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>>>>蒙古襲来

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/03 09:49 投稿番号: [28320 / 49973]
>船を鎖で繋ぐ「連環の計」は   曹操だけでなく元末明初の群雄割拠の時代にも行われていた気がします
この水戦は   講談「三国志演義」における「赤壁の戦い」のモデルになったと言われる戦いですが

明の朱元璋と漢の陳友諒の「湖口の戦い」「ハ(番β)陽湖の戦い」ですね。『三国演義』の編者である羅漢中は、幕僚だったか客だったかで、どちらかの陣営に居たと思います。(『水滸伝』『封神演義』など、演義物の多くは明代にまとめられましたので、軍の役職名は明代のを使っていることが多いですが)

>なお   投石機ですが   リュックベッソンの映画「ジャンヌ・ダルク」でも登場します
投石機の向き・距離の計算   装填・発射の時間が相当かかる代物だったようですね

攻城兵器ですからね。船に取り付けたと言っても小さいのしか無理ですし、砲弾の石も多くはなかったのでしょう。

>ちばてつやが謝罪したニダ!

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/03 09:32 投稿番号: [28319 / 49973]
>>「そのマンガについてはよく分からないが、韓国文化を悪く話してはならないと思います。日本には多様な文化が共存しており、日本人の血は中国、韓半島、アジア国家がそれぞれ4分の1で、残り4分の1だけが日本原住民です。

ちばさん、「嫌韓流」を読んでないようですな。「巨匠」ともなると、対象を読まずとも批判できるですなぁ。
・・・なんて皮肉は置きますが、インタビュアーが内容についてまともな説明をせず、「韓国を悪く言うマンファです」くらいの誘導尋問並みの説明をしただろうことは予想がつきます。

>>文化を尊重して交流しなければなりません。その本はそういうことをよく分かっていない人が書いたようです。日本の作家を代表して謝罪します」

「文化を尊重すること」と「批判」は別物ですがねぇ。
先生が常務理事をしている日本漫画家協会では、著作権の保護にも力を入れていますが、かの国の「文化」はご存知ないのでしょうか?
それに、「巨匠」であってももはや「作品」を産み出していない、スポーツ選手で言えば「引退」状態でしょ。そういう「現役選手」でない人に「日本の作家を代表して」もらいたくないです。(過去の名作については敬意を表しますが。『のたり松太郎』が好きでした)

1939年、満州生まれで、引き揚げの辛苦を味わった方ですから、「中国」「朝鮮」というものに対してなにか「刷り込み」に近い意識があるのかな?とも邪推してしまいます。

>>>蒙古襲来

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2005/10/03 09:29 投稿番号: [28318 / 49973]

確かに   弓や槍で応戦している敵兵と   日本軍に背を向けて敗走している敵兵は
兜だけでなく沓も違いますね

船を鎖で繋ぐ「連環の計」は   曹操だけでなく  
元末明初の群雄割拠の時代にも行われていた気がします
この水戦は   講談「三国志演義」における「赤壁の戦い」のモデルになったと言われる戦いですが
 
なお   投石機ですが   リュックベッソンの映画「ジャンヌ・ダルク」でも登場します
投石機の向き・距離の計算   装填・発射の時間が相当かかる代物だったようですね

>ちばてつやが謝罪したニダ!

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2005/10/03 09:20 投稿番号: [28317 / 49973]

ちばてつや氏   満州からの帰還で  
兄弟を亡くされたりと   苦労なさったはずなのに…
 
読んでもない漫画を論評してはあかんがね…

言質を取られるに決まっとるがや…orz

>>蒙古襲来

投稿者: qitiandashen03 投稿日時: 2005/10/03 09:01 投稿番号: [28316 / 49973]
エトさんは前線で戦っている兵士の兜が違うと言われてますが、この兵士と船上で組打ちしている兵士はブーツをはいてます。一方敗走している兵士は布靴ですね。季長は戦闘中敵を良く観察してて絵師に注文したんですな。蒙古軍は軍船を夜間繋いでいたと言う記述は赤壁の戦いの曹操の軍と同じことやってます。水戦に慣れてなくて泳げないと安心のためこうやるのでしょうか。高麗人が本当に海に慣れているなら蒙古人の司令官に進言してよかりそうなものですが。
投石機は映画「ベン・ハー」の海戦シーンで出てきますが復元したもので見ると装填に時間がかかり移動する標的はかなり難しいようです。実際は城の石垣を崩すのに使ったので同じ場所を気長にゴチーンとやったものみたいです。

朝P、日経、東京新聞は可愛いアル♪

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 04:48 投稿番号: [28315 / 49973]
日本の新聞、靖国参拝を首相に要求


