小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

おい、南京玉スダレ

投稿者: wasabi701s 投稿日時: 2005/05/23 01:49 投稿番号: [204242 / 232612]
フヌケに参拝してもらって歓び安心する程度では

靖国に祀られているという日本の英霊らも相当に腰砕けだな


ほんとは悲しんでいるんじゃないのか(w

はりまおぅ

投稿者: georgia_queens 投稿日時: 2005/05/23 01:45 投稿番号: [204241 / 232612]
ふう。


そういう系譜になるだろう。


蒼い会は、内紛が多いようだが、オウム化しなければいいのだが。


ふう。



正義というものは、難しいものだ。

少なくとも、安国問題に関しては、チャンコロに分があるだろう。

あのコイズミって、本当に、変だね。

やっぱり。

ハリマオ

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/05/23 01:42 投稿番号: [204240 / 232612]
>おい、おい、ビルマの竪琴かい?


これもそうなの?

目立ちすぎる迷彩服ということは

投稿者: wasabi701s 投稿日時: 2005/05/23 01:38 投稿番号: [204239 / 232612]
いざとなれば狙い撃ちも容易ということだ

おい、おい、ビルマの竪琴かい?

投稿者: georgia_queens 投稿日時: 2005/05/23 01:34 投稿番号: [204238 / 232612]
それくらい知ってるよ。


君たちの偏向路線は、黒も白と言いたて、赤も、黒と言いたて、白も黄色と言いたて、


ひたすら、きちがい色に賑やかだな。


ふう。


エイズ菌、モスコーは、冥界で、A級戦犯にケツを提供しているだろう。


エイズじゃなくて、梅毒だっけ?こりゃまた、古風な。

どっちにしろ、自殺らしいな。

マレーシア、ミャンマー

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/05/23 01:29 投稿番号: [204237 / 232612]
ミャンマーは今、華僑のおかげでシナの軍事援助を得ていますが、こういうこともあったのですね。

りんごさん、ありがとう。
とても素晴らしい読み物でした。

こういうのが教科書に載れば、日本の若者に自信を付けさせるこてが出来るのにね。

ミャンマー③

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/23 01:04 投稿番号: [204236 / 232612]
一方、同じ頃イギリス・アメリカは日本への敵視政策を取り、日本と敵対関係にあった蒋介石軍に多大な軍用物資の援助をおこなっていました。それを運ぶ道程がイギリス領ビルマを通って中国に入るビルマルート、いわゆる“援蒋ルート”でした。早く蒋介石との戦争状態を終わらせたい日本にとっては、このビルマルートを遮断することが不可欠の問題となってきたのです。

そこで日本はビルマ青年たちを支援し、イギリス勢力を追放するため、ビルマ独立を達成しようとしたのです。

1940年、日本陸軍は鈴木敬司大佐をビルマに派遣、オン・サンらを救出し、大佐の故郷である浜松に亡命させます。そして、鈴木敬司大佐を機関長としたビルマ独立のための「南機関」が誕生するのです。

「南機関」の活動計画は、独立運動の中核となるビルマ人志士30人を、ひそかに日本に脱出させ、彼らに武装蜂起に必要な軍事教育をすること。その教育訓練の終わったビルマ人志士を、再びビルマに潜入させ、反イギリス運動を起こし、ビルマ独立政府の樹立を宣言すること。蒋介石を支援するビルマルートを遮断することにありました。

このときの彼らこそ後にビルマの独立と建国の英雄として仰がれる「ビルマ30人志士」になるのです。

1941(昭和16)年、大東亜戦争の開戦とともに、タイのバンコクで30人志士を中心に「ビルマ独立義勇軍」が結成されました。日本軍による厳しい訓練を受けた青年たちは独立ビルマを象徴する孔雀の旗を掲げて、ビルマ独立を誓い合ったのです。

義勇軍の司令官には青年たちが心から慕う鈴木敬司大佐が就任しましたが、オン・サンの提案で鈴木大佐は純白のビルマの民族服=ロンジー姿で白馬にまたがり、ビルマ民衆の前に登場します。これはビルマの伝説で、イギリスに滅ぼされたアラウンパヤー王朝最後の王子が、いつかかならずボモージョ(雷帝のこと)となって、白馬にまたがり、東の方角からやってくる。そしてイギリスの支配からビルマを解放してくれるというボモージョ伝説を演出したものでした

もちろんビルマ民衆は歓喜して彼ら義勇軍を迎え、その協力もあって3ヶ月で首都ラングーンを陥落させ、イギリス軍を敗走させてしまいます。そして日本の軍政を経た後の1943年8月1日、ビルマはついに独立を宣言したのです。

