韓半島からの渡来人が祖先だ。彼は若くして新羅に留学し仏教を修めた。その経歴を考慮すれば,ベータ群の表記と文章には新羅漢文の影響が表れているのではないか。
実際にベータ群の歌謡に使われている「弓(弓の下の一あり)」という文字は「氏(氏の下の一あり)」の異体字で,中国にはなく韓半島の三国時代に作られた異体字だ。また,「甲子七月中」だとか「秋九月中」の「中」は時制格を表す吏読の用法と一致する。
(後略)
「韓半島からの渡来人が祖先だ。彼は若くして新羅に留学し仏教を修めた。」
から,
「新羅人もしくは新羅人二世あたりの人が新羅で勉強してから帰国し,新羅式漢文を取り混ぜて〈日本書紀〉を書いた」
と推定するのは,私には不可能です(笑)。
韓半島からの渡来人には新羅以外にも百済系,高句麗系などがあったろうし,一世や二世じゃなく,何代も前に渡来して言語的に日本人になりきったからこそ,日本人特有の誤りを犯したんではないでしょうか。
可能性としては新羅語と日本語は類似していたということも考えられるかもしれませんが,新羅語がどんな言語だったかは不明ですよね。
ただ,私は,当時の日本の知識人の相当数が渡来系だっただろうことを否定するものではありません。
これは メッセージ 3083 (tyongol さん)への返信です.
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