2005-10-02 16:19:28 cri

  日本の新聞は1日社説などを発表し、9月30日の小泉首相の靖国参拝についての大阪高裁などの判決に論評を加え、靖国参拝を停止するよう小泉首相に求めました。
  「朝日新聞」はその社説で、「首相の参拝は外交問題であるだけでなく、憲法をめぐる重要な問題である。司法の判断は、高裁の段階でも真っ二つに割れ、首相の参拝が日本の社会に深い亀裂をもたらしていることを示した。このところ首相はしきりに私的参拝であることを強調している。だが、司法の判断がこれだけ分かれた以上、参拝を強行すべきではない」としています。

  「日本経済新聞」の社説は、「首相の靖国参拝は中国や韓国が強く中止を求め、国内でも野党だけでなく与党にも反対する意見がある、対外問題として見れば、首相の靖国参拝は中国、韓国ばかりでなくアジア諸国との外交の大きなトゲになっている」と論じています。

  「東京新聞」は、その社説で、「国の指導者には国民や近隣諸国の人々に不安、懸念を感じさせない配慮が望まれる」と指摘しています。


http://jp.chinabroadcast.cn/151/2005/10/02/1@49785.htm

タイトル、「参拝中止を要求」なんじゃないの?(笑)

ちばてつやが謝罪したニダ!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 04:44 投稿番号: [28314 / 49973]
orz

>「そのマンガについてはよく分からないが、韓国文化を悪く話してはならないと思います。日本には多様な文化が共存しており、日本人の血は中国、韓半島、アジア国家がそれぞれ4分の1で、残り4分の1だけが日本原住民です。文化を尊重して交流しなければなりません。その本はそういうことをよく分かっていない人が書いたようです。日本の作家を代表して謝罪します」

ウェーッハッハッハ!!!!

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「あしたのジョー」の巨匠、千葉徹也氏が来韓



OCTOBER 03, 2005 03:16


日本マンガの巨匠、千葉徹也氏(66)を知っているかと聞くと、多くの人が首を傾げる。しかし『ハリケーン・ジョー』(『明日のジョー』の韓国版名)といえば、直ちに「ああ、あのボクシングマンガ」と言って納得する。変わった髪の毛、素敵な口笛を吹いてにっこりと笑う反抗児、ファイトにあふれるボクシングの実力まで、「ヤブキジョー」はマンガが好きの人なら一度は見たキャラクターだ。

このマンガはアニメーションにも作られ、1990年代の初めに韓国で『挑戦者ハリケーン』というタイトルで人気放映された。同アニメの原題は『あしたのジョー』。少年院出身のジョーが社会の冷遇の中でも手ごわい相手と戦いながら、ボクシングチャンピオンを目指す過程を描いている。同作品は1960年代、日本の全共闘世代たちに最も多くの影響を与えたマンガで、当時の時代精神を代弁するという評価まで受けた。


原作者の千葉徹也氏と1日、第8回富川(ブチョン)国際マンガフェスティバルで会った。


「韓国に来たのは今回が6回目です。李賢世(イ・ヒョンセ)、金ドンファなど優秀な韓国作家らを思い出します。特に最近読んだ『純情物語』(カンプルの純情マンガ日本版)が印象的でした。線のないインターネットマンガで絵本を見ているようでした。感性より感覚が先に進む日本マンガには見られない、純粋さが残っているという感じも受けました」


「韓流」について聞くと、千葉徹也氏は「韓国へ行くという話をしたら、ガールフレンドたちが連れて行ってくれと大騷ぎだった」と笑った。


韓流を卑下する内容を記して問題になった日本マンガ『嫌韓流』(7月発売)についても聞いてみた。


「そのマンガについてはよく分からないが、韓国文化を悪く話してはならないと思います。日本には多様な文化が共存しており、日本人の血は中国、韓半島、アジア国家がそれぞれ4分の1で、残り4分の1だけが日本原住民です。文化を尊重して交流しなければなりません。その本はそういうことをよく分かっていない人が書いたようです。日本の作家を代表して謝罪します」

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2005100398098

トピずれ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 03:33 投稿番号: [28313 / 49973]
孔子のセレモニーで、明代の格好ですか。

orz

せめて春秋時代のを考証して欲しいねえ。

でも、支那ではよく清代の満州族の服装でセレモニーをやるが、今敢えて明代の漢族風の服装とはねえ。

http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/050928/ids_photos_en/r4050386292.jpg

しかし、李氏朝鮮は基本的に明朝とほぼ同じ服装だったが、こっちの方が朝鮮の時代祭りの服装より荘厳に見えるとは言えるかな。
そりゃ本場だしな。(笑)

にゃるほろ☆

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 03:19 投稿番号: [28312 / 49973]
>すでに国際社会は非常に厳しい視線しか向けていないという、現実を知るべきです。

↓みたいですね。(笑)