そのとき外相に就任したウー・ヌーは次のように演説しました。「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」

A級戦犯

投稿者: georgia_queens 投稿日時: 2005/05/23 01:04 投稿番号: [204235 / 232612]
既に喝破していることだが、


だいたい、このトピのA級戦犯擁護者は、いったい、どういう必要があって、戦犯を擁護しているのだろうか。



先の大帝、昭和天皇は、A級戦犯の合祀を嫌って、行幸を、以後、一切止めたという厳然たる事実があるというのに。

合祀される前は、靖国は、まぎれもない国民慰霊施設であっただろう。


エゴは、A級戦犯の遺族の一党にこそあるのだ。自重を求めたい。

A級戦犯の大将の面々も、このような事態は望まないだろう。

彼等が一級の人物であったことは事実だからな。

ミャンマー②

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/23 01:00 投稿番号: [204234 / 232612]
実はミャンマー(旧ビルマ、1989年に国名を変更。それ以前を記す場合はビルマと表記。)は「日本人より日本を愛する国」といわれるほどの親日国家なのです。どうしてかって?ここミャンマーでは政府の高官からジャーナリストに至るまで、こう言います。「ミャンマーが今日あるのは、日本のおかげです。日本のおかげで、英国の圧制を逃れ、独立をすることができた。われわれは深く日本に感謝しているのです。」

お世辞…?!でも何も自分たちの国の記念日にお世辞で“軍艦マーチ”はないでしょう。ということで、国際理解のため、私たち日本人もここでミャンマーについて勉強しておきましょう。

ビルマは19世紀に三度にわたってイギリスの攻撃を受け、ついに1886年にイギリスの植民地とされ、そのとき既にイギリス領であったインドの一州に組み込まれてしまいました。ビルマの国王夫妻はイギリス領スリランカに流刑され、その地で死亡。王子は処刑され、王女はイギリス軍の士官の従卒に与えられてしまいます。

その後の悲劇をバー・モウ元首相はこう書いています。「外国人による搾取は上層から下層まで、あらゆる方面で暴虐さを加えていた。巨大イギリス企業は上等の部分をすべて独占し、インド人と中国人の商人たちがそれに続いて中級の部分をほとんど手に入れてしまっていた」(バー・モウ『ビルマの夜明け』)

そしてビルマ人はというとチーク材の切り出しなどの重労働にこきつかわれました。現在もミャンマーでは先端の尖っていない鎌や包丁が売られていますが、これは植民地時代、イギリス人に抵抗する武器にならないようにした名残だといいます。こんな悲惨な状況を一転させたのが日本軍の進攻、また日本によるビルマ独立志士たちの育成でした。

話は今から100年前、日本で言えば明治時代にあたります。日本は膨張を続けて南下を推し進めるロシアを相手に、国を挙げて戦いをしました。日露戦争(1904〜05)です。

当時、アジアの国々はほとんどがヨーロッパの白人諸国の支配下に置かれ、植民地とされていました。先に紹介したようにビルマも例外ではありません。誰もが、アジアの小国、日本の敗戦を予想していましたが、それを裏切って世界最強の軍事大国ロシアに陸と海で勝利をおさめました。有色人種であるアジアの国が白人をやっつけてしまった知らせを聞いた他の有色人種たちは歓喜し、こぞって日本に学び始めます。

その中の一人にビルマの僧オッタマがいました。オッタマ僧正は抗英独立運動をおこなって投獄されたこともある人物で、日本にやってきたのは1907年のことでした。彼は3年間日本に滞在して取材した内容を『日本』という本にまとめ、ビルマで発刊しています。その中で「日本の興隆と戦勝の原因は明治天皇を中心にして青年が団結して起ったからである。われわれも仏陀の教えを中心に青年が団結、決起すれば、必ず独立を勝ち取ることができる。」「長年のイギリスの桎梏からのがれるには、日本にたよる以外に道はない。」と主張したのです。

その後もオッタマは、ビルマの完全自治を要求する運動を起こし、イギリス政府によって投獄されるなど、何度も投獄、出獄を繰り返し、ついに1939年に獄死してしまいます。残念ながら日本と協力して立ち上がったビルマ青年の活躍を見ることは出来ませんでしたが、その反イギリス精神は独立の志士たちに受け継がれていきました。

この若き志士たちこそ、のちに「ビルマ建国の父」と呼ばれるオン・サンたちタキン党の青年たちでした。オン・サンとは当時の表記ですが、現在ミャンマーで活躍しているアウン・サン・ス−・チー女史のお父さんに当たる人です。

