>元寇の発端
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/03 02:13 投稿番号: [28305 / 49973]
丁寧な解説、痛み入ります。
元寇前後の高麗の事情がよく分かりました。
>ただ不可解なのは、この後も元は3度目の遠征を企画していたと言う事。(「元史」)
ここにひかかりますよね。
日本の砂金を狙ったとか。当時、中尊寺の仏像や東大寺の大仏など金箔のキンキラキンでしたから。(勿論、冗談です)
>この当時の「世界の警察官」元軍を半島に繋ぎ止めておくためでしょう。
>これに反対する勢力は反乱を起こし、モンゴルにより鎮圧されますが、
>一部はなお激しい抵抗を続けていた。
>これが三別抄です。
>忠烈王の発言は王権を保つために、クビライの意を迎えようとしたとする見解があります。
なるほど、済州島(耽羅)に篭った「三別抄」の鎮圧が、元寇の前年まで続いていました。
でも、「三別抄のモンゴルに対する抵抗によって7年元寇を遅らせた。日本は感謝汁」と韓国の学者は主張しているようですね。(苦笑)
>そのような中で忠烈王とモンゴル人の夫人の間に生まれた忠宣王以降の国王は、
>以後は元の宮廷で育てられ、元の宮廷政治に関わるようにすらなります。
>このような中で高麗貴族の間ではモンゴル風の文化が大流行し、
>自らモンゴル風の姓名を名乗るものが続出、
ははあ、こうしたことから、元風「創氏改名」が行なわれた訳ですね。
これは高麗の堕落の象徴ですね。
これは メッセージ 28297 (samurai_03_japanjp さん)への返信です.
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