美国だけじゃなく、支那もロシアも、いい加減に「おんどれは誰のために6カ国会議をやっとると思うとんのじゃ、ワレ!」となりますわな。

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人権決議案の棄権「国際社会は理解できない」

2005/10/01 13:24


【ソウル1日聯合】韓国政府が国連人権委員会での北朝鮮人権決議案の採決で、参加しなかったり棄権票を投じたことに関連し、駐米韓国外交官らが「国際社会の理解を得るのは難しい」との見解を示した。
  国家人権委員会が国会法制司法委員会に提出した報告書によると、駐米韓国外交官らは、北朝鮮の人権問題を南北関係の特殊な事情して説明するならば国際社会を説得できないとし、国際社会に政府の立場を説明するため、人権の論理でアプローチしなければならないと指摘した。その上で、崔永愛(チェ・ヨンエ)常任委員ら人権委員会関係者に北朝鮮の人権問題についての政府の姿勢に懸念を示したという。

  韓国政府は2003年に国連人権委員会が北朝鮮の人権改善を促す決議案を採択する際、採決に参加しておらず、昨年と今年は北朝鮮関連の決議案採択に棄権票を投じている。

http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=012005100102300

いえいえちっともわかっていないとも・・

投稿者: doronpa90 投稿日時: 2005/10/03 02:57 投稿番号: [28311 / 49973]
締めの言葉・・・

>こういう主張を闇雲にあからさまに行えば、国際社会が韓国という国にどのような視線を向けるのか一度考える必要がある。


すでに国際社会は非常に厳しい視線しか向けていないという、現実を知るべきです。

ファビョンロケット

投稿者: doronpa90 投稿日時: 2005/10/03 02:51 投稿番号: [28310 / 49973]
現在のもの・・・

朝鮮人のイメージ

         r⌒ヽ    (⌒⌒)    r⌒ヽ/,
     、、;(⌒ヾ     ((⌒⌒))    /⌒) ),    ,
    、   ヾ   (⌒ヽ   ド━ l|l l|l ━ン!⌒⌒);;)/.   ,
  、\(⌒ゝ;(⌒ヾ      ∧_∧     ⌒)/)) .,/ ,,
((⌒-丶(;;;(⌒ゝ;;(⌒∩#`Д´>'')   ,⌒⌒);;;;;)))⌒)
  (;;;;(⌒(⌒;;;(⌒     ヽ     ノ   /   ))⌒));;;;)-⌒))
ゞ   (⌒⌒=─       (,,フ .ノ      ─=⌒⌒)ノ;;ノ;;;::)
((⌒≡=─   人从;;;;    レ'   ノ;;;从人─=≡⌒)丿;;丿ノ


実際のファビョンロケット

          ´     ヾ
          ゛ (⌒)   ヽ
          ((、´゛))
     ..        |||||
((   ⊂_ヽ       ||||||   ドッカーン !!
    (   \\   ∧_∧)   ))
   ((⌒))\ <♯`Д´>
   ノ火      >    ⌒ヽ
   (⌒((⌒)/:..:″;.へ \)),   ファビョ━━━ン!
   (⌒(   ⌒ )::./))   \\      。
      (   (( ⌒ ))   )   ヽ_つ    。
      (( ⌒ ))   )),        
    从ノ.::;;火;; 从)〔      
     从::;;;;;ノ   );;;;;从  
    从;;;;;::人 ;ノ;;;;;从人

ちっとは分かってる朝鮮日報

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 02:47 投稿番号: [28309 / 49973]
フフン。

ま、もっともっと「美国は桂=タフト条約を謝罪汁!」と叫んで欲しいネ。

もっと騒げ☆

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/02/20051002000050.html

自己レス

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 02:38 投稿番号: [28308 / 49973]
>さらにKCNAは、高麗時代(918―1392)にも、「ファジョン」と呼ばれるロケットが生産されたと説明。


  ((⌒⌒))
(((((   )))))   ←この辺がロケット
.    |   |
  .∧_∧
∩#`Д´>'') ファビョーン
ヽ     ノ
  (,,つ .ノ
   .し'

>朝鮮人はどんな兵器を

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 02:35 投稿番号: [28307 / 49973]
orz

・・・・・・・・・・・・・

朝鮮が7世紀に世界初のロケットを開発、北朝鮮が主張
2005年 5月31日 (火) 15:10


  [ソウル   31日   ロイター]   北朝鮮の朝鮮中央通信社(KCNA)は30日夜、朝鮮民族が1300年以上も前に世界最初のロケットを開発していたと報じた。

  KCNAは、7世紀の高句麗時代末期に、現代のジェット推進型ロケットと類似した兵器が使われていたと主張。「最初のロケットは非常に簡素だが、原理は現代のものと似ている」と伝えた。

  さらにKCNAは、高麗時代(918―1392)にも、「ファジョン」と呼ばれるロケットが生産されたと説明。これは全長ほぼ1メートルで、ロケット推進技術を駆使したやじりが使われていたとしている。

http://news.goo.ne.jp/news/reuters/kokusai/20050531/JAPAN-178331.html

>日本は感謝汁」と韓国の学者は主張

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 02:31 投稿番号: [28306 / 49973]
元軍の構成表