そして1930年代後半に、彼らタキン党を中心に反イギリス運動は国民的盛り上がりを見せますが、イギリスは独立運動の大弾圧を始め、志士たちの多くが逮捕、投獄されてしまいます。これを逃れたオン・サンは独立蜂起のため日本への亡命を決意するのです。

ミャンマー(旧ビルマ)

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/23 00:56 投稿番号: [204233 / 232612]
「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_3.html

ちょっと長いんですけど、とても大切な事がかかれているので、是非最後まで読んでください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“♪守るも攻むるも鋼鉄の   浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の   皇国の四方を守るべし
まがねのその艦日の本に   仇なす国を攻めよかし♪”

この歌を知っている人いますか?歌詞は知らなくってもメロディーを聴けば誰でも分かる、実はこれ軍艦マーチなんです。“軍艦マーチ”??という人も、パチンコ屋さんで威勢良くかかっている曲って言えば、分かってもらえるんではないでしょうか。

このような説明をしなければならなくなってしまったこの曲は、日本が戦争に負けるまでは海軍の誇りであった名曲でした。しかし、今ではなんだか情けない役割にされています。ところが驚くなかれ、この曲が今でも誇りとともに演奏される名誉ある存在でいられるのは、遠くミャンマーの“国軍記念日”という晴れ舞台なのです。

ミャンマーでは3月27日の国軍記念日になると、全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まって盛大なパレードを繰り広げるのですが、なんと!このパレードはいきなり日本のこの“軍艦マーチ”から演奏し始めるのです。続いてミャンマーの軍楽隊は“歩兵の本領”“愛馬進軍歌”など昔の日本の歌を次々と演奏して、パレードを続けていきます。これはいったいどういうことでしょう?

GEORGIA_GU〜、毛沢東もDロクフェラーも

投稿者: nikorobinhaiionadatoomugadouomo 投稿日時: 2005/05/23 00:55 投稿番号: [204232 / 232612]
ハルも、超ドキュウの、A戦犯!

ルーザ−もな(ルーズベルト)

せんしょうこくの.えごの.れきしかんは、すでに、おわってるぜ!

何故TVは林檎をパクらない。

投稿者: nikorobinhaiionadatoomugadouomo 投稿日時: 2005/05/23 00:47 投稿番号: [204231 / 232612]
視聴率は、絶対取れるぞ、


俺は、何界も、書いている、ネットの世界の方向性が、ビジネスの方向性を決めれるッテ。!

いいか、ネットは、日本の世論の、半歩先を、歩いてる。

此れを、参考にするのが、ビジネスのチャンスだ。

続々・マレーシア

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/23 00:46 投稿番号: [204230 / 232612]
マレーシアというのは複雑な民族構成で成り立っています。それはマレーが良質の錫を産出することからイギリスがこの錫を採取するための労働力として大量のチャイナ系の人々を移住させたからなのです。そしてそののちイギリスとマレー人の間にあって経済活動を握り、搾取階級となったチャイナ系、いわゆる華僑の人々はイギリスを駆逐し、自らの利益を剥奪してしまうような日本軍の進撃を喜びませんでした。

むしろその権益を守るために、イギリスに協力して抗日ゲリラ活動を行ったのです。また支那事変以来、日本と本国が戦争状態にあったことも作用したでしょう。これらの理由からイギリス軍の敗北、撤退を喜んだマレー人と、それを快く思わない華僑の対日観には大きな開きがあることを充分知っておく必要があります。

現在のマレーシアにおいてもマレー人と華僑の比率は45%対35%で、その華僑が経済界の実権を握っており、発言権も強い状況にあります。こうした植民地時代からの華僑の経済独占は戦後になっても続き、経済進出を閉ざされたマレー人との民族間の対立は、時として多数の国民の血を流すことさえありました(1969年の5.13事件など)。ですから戦争中に華僑の利益を抑制し、マレー人に機会を与えようとした日本が嫌われてしまったのも無理はありません。

日本軍を残虐であったと言い立てる声が大きく聞こえてきたのもそのためだったと言えますが、マレー人は冒頭で紹介したように、けっして反日などではなく、日本軍の上陸を意義あることとして記念するような行事を行っているのです。いかがでしょう?今度の休みにはコタバルを訪れてみたい気持ちになりませんか?きっと私たちをあたたかく迎えてくれることでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここでも支那のプロパガンダが・・・

