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天皇の艦長、漢那憲和 第1章 (4

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/01/28 00:41 投稿番号: [8514 / 49973]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000549&tid=jf9qa4nbpa5fa5mc0oaha4k4xoa2a47a4f&sid=2000549&mid=1968

漢那が幼少の頃、父が結核で亡くなり、母オトは日本茶の行商でなんとか生計を立てていたが、貧しいってもんじゃない生活であったことには容易に想像できるであろう。

だが、母オトは生活の苦しさに負けて、子供の教育を怠るような女性ではなかった。そんな母オトを著者は下記のようなエピソードをまじえて紹介している。


*   *   *   *   *

  漢那が6歳のときである。

  県庁のガラス窓が突然割れた。と同時に、付近で遊んでいた少年たちが、クモの子を散らすように逃げた。この中の誰かが石を投げたのである。

  運悪く、逃げ遅れた漢那が県庁職員に捕まってしまった。

  そこでオトは、漢那が犯人でないことを知りながら、高価なガラス代を弁償し、職員に丁重に誤ったのである。

  「自分はやっていないのに、なぜだ」

  漢那はくってかかった。

  母はそのとき、こう諭したのである。

  「自分のやったことに責任をもてない者は、男でない。まして、逃げるということは、もってのほかだ。しかし、そういう連中と遊んでいたオマエも同罪だ」

  悔しさのあまり、漢那は声をあげて泣いた。

  かつて沖縄では、イモを洗うとき、まとめて桶に入れ、足で洗うという習慣があった。しかしオトは、我が子の将来を祈って、1つ1つ丹念に手で洗ったという。

  昭和14年、漢那が平沼内閣の内務政務次官に就任したとき、オトは、毎日新聞の記者に当時をこう語っている。

  「モウサー(漢那の幼名)は、幼いころから賢く腕白者でした。那覇一番の腕白者と喧嘩して勝ったこともありましたよ。年上の者に負けるな、負けたら承知せぬ、しかし、年下の者と喧嘩するな、男の恥だ、というのが私の口癖でした」(同紙、昭和14年1月21日号)。

恵隆之介著『天皇の艦長』、第1章、20〜1Pより。


*   *

さらに、下記に引用する部分は母の教育に関連するものではないが、「貧乏人が勉強してなにをする」という部分が、後に母の賢母ぶりを強調することになるので引用しておく。そして、他のトピで教育関連の話しが出ているので、当時の教育者の心意気を示す1つのエピソードとして引用します。


*   *   *


  漢那の勉強ぶりを、西村で知らない者はなかった。

  「漢那の息子は、畳にヒザの跡がつくくらい勉強する」

  こういう風聞がたつようになってきた。しかし、中には、「貧乏人が勉強してなにをする」と冷笑する者もいた。

  尋常小学校4年の終り頃、全島の学校から生徒2名を選抜して、算術の競争試験が行われることになった。那覇2区からは漢那と照屋宏が選ばれた。しかしこのとき、2人とも2,3等賞に終わってしまったのである。そこで担任の家村教諭は2人を呼びつけた。

  「那覇の学校から2人も選抜されて、1人も1等になれないとは何事か。昔の武士なら切腹でもすべきところだ」

同掲書、22Pより。
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