文永の役(1274)
船舶数 900隻(高麗が建造)
兵力 高麗人   12700人
宋   人
女真人
漢   人
モンゴル人    30人

総数   25000人

弘安の役(1281)
船舶数 4400隻(高麗が建造)
高麗人   25000人
宋   人
女真人
遼   人
トルコ人
安南人
モンゴル人    150人

総数   50000人

上の数字は、以下のサイトからのコピペです。

http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub203.htm

高麗人と蒙古人以外は、内訳が分かりませんが、総数だけは分かりますな。
いずれにせよ、主力は高麗兵です。

何が「感謝汁」ですかね。
どうでもいいですが、「手先とは言え、ウリナラは侵略してしまったニダ。ウリは謝罪汁!」とでも言えば、神妙なんですがね。(笑)

>元寇の発端

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/03 02:13 投稿番号: [28305 / 49973]
丁寧な解説、痛み入ります。
元寇前後の高麗の事情がよく分かりました。

>ただ不可解なのは、この後も元は3度目の遠征を企画していたと言う事。(「元史」)

ここにひかかりますよね。
日本の砂金を狙ったとか。当時、中尊寺の仏像や東大寺の大仏など金箔のキンキラキンでしたから。(勿論、冗談です)

>この当時の「世界の警察官」元軍を半島に繋ぎ止めておくためでしょう。
>これに反対する勢力は反乱を起こし、モンゴルにより鎮圧されますが、
>一部はなお激しい抵抗を続けていた。
>これが三別抄です。
>忠烈王の発言は王権を保つために、クビライの意を迎えようとしたとする見解があります。

なるほど、済州島(耽羅)に篭った「三別抄」の鎮圧が、元寇の前年まで続いていました。
でも、「三別抄のモンゴルに対する抵抗によって7年元寇を遅らせた。日本は感謝汁」と韓国の学者は主張しているようですね。(苦笑)

>そのような中で忠烈王とモンゴル人の夫人の間に生まれた忠宣王以降の国王は、
>以後は元の宮廷で育てられ、元の宮廷政治に関わるようにすらなります。
>このような中で高麗貴族の間ではモンゴル風の文化が大流行し、
>自らモンゴル風の姓名を名乗るものが続出、

ははあ、こうしたことから、元風「創氏改名」が行なわれた訳ですね。
これは高麗の堕落の象徴ですね。

見事な絵

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 02:11 投稿番号: [28304 / 49973]
よく描かれてますね。

もちろん、自分の勲功を残すための絵ですから、カッコよく描かれているのでしょうけど、それにしても立派な絵ですな。

なるほど、安達氏はやはり「城介」(秋田城介)ですか。この絵でも分かりました。

>蒙古襲来絵詞で一服汁

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/03 02:03 投稿番号: [28303 / 49973]
私は手元の歴史書に載っているのを見ました。

先ほど「弓か矢を作っている」と書きましたが、エトさん提示のサイトで確認したところ、「季長、敵船に乗り込み蒙古兵を討取る」の右から二艘目の漕ぎ手でした。
私の本ではトリミングがされていたので舷側がみえず、「棒状のものを持っている」ように見えたのですが。

蒙古襲来絵詞で一服汁

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2005/10/03 01:55 投稿番号: [28302 / 49973]

http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/gallery/moukoshurai/

画像を参考までに

確かに   兜の形状が   蒙古兵と違うような…

>威嚇か占領か

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 01:55 投稿番号: [28301 / 49973]
>それはさておいて、今のインドネシア人は、我々の祖先は大元帝国の軍隊を追い返した偉大な祖先、なんぞとはあまりいいません。

そうですか。
ならば、チャン・フンダオを英雄としているベトナムとも、違うわけですね?

>この遠征は最終的には失敗するのですが、そもそもの目的がよく分かりません。単なる懲罰で終わらせるつもりだったのか、占領まで企てていたのか。

他の方々とも重複しますが、やはり、「中華帝国の面子」という意味もあったのではないかと思えてきます。
「いいから、形だけでも臣従しろ。別に直接支配するわけではないのだから」という意味ではないかと。
まあこれはワタシの個人的な「想像」でしかありませんが。

スイマセン

投稿者: deathorlove_az 投稿日時: 2005/10/03 01:51 投稿番号: [28300 / 49973]
よくよく見たら翻訳掲示板とありました

なので、多分NEAVERの事でしょう。

お騒がせしました。

どうしようか

投稿者: deathorlove_az 投稿日時: 2005/10/03 01:45 投稿番号: [28299 / 49973]
迷ったのですが…

偶然、こんな不届きなサイトを見つけてしまいました。
多分、このカテの事だとは思うのですが…

http://hwabyung.exblog.jp/1166793

なんていうか…その…スイマセン!