続・マレーシア

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/23 00:43 投稿番号: [204229 / 232612]
さてイギリス軍を追い払ったあと、日本軍はマレーの青年教育に力を注ぎました。1942年5月15日、シンガポールに「昭南興亜訓練所」を開設し、マレーのすべての民族から優秀な青年を招いて心身共に訓練をしました。これはのちにマラッカの「マラヤ興亜訓練所」に引き継がれ、1000名を越える卒業生を送り出します。この卒業生の大半がマラヤ義勇軍、マラヤ義勇隊の将校となり、マレーシアの独立と、その後の新しい国づくりの中核となりました。ノンチック氏は言います。「新国家マラヤ連邦の建国の基本策と具体策は当時のマレー人青年の日本グループによって進められたと言っても過言ではありません。あの当時の国家計画庁本部は、昭南、マラヤの両興亜訓練所や日本に留学した南方特別留学生の同窓会の雰囲気でした。」

また、日本の軍政部がそれまで西欧人専用だったクラブやプールなどを、肌の色にかかわりなく一般に開放するなどの政策をとり、「民族の平等」を掲げたことは、マレーの人々の間にあった白人に対するコンプレックスを取り除き、“自分たちの祖国を自分たちの国にしよう”という独立心を目覚めさせました。

しかし、その3年8ヶ月後の1945年8月15日、日本軍は連合軍に降伏してしまいます。その結果、またイギリス軍が再びマレーを占領し、植民地にするために戻ってくるのですが、マレー人は以前の従順なマレー人ではなくなっていました。

マラヤ大学の副学長のウンク・アジス氏は「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」と言い、またマレーシア外務省情報センター所長のニック・モハマド氏は「これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。」と言っています。

これで冒頭で紹介したような、日本軍のマレー上陸50周年記念行事が行われたことの意味をお分かり頂けたのではないでしょうか。それにしてもマレーシアの人々が日本を恨んでいるなどと、誰が言い出したのでしょう。

実はこれにはちょっと複雑な問題があるのです。例えば、こんな話を耳にしたことはないですか?マレーに進軍した日本兵が、赤ん坊を放り投げて銃剣で突き刺した、などという恐いハナシ。これはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と『死の家の記録』に出てくるトルコ兵の話を日本兵の仕業とされてしまったもので、全く事実でないことはマレーの人々も証言しています。しかし、日本兵を悪く言い立てる人は確実にいるようですがそれは一体どうしてなのでしょうか。

ノンチック氏は言います。「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べに来たのだ。』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません。』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。」

お前の神経を疑う、もし君が日本人ならば!

投稿者: nikorobinhaiionadatoomugadouomo 投稿日時: 2005/05/23 00:40 投稿番号: [204228 / 232612]
大東亜戦争は、世界維新だったぜ!

その為に、犠牲に成った兵隊達を、拝む気持ちは、当り前の道徳だ。

マレーシア

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/23 00:38 投稿番号: [204227 / 232612]
1991(平成3)年12月、マレーシアのコタバルを首都とするケランタン州政府は、日本軍の上陸50周年を記念して特別式典を開催し、さらに戦争博物館を設立しました。その館長でケランタン州副知事のロザリー・イソハック氏はこんなふうに言っています。

「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」

マレーシアの人々が祝う1991年から50年前といえば、1941(昭和16)年の12月。しかし、わたしたち戦後世代の日本人にとっての昭和16年12月8日は“戦争を始めた日”としてなんとなくマイナス・イメージを持たされているのではないでしょうか?そこで語られるのはアジアへの侵略であったり、現地住民の虐殺といったことばかりだったのではないのでしょうか。

しかし当のマレーシアでは日本軍の上陸を祝って記念式典が行われていたのです。こんな重要なこと、私たちはまったく知らされていません。これは一体どういうことなのか、なぜ日本軍のマレー上陸がマレー人に祝福されるようなことなのか、やはり知っておかなければ恥かしいことですので、ここで少し勉強しておきましょう。

1941(昭和16)年12月、日本軍は真珠湾のアメリカ軍艦隊を攻撃すると同時にマレーシアに上陸し、さらにマレー沖のイギリス東洋艦隊に攻撃をしかけました。ことにイギリスの誇る世界最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスという2隻を航空機による爆撃で撃沈したことは、世界戦史上、前例のないことでした。

この衝撃的な知らせを受けた当時のイギリス首相チャーチルは「戦争の全期間(第二次世界大戦)を通じて、わたしはそれ以上の打撃をうけたことはなかった。いかに多くの努力と希望と計画が、この2隻の軍艦とともに沈んでしまったか。ベッドのなかで寝返りを打ち、身もだえするわたしの心にこのニュースの持つ恐ろしさがしみこんできた。」(チャーチル『第二次大戦回顧録』)と書いています。

そして、150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は半島を進撃する日本軍を心から歓迎し、食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれました。

当時、16歳だったラジャー・ダト・ノンチック元上院議員はこう言います。「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」