>>だめだめだめ9

投稿者: doronpa90 投稿日時: 2005/10/03 01:41 投稿番号: [28298 / 49973]
金さんは「完全な火薬」ってとてつもない兵器だって思ってるんじゃないですかね?

当時の火薬の使い道って直接殺傷できるほどのものじゃないでしょう?   暴徒鎮圧用程度でしょ・・・しかも湿気た海岸沿いで・・・

んん、で朝鮮人はどんな兵器を開発していたのやら・・・


私の推測・・・当時の刀の差は日本側から見るよりも大きかったのではないでしょうか?   それに日本には馬もいることですし・・・馬の有利さはモンゴル人が一番知っている・・・

「蒙古襲来絵詞」を信じるのなら、単独で切り込んだ竹崎季長は結局殺されなかったわけですしね。

「蒙古襲来絵詞」をよーく見ると前線で矢を放っているのはモンゴル人でその後で逃げ惑っているのは帯の位置が高い!げ!朝鮮人だ!

元寇の発端、etc3

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/10/03 01:36 投稿番号: [28297 / 49973]
小生が最も不可解に思う点は。

3度目の日本遠征をクビライが企画していたと言う点。

従来説ですと、既に「国家戦略目標」は達成しているはずなのです。

勝敗は別として。

では何故、3度目なのか?

その辺りの鍵は、前のresでも述べましたが、この頃モンゴルは海洋交易進出に、
大きな注力をしていたと言う事です。

南宋攻略もその一環でした。

日本は、モンゴルの「汎ユーラシア・ネットワーク」
その東アジア地区の海上ルートの「ハブ拠点」として考えていたのではないでしょうか。

東南アジア〜旧南宋〜日本〜華北・日本海の大陸側沿岸沿岸。

陸路より、遥かに交易ネットワークとして、使い勝手が良いですし。

そういう意味では、強制的な占領より。
「藩屏」若しくは「大元ウルス」の中の「日本・モンゴル」

これを考えていたのではないでしょうか。

あくまで推論ですが。

元寇の発端、etc2

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/10/03 01:28 投稿番号: [28296 / 49973]
<高麗の役割>
>「高麗史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が、「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」とある。

>なぜ?

この当時の「世界の警察官」元軍を半島に繋ぎ止めておくためでしょう。

高麗はモンゴルの侵攻前は武臣(崔忠献)が王を傀儡化して政権を執っており、
王はモンゴルの兵力を借りることによって王権を奪い返しました。
それ以後、高麗王はほとんどモンゴルと一体化し、
モンゴル名を貰い、モンゴルの娘を王妃にしていました。

これに反対する勢力は反乱を起こし、モンゴルにより鎮圧されますが、
一部はなお激しい抵抗を続けていた。

これが三別抄です。

忠烈王の発言は王権を保つために、クビライの意を迎えようとしたとする見解があります。

因みに、日本攻略ルートは『元史高麗伝』によると当初より三つの案が検討されていました。
1.日本は島国で攻略が難しいので高麗に兵を置き国書により属国にする。
この案では損害もでず、また高麗の統治強化および南宋と日本の分断が可能。

2.まず南宋を攻略し服属せしめた漢人を使って日本を攻略する。
この案は多数の兵力を準備でき蒙人高官が支持。

3.高麗軍を使って東路より日本を攻略する。
この案では兵力不足が懸念されました。


上述の三策の内、高麗ルートを選ばせたのもモンゴル兵力が、
高麗から離れてしまうことを恐れたためとも考えられます。

<元寇によって痛手を受けた高麗>
かなりの痛手を受けます。
忠烈王以後、元の皇女と結婚してハーン(汗)の娘婿の待遇を受けるようになりますが、
同時に本来日本征討のために設けられた元の出先機関である征東行省(高麗王が長官となる)と高麗政府が一体化して、
高麗は元の強い影響下に入ることになります。

また、元は国王一族を瀋陽王に封じて別の宮廷を建てさせて、
事実上の高麗朝廷の分割を行ったため、国王の権威は大きく損なわれました。

そのような中で忠烈王とモンゴル人の夫人の間に生まれた忠宣王以降の国王は、
以後は元の宮廷で育てられ、元の宮廷政治に関わるようにすらなります。

このような中で高麗貴族の間ではモンゴル風の文化が大流行し、
自らモンゴル風の姓名を名乗るものが続出、
果ては元への合邦を望む声も出る有様です。

1370年に明が中国に興り、元を北に追いやる(北元)と、
高麗は明と修好しましたが、国内では親明派と親元派の「伝統の」抗争が(笑)

この間に倭寇や元との戦いで功績をあげ、台頭していた武人李成桂が1388年にクーデターを起こして政権を掌握。

恭譲王を立てると、親明派官僚の支持を受けて体制を固め、1392年に自ら即位して李氏朝鮮王朝を興します。

ここに恭譲王は廃され、高麗は滅亡。

威嚇か占領か

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/10/03 01:25 投稿番号: [28295 / 49973]
弘安の役の8年後、1289年にフビライはジャワのシンガサリ朝に朝貢を促す使者をおくったのですが、シンガサリ側が使者の顔に刺青を入れて送り返したので、フビライが怒り、1千隻の船で遠征軍をおくりました。

この遠征は最終的には失敗するのですが、そもそもの目的がよく分かりません。単なる懲罰で終わらせるつもりだったのか、占領まで企てていたのか。フビライの怒りが主な原因だったような気がします。日本では失敗したが,今度は失敗しない、コケにされたたまるか、などと思ったのでしょうか。

この過程で複雑怪奇な面白いことがおきているのですが、それはさておいて、今のインドネシア人は、我々の祖先は大元帝国の軍隊を追い返した偉大な祖先、なんぞとはあまりいいません。

元寇の発端、etc

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/10/03 01:25 投稿番号: [28294 / 49973]
<元寇の発端>

諸説諸々ありますが。
従来説ですと、

1.日本と南宋の分断。
当時、元は南宋攻略の真っ最中でした。
で、日本は当時、南宋とは交易を通じ、非常に良い関係を築いていました。

で、日本側が元の南宋攻略に対して、日本側がどういった反応を見せるのか?
その実力は?

そういった事を確かめるための、軍事的に言えば「威力偵察」
これが文永の役だったのではないか、戸も言われています。

弘安の役に関しましては。
南宋攻略後なのですが、既に諸氏も言われていますように、
攻略した後の旧南宋兵力の土匪賊化を警戒したのでは、と。

有力なものとしては、南宋を降した後に旧南宋軍を日本侵略にあたらせ、
消耗させるためと言うものがあります。
前のresでも申しましたが、博多湾の底で見つかった元の軍船から、
農業用の鋤や鍬などが見つかっています。
このため、戦争に勝利した暁には屯田を目的としていたという考えもあります。

これをもって侵略の意図と見る見解があり、14万人という過剰な人員のうち、
南宋の10万人は軍隊と言うよりも移民船団だったのではと言う見解も出されています。

ただ不可解なのは、この後も元は3度目の遠征を企画していたと言う事。(「元史」)

最もこれは、元内部の反乱発生と、まもなくクビライが死んだ事で取りやめとなりましたが。

>>だめだめだめ9

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/03 01:21 投稿番号: [28293 / 49973]
サムライさん、失礼な表現になって済みませんでした。お許し下さい。
戦闘状況の解説は、とても分かりやすいです。

ネットで調べてみても分からないのが、高麗自身の負担になるような日本侵攻を進言する意図は何だったのか、という疑問です。

それにしても、高麗王の進言から、侵攻までの侵攻準備が短すぎるように思います。

変なこと訊いて済みませんでした。

************************************************

韓国・中学教科書の中の元寇

元寇について韓国の教科書はどのように書いているか

元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵器の供給、兵士の動員を高麗に強要した。
こうして二次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した。
元は日本遠征のため、高麗に征東行省という役所を置いた。
征東行省は日本遠征が失敗した後には高麗との公的連絡機関として運営された。

たった、これだけである。

http://toron.pepper.jp/jp/middle/genkou1.html

まあ、平壌キンちゃんは、

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 01:06 投稿番号: [28292 / 49973]
間違いなく、以下の初歩的書物を読んでいませんな。

『高麗史』『元史』『新元史』

キンちゃんは、前にも悪乗りして、最後は罵倒系になっていたんだな。(笑)

だめだめ、ピョ〜〜〜ン☆

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/03 00:57 投稿番号: [28291 / 49973]
もう東亜さんやサムライさんと重複するのだが、

>単純にモンゴルが日本を侵略しようと思ったことは日本が風富とか文化的に魅力のあるザングソイニカは絶対にではなくモンゴルに誠意を見せながら使臣を送らないことに対する対価を少しでも見せてくれるための政治的な決定だと見ることが一番正確だ. 日本を占領して見ても獲得することができることは何もないから.

第一回の「文永の役」では、確かに威嚇の意味が強く、占領までは元朝も考慮していなかったな。あくまでも、日本が臣従すればそれで良かったのだから。(ところが、『元史』を読むと、必ずしも元世祖の書面が、他の国々への文面と違い、鄭重なので、使臣さえ送れば、それで形式的に中華王朝の面子が保たれたのではあろう。『元史』を読む限りでは、だが。)

第二回目(弘安の役)は、これは君の解釈が間違っている。
目的は、「軍事征服」だ。
君は、元軍が、家畜や農民を中国大陸から軍船に乗せて連れてきていた事を知らないのか?

>そこにモンゴル軍人たちより高麗軍がずっと勇猛だったとモンゴルの歴史書である '怨辞'でも記録しているから.

二度目は日本も防塁構築を徹底して、陸戦で勝利したわな。
おまけに、軍船は長期停泊で船底が腐ってしまったわな。

>日本が風富とか文化的に魅力のあるザングソイニカは絶対にではなく

マルコ・ポーロ、知っているか?(もちろん彼が語る日本は、誇張が大きかったが。かつての平泉の栄華を、日本全土の栄華と拡大解釈していた疑いもある。)

>完全な火薬さえなくて日本人無事の使った弓は正確度も流れて殺傷力も低かったからそのままおもちゃ水準だったと言われます.

「おもちゃ水準」で、なぜ陸戦で勝ち、夜間の敵船奇襲が成功したのだ???
武器って、「矢」だけか???(笑)

>すみません. 少しは率直に話したので.

率直なのを謝る必要は無い。
ただ、間違いが多いのを謝罪しなさい。(笑)

最後に、

>今もキュー収支部屋に行って見ればその頃モンゴル高麗連合軍に対する恐怖が泣く子供達を脅威する言語で使われている.

「ムクリ、コクリ」か。
なるほど、高麗兵の侵略行為を誇るわけだ?
ならば、朝鮮の哀願で、条約で朝鮮を併合した日本は、何と紳士的なのだろうか。
さすがは日本だ。(爆)

あ、日本は朝鮮みたいに理不尽な謝罪だの賠償だのを要求はしない。

「元寇」の歴史的意義は、むしろ鎌倉幕府の財政難・滅亡の引き金として捉えられているからなあ。

それが、「社会科学」と言うのだよ。

OK?

>>全米No.1

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2005/10/03 00:56 投稿番号: [28290 / 49973]

かつては   映画配給会社のフカシがほとんどでしたが

さて   今はどうなのかな?

>だめだめだめ9

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/03 00:54 投稿番号: [28289 / 49973]
>>完全な火薬さえなくて日本人無事の使った弓は正確度も流れて殺傷力も低かったからそのままおもちゃ水準だったと言われます.

>まぁ、元軍には確かに当時は日本には無かった(使用していなかった)
毒矢、火砲(火器)などの最新兵器のために各地で日本軍は苦戦したとされる。

補給面から言えば、「日本になかった兵器」である火砲の弾薬の現地調達は不可能ということですね。補給船団を呼ばないといつかは在庫切れになってしまいます。
回回砲は投石器なので、上陸して橋頭堡を築けば石の補給はなんとかなるでしょうが。

「蒙古襲来絵詞」では、元船の甲板で弓(当然短弓)を射る兵の後ろで、非武装の人物がたすきがけをして弓か矢を作っている場面がありました。

>だめだめだめ9

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/03 00:45 投稿番号: [28288 / 49973]
サムライさんの質問です。

元寇の発端は何でしょうか?
高麗の役割は?
元寇によって痛手を受けた高麗はどうなったでしょう?

>>単純にモンゴルが日本を侵略しようと思ったことは日本が風富とか文化的に魅力のあるザングソイニカは絶対にではなくモンゴルに誠意を見せながら使臣を送らないことに対する対価を少しでも見せてくれるための政治的な決定だと見ることが一番正確だ. 日本を占領して見ても獲得することができることは何もないから.   by   pyeongyang_kimちゃむ


「元史」によると1272年に、高麗王の王世子の椹(後の忠烈王)が、元国のクビライ皇帝に「惟んみるに、日本は未だに聖化を蒙らず。故に詔を発し、軍容を継耀せしめんとせば、戦艦兵糧まさに、須いる所あらん、もし此事を以って臣に委ねなば、王師を小助せん」と申したとある。

「高麗史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が、「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」とある。

なぜ?

>全米No.1

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2005/10/03 00:34 投稿番号: [28287 / 49973]
最大、年間50本は<全米No.1>あります。

>>わかった!!(45ノット)

投稿者: hail_mary_0 投稿日時: 2005/10/03 00:25 投稿番号: [28286 / 49973]
アメリカ映画の日本でのCMで。

毎年<全米No.1>がたくさんあるのと似ているでしょうか。

>だめだめだめ8

投稿者: hail_mary_0 投稿日時: 2005/10/03 00:21 投稿番号: [28285 / 49973]
  ∧_∧   +
  (O・∀・)   ワクワク テカテカ
  (O∪ ∪ +
  と__)__)   +

こんばんわ。
お話読んでもらってる子供(←ズーズーC)の気分でし。




(レントウシエンハイラナインダ)

だめだめだめ9

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/10/03 00:20 投稿番号: [28284 / 49973]
>完全な火薬さえなくて日本人無事の使った弓は正確度も流れて殺傷力も低かったからそのままおもちゃ水準だったと言われます.