このような現地の人々の支援もあって、日本軍は60日間の激戦の末、イギリス軍のアジア最大の要塞、シンガポールを攻略します。1942年(昭和17)2月15日、ついにイギリス軍は降伏し、150年におよんだイギリスのマレー支配は終わりを告げたのです。フランスのドゴール将軍はこの日の日記に「シンガポールの陥落は白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する。」と記していますが、本当に歴史的な日であったといえるでしょう。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_2.html

みんな知ってるのにウソツキ

投稿者: death_of_takeshima 投稿日時: 2005/05/23 00:38 投稿番号: [204226 / 232612]
>イラク・サマワ自衛隊員の迷彩服

>>それはわざとです。
アメリカ兵や他の国の兵隊と、
自衛隊との見分けが簡単につくようにです。

これは正解。

>あれじゃ、自衛隊の方が気の毒。

気の毒???   どして?

>砂漠の中で目立っちゃってしょうがないですよね。

わざと砂漠の中で目立つようにしたんでしょ?

「私達は、軍隊ではありませ〜ん。
  日本から来た復興支援隊です。
  私達は敵ではありません。
  武器は持っているけど、撃てないんです。
  安心して下さ〜い。
  だからテロリストの皆さん、
  私達を攻撃しないで下さいね。」

そういう「安全」の目印でしょ?

違うの?

日本中国へ無償で新幹線とは 国賊だ

投稿者: ochappy3 投稿日時: 2005/05/23 00:37 投稿番号: [204225 / 232612]
国賊め   そこまでして   中共にこびるか。

糞を食らう、参拝亡者

投稿者: georgia_queens 投稿日時: 2005/05/23 00:35 投稿番号: [204224 / 232612]
馬鹿靖国参拝亡者は、救われない。



お前、本当に、戦前の軍国軍人の馬鹿を観察したことあるのか?


あ   た   ま   お   か   し   い   で   す   か   ?

英霊、えいれいって、味噌も糞も一緒

投稿者: georgia_queens 投稿日時: 2005/05/23 00:34 投稿番号: [204223 / 232612]
A級戦犯は、糞で、別に分けようね。



おばかさん。

>>二度と靖国に行くな!

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/05/23 00:31 投稿番号: [204221 / 232612]
>英霊たちは後世の日本人の幸福を祈り死んでいった。

>彼等に「自分たちの死は犬死ではなかった。」と
安心させて上げるのが、
後世の日本人である我々の彼等への義務である

nanking_victory1937さん、そうですよね。全く同意します。

>小泉がどんなにフヌケな総理大臣だろうと
英霊たちにとっては、後世の日本の総理大臣であり、
後世を代表する日本人である。

そういうことです。

nanking_victory1937さんに全く同意です。

靖国参拝中止を要求する。

投稿者: georgia_queens 投稿日時: 2005/05/23 00:27 投稿番号: [204220 / 232612]
A級戦犯が分祀されない限り、参拝は、犯罪行為だろう。




靖国参拝中止を再度要求   胡主席、与党幹事長に

  【北京22日共同】自民党の武部勤、公明党の冬柴鉄三両幹事長は22日午後(日本時間同)、北京の人民大会堂で中国の胡錦濤国家主席と会談した。胡主席は歴史認識問題に関し「目にしたくない動きが日本にある」と指摘。具体的に(1)日本の指導者層の靖国神社参拝(2)台湾問題への対応(3)歴史教科書問題−−の3点を挙げ、小泉純一郎首相の靖国参拝中止などを再度要求した。
  その一方で、胡主席は「中日関係の友好発展は両国の根本的な利益にかなう」と述べ、両国の関係強化に努める考えを表明した。
  武部氏は歴史問題について「過去の過ちを二度と繰り返さないよう、歴史を風化させてはならない。こうした考えを若い人たちに伝えたい」と強調。4月の日中首脳会談で胡主席が示した、日中共同宣言の順守や歴史の反省など日中友好に向けた5つの提案に「対応する」との小泉首相のメッセージを伝えた。

胡錦濤の靖国非難報じず

投稿者: pichanneko 投稿日時: 2005/05/23 00:18 投稿番号: [204219 / 232612]
中国はビビッています。
私も小泉首相に靖国へ行ってほしいです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050522-00000137-jij-int


胡主席の靖国非難報じず=対日世論悪化を懸念か−与党幹事長訪中で・中国新華社

  【北京22日時事】中国国営新華社通信は22日、胡錦濤国家主席と自民、公明両党幹事長の会談を報じた中で、日本の指導者による靖国神社参拝に言及した胡主席の発言について報じなかった。胡主席による靖国参拝非難が公式報道として伝えられることで、対日世論の悪化を招くことを懸念したとみられる。
(時事通信) - 5月22日23時0分更新

思い上がってるのはNANKINGだ。言い過ぎだ

投稿者: nikorobinhaiionadatoomugadouomo 投稿日時: 2005/05/23 00:11 投稿番号: [204218 / 232612]
林檎は、マトモな事を言ってるだけだ。

小泉は、外資支配の(日本国内の企業の35%が、コイズミ内閣下で、達成されてしまいました。)赦せんゾナ。

だから、、「確かに.小泉は靖国に参拝する価値は無いよ」。

だけど、それでも、総理なんだから、靖国に行って欲しいな。

>二度と靖国に行くな!