まぁ、元軍には確かに当時は日本には無かった(使用していなかった)
毒矢、火砲(火器)などの最新兵器のために各地で日本軍は苦戦したとされる。

しかしながら、弘安の役では、文永の役での元の戦力を分析し、
日本側は元軍より射程距離の長い弓矢を使用した。
一方、東路軍は、沖の波に揺られる船上から不安定なまま矢を射ることとなり、
射程距離も及ばないことも重なり、日本軍にダメージを与えられないまま、
沖の上で停滞を強いられた。

元々、日本の弓矢は騎射には向かない、大弓だから。
但し、確固たる弓射拠点(この場合、防塁と楯)があれば。
元々、騎射を主眼に造られた大陸の弓矢より、射程距離は長いんだよ。

この事は、ヨーロッパでもあってね。
英仏100年戦争当時。
英国弓兵隊の長弓(歩兵用の大弓)の威力に、フランス側は圧倒されていたよ。

また、射程距離が長い=運動エネルギーが大きいから、射貫能力も大陸の弓より大きい。

>正確度も流れて殺傷力も低かったからそのままおもちゃ水準


だったのは、慣れない船上での騎射用の弓矢を射掛けていた、元軍側だったんだけど?

>>だめだめだめ7

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2005/10/03 00:19 投稿番号: [28283 / 49973]
>たしか農耕用の牛馬まで帯同したので、船中その糞尿の始末に往生したとかいいます。

もし元軍が大量の戦闘用の馬を上陸させたら、やばかったかと思っていたんですが、農耕用の牛馬は運んでいたんですか。
上陸戦では馬は役に立たないかもしれないけど、内陸に攻め込んだら有効につかえそうなのに。

>だめだめだめ7

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/03 00:14 投稿番号: [28282 / 49973]
>文永の役によって元軍の戦法を承知していた日本軍は優勢に戦い元軍を海上に追い落としているよ。
実際、志賀島占領は出来なかったしね。

日本軍からは、草野次郎らが小舟で夜襲をかけ、元船に斬り込み、火を放って成功しましたが、それ以降は船同士を鎖で連結、投石器である回回砲(別名襄陽砲)の砲撃で日本側の被害も大きくなったようです。

>近年の調査では、博多湾の底で見つかった元の軍船から、農業用の鋤や鍬などが見つかっている。

>このため、戦争に勝利した暁には入植を目的としていた、
明確に侵略を意図していたのではないかとも見られている。
通説では14万人という過剰な人員も、そのために必要だったと考えられている。

>14万人という過剰な人員のうち、南宋の10万人は軍隊と言うよりも、移民船団だったのではと言う見解も出されているよ。

降伏した南宋軍を危険視して「棄民」ならぬ「棄兵」するつもりだった、といも言われていますね。侵略に成功したら現地にほったらかし、戦死すりゃ、それはそれでオッケーとかいって。
たしか農耕用の牛馬まで帯同したので、船中その糞尿の始末に往生したとかいいます。

だめだめだめ8

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/10/03 00:08 投稿番号: [28281 / 49973]
>新風が日本を救援したと言うことは出たらめな妄想

「神風は間違い」というのは、あながち嘘でも無いんだな。

文永の役における蒙古軍の撤退に関して、
定説では日本側の史料には一夜明けると蒙古船が消失していた、
と言う事実が記されているのみとされる。
『八幡大菩薩愚童訓』
「夜中ニ白張装束之人三十人筥崎ヨリ矢先ヲ調テ射ケルガ
其事カウ震敷身毛余立テ恐シク家々ノ燃ル焔ノ海ノ面ニ移レルヲ
海中ヨリ猛火燃出ルト見成テ蒙古共肝心ヲ迷ハシテ我先ニ逃ントハ
後ニ生取レタル日本人帰レルト又彼蒙古カ一同ニ申上ハ更ニ誤不可有」
とも記されている。
定説ではなぜかこの下りを無かったことにしてあるなぁ。

結局は、日本側の「夜襲」に慌てふためいて、撤収したんだけど。

『高麗史』
撤退途中に風雨が起き多数が座礁した事が記されている。
しかし、なぜか定説では湾内で台風に遭い損害がでたので、
その夜のうちに撤退したという解釈になっていた。
湾内でさえ被害がでる程の台風の最中にどうやって玄海灘に出れたかは謎だ・・・

文献資料的には風雨の事実が記されているが、
気象学的には過去の統計に台風の渡来記録が無いことから、
台風以外の気象現象という見解もとられているよ。

文永の役に関しては、台風説の可能性はほぼなかったと、今日ではみなすものが多いね。

弘安の役に於いても、当時の日本が知り得なかった江南軍壊滅の理由を、
台風や熱帯低気圧の影響としながらも、博多沖の東路軍は、
それとは違った理由で壊滅したという説もある。

いずれも、太陰暦の10月。
今で言えば、11月の半ばから暮れにかけて到達しているから。

台風シーズンは終わっているしね。

元軍は、君が思っているほど強くは無いよ、実際。

あそこまで領土を拡大できたのは、外交的根回しが出来ていたからなんだけど。
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