投稿者: nanking_victory1937 投稿日時: 2005/05/23 00:02 投稿番号: [204217 / 232612]
英霊たちは後世の日本人の幸福を祈り死んでいった。

彼等に「自分たちの死は犬死ではなかった。」と
安心させて上げるのが、
後世の日本人である我々の彼等への義務である。

小泉がどんなにフヌケな総理大臣だろうと
英霊たちにとっては、後世の日本の総理大臣であり、
後世を代表する日本人である。

小泉が靖国神社に参拝することで、

靖国の英霊たちが、
どれほど歓び、安心していることか...

オマエには彼等の後世である「私たち」への願いなど
永久に解からない。

  ●小泉は二度と靖国に行くな!●

ringo_rn2。善人ヅラして英霊たちを冒涜する女。

「拉致被害者を返せー!」を叫んでれば

何を言っても、通る...

  オマエ..思い上がるなよ。

( ゜Д゜)<出たぁ〜〜♪

投稿者: batouzuki_ha_nekura 投稿日時: 2005/05/22 23:34 投稿番号: [204216 / 232612]
0.2キロ増量♪(冷笑








































































ブクブク、脂肪を増産するんじゃねぇよ(苦笑












































































それより働け♪





































































そして、燃やせ♪重量0.2トンの脂肪を♪♪(藁

>>>イラク・サマワ自衛隊員の迷彩服

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/05/22 23:32 投稿番号: [204215 / 232612]
>砂漠の中で目立っちゃってしょうがないですよね。   あれじゃ、自衛隊の方が気の毒。

>日本の自衛隊は他国のような「治安維持」任務でなく「復興支援」任務だからってことでしょうか。

そういうことなのです。

「自衛隊は、イラク国民の皆様を攻撃しに来たのじゃない。復興支援に来たのです」

というメッセージを込めているのです。
そして、その迷彩服の背中と腕には、一回り大きな日の丸を付けているのですって。

他の外国の部隊には犠牲者が出ましたが、自衛隊にはまだ犠牲者が出ていませんね。

だから、狙いは成功だと言えますね。

>>>イラク・サマワ自衛隊員の迷彩服

投稿者: prin1212jp 投稿日時: 2005/05/22 23:26 投稿番号: [204214 / 232612]
本当ですよ。私もテレビニュース見ました。
当初米軍やイギリス軍のように砂漠用の迷彩服を用意するって話もありましたが、
結局、米軍や英軍と違う今の迷彩服を採用する事で、イラクに人達に米英軍とは違い日本の自衛隊は人道支援のみだと印象つける為だそうです。

余計目立つと思うのですが、自衛的警備も
民間警備会社やオランダ軍に頼っているらしいです・・あるいみ情けないけど・・・
それが功を奏してかどうかは判りませんが
先日のコーラン事件でのサマワの反米デモでも反自衛隊の声は無かったそうです。

俺が締められるリストだ!

投稿者: oreha_tikaramotika 投稿日時: 2005/05/22 22:39 投稿番号: [204213 / 232612]
俺はこいつらに締められる!
怖くて仕方ないぜ!

きしめん
真似ハン
ダイヤモンド
バウハウジング
罵倒好き

みんな、謝るから俺を締めないでくれ!

体力の尽きた俺力持ちには

投稿者: oreha_tikaramotika 投稿日時: 2005/05/22 22:38 投稿番号: [204212 / 232612]
夜の投稿はこの時間が限界だぜ!
夜中に連続投稿する体力はもう無いぜ!

今度は罵倒好きという怖い相手も出てきたし、もう俺はこれでヤフーを去るぜ!

きしめんも真似ハンもダイヤモンドもバウハウもみんな怖いぜ!

だから俺は謝ってヤフーを去るぜ!

みなさんごめいわくをおかけしました

新高校1年生を3人ひき殺した佐藤光に

投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/05/22 22:26 投稿番号: [204211 / 232612]
死刑を!!!

http://www.sankei.co.jp/news/050522/sha036.htm

謝罪、賠償で償える事ではない。

命をもって償え!

>>イラク・サマワ自衛隊員の迷彩服

投稿者: wooo_blit_2002 投稿日時: 2005/05/22 22:23 投稿番号: [204210 / 232612]
>それはわざとです。アメリカ兵や他の国の兵隊と、自衛隊との見分けが簡単につくようにです。
イラクに自衛隊が派遣される時に、新調したそうです。
どこかのメルマガで読みましたよ。



ホントかね、、、   フツーに考えてイラクの地であれば、砂漠用迷彩服を軍人さんは着用するもんだがねえ。
自衛隊員の皆さんが着用してる密林地帯用の濃いグリーン系迷彩服じゃあ、砂漠の中で目立っちゃってしょうがないですよね。   あれじゃ、自衛隊の方が気の毒。
日本の自衛隊は他国のような「治安維持」任務でなく「復興支援」任務だからってことでしょうか。   よく分かりませんね。

では、ではでは

続・インドネシア独立

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/22 22:21 投稿番号: [204209 / 232612]
しかし独立を約束した日本が連合国に敗れたとたん、またもやイギリス軍、ついでオランダ軍がインドネシアを再占領するために戻ってきたのです。ところがインドネシアの人々はもう以前のインドネシア人ではありませんでした。自分達の力で独立を目指して戦う勇敢な戦士となっていたのです。

そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前に、昭和20年(1945)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げたのでした。ちなみにこの宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。

「’05」とは、これまた誰も知らないでしょうが、「皇紀」または「神武紀元」といって日本が使っていた暦に基づいています。西暦(西洋の暦)はキリストの誕生を元年としますが、「皇紀」は初代の神武天皇の即位の日を元年としています。どちらも神話、伝説上のことですから、正確であるわけはないのですが、「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。

その下2ケタをとって「‘05」。なんて聞くとまたまた驚きですが、今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになってスカルノとハッタの銅像のまんなかにあるので誰でも見られます。さあ、そのとき、なあんにも知らなかったら赤っ恥でしたねえ。

ハネムーンやサーフィンで大人気のバリ島ではなんと!いまでも「皇紀」カレンダーが売っているそうです。“ほんとはこの国のこと、よく知らなかった・”とかのんびりしたこと言ってる場合ではありませんね。

さて話を戻しますが、独立を目指すインドネシアにとっては日本敗戦後のこれからが死闘でした。日本軍による3年半の軍事訓練を受けたとはいえ、近代的兵器で武装したイギリス、オランダなどの連合軍にそう簡単に勝てるわけがありません。敗れた日本軍の兵士たちはこの状況を見て、独立を約束しながら果たせなかったという責任感もあったでしょう。多くの人が現地に残り、インドネシアの民衆の先頭に立って戦い、その半数以上が彼の地の土となりました。

このインドネシア独立戦争は連合国を相手に4年間も続き、死者80万人という犠牲を払いました。そして命を捧げた日本兵はインドネシア独立の英雄として、ジャカルタ郊外のカリバタにある国立英雄墓地に丁重に祀られています。

こうした歴史的事実からインドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名になんと!日本兵の服装をした1名を加えて3名で、国旗を掲揚します。もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのですが、こんなことは日本では全く知られていませんね。

そして戦後賠償の問題でも、交渉にあたった国会議長のアルジ=カルタウイナタ氏は日本軍が創設した祖国防衛義勇軍(PETA)の大団長だった人なので、日本軍がインドネシア独立のためにいかに努力したかを肌身にしみて知っていました。

そこで彼は岸信介首相に対して「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません。」と言っていますし、当時のインドネシアでは「むしろ日本に感謝使節団を送るべきだ」という声もあがっていたといいます。さて、もうこれで冒頭の歌が半世紀にわたって歌われているという理由は分かっていただけたと思います。今もしもあなたに、ちょっと照れくさいような笑みが浮かんでいたら、それが「誇り」というものかもしれません。

当り前の事が書かれているからこそ素晴しい

投稿者: nikorobinhaiionadatoomugadouomo 投稿日時: 2005/05/22 22:18 投稿番号: [204208 / 232612]

viviviさん

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/22 22:05 投稿番号: [204207 / 232612]
sadataさんは早くから小泉を見限りました。
昨年の再訪朝の結果が明らかになった5/22にはもう退陣を発言していました。
私は当時はまだ何か隠し球があるかもしれないと期待するところがありました。

でも経済制裁しないと明言する必要がどこにあったのかなあと、ずっと感じてきました。

それが足かせになっているのか、あのペテン師は。
事態は一向に進展しません。

郵政が民営化してもかまわない、年金もらえなくてもかまわない、でも国民が拉致されて放置されるのだけは我慢ならない。

腐った外務省なんて、どうせアメリカ辺りからのリーク情報でコントロールされるんでしょう。

靖国神社と国を守る名誉

投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/05/22 22:00 投稿番号: [204206 / 232612]
靖国神社に祀られる御霊は、維新後の戦役でなくなった戦士。今を生きる我々が感謝の気持ちをささげるのは当然の事である。しかし戦前は、戦士の霊を国が祭る神社として独特の地位を担っていた。

戊辰戦争から始まり日清日露、第一次大戦、シナ事変まで祀られる霊は15万を超えなかった。天皇陛下、皇族方をはじめ、総理大臣、陸海軍大臣、諸外国の貴顕がその前で頭を垂れて祈ってくださるのだ。靖国神社に祀られる事は日本国民(臣民)にとっては大変な名誉であったであろう。

なぜ戦死者に名誉が与えられたかといえば、戦前の日本が独立を守るために戦う国だったからだ。今のアメリカ、イギリス、ロシア、共産シナがそうであるように。北朝鮮でさえそうだろう。

日本は国を開き欧米の植民地とならぬように戦わなくてはならない。あるいは海外に広がった自国のの領土、権益を守るために兵を送り、さらに外国勢力の侵略、侵攻に対処するために戦った。戦前の日本は独立を守るため外国との戦いは避けられないものとし、国の為に戦いなくなった戦士に国として最高の敬意を表すために戦死者を靖国神社に祀ったのだ。

各地の寺に残る、そうした戦死者の墓標は立派なつくりであるが、国がそうした形で戦死者に敬意を払っていたのだ。戦争はしかけてするものではなく、数百万を超える祭神は予想外だっただろう。靖国神社は一部の特殊な国民のための神社であったのが、大東亜戦争で多くの国民が関わる神社になってしまった。靖国神社は国民を戦場に送るための神社だとする愚かな左翼のプロパガンダは聞くに堪えない。

さて、戦後は国柄が全く変わってしまった。日本は独立の為に戦わなくてもいい国になった。というよりも戦う事を禁じられた。日本の独立はアメリカが守ってくれる事になった。戦前の日本が戦うことをいとわず守ろうとした独立を維持するための必死の努力が表向きいらなくなった。という事は裏返せば実は日本は外国の占領地になったということだ。

外国の軍隊が広範に国内に駐留する。独自の防衛戦略も立てられない。自衛の部隊はいまだに軍という名称を使えない。日本は国を守るための名誉を国民がもてなくなったのだ。持つ事を禁じられたといったほうがいいかもしれない。

靖国神社の性格も戦前と反対になる。浅間神社、八幡神社等々と同じ。安産や商売繁盛のお守りさえあった(と思う)。祭神は戦死者である。情けないではないか。国家護持が本旨でなければならない。やがてA級戦犯なる御霊が祭られることになる。いかなる霊を祭るか、それは神社の判断である。我々が口をさしはさめる事ではない。

国家護持を外れた靖国神社。参拝者は国の為に亡くなられた数百万の御霊に感謝するために参拝する。そこには純粋な感謝の気持ちがあるだけである。ただ自分の場合、他の神社に参拝するのとは違ういささかの緊張は常に感じる。遺族はまた別の感慨があろう。

国の指導者は、正月に羽織袴で参拝するようなカッコ付けをするより、国家護持を真剣に考えるべきだ。敗戦の日に参拝すると公言しながら一度も参拝してない。英霊は誰お一人として国への忠誠を汚してない。自ら約束を汚した最高指導者に御霊に頭を垂れる資格ありや?

敗戦を境に神社の性格がひっくり返った靖国神社であるが、この神社に参拝する事は戦前と戦後の日本人の心の分断をつなぐ重要な意味があると考える。長くなったので別稿とします。

初めて知りました。

投稿者: nikorobinhaiionadatoomugadouomo 投稿日時: 2005/05/22 22:00 投稿番号: [204205 / 232612]
林檎。

週間現代は、このような記事を、掲載できるだろうか?

インドネシア独立

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/22 21:54 投稿番号: [204204 / 232612]
だ…大日本?!なんだか、聞いてるこちらがこそばゆくなってしまうような歌詞ですが、これはいったいどういうことでしょうか?

じつは350年間の長きにわたって、オランダの植民地にされてきたインドネシアが独立を勝ち取ったのは、昭和17年(1942)3月の日本軍進攻がきっかけでした。350年間の過酷で計算されつくした植民地政策によって、有色人種であるアジア人は白人の支配を脱することは不可能だと思いこまされていました。しかしそこに白人よりも小さな身体の日本人が突然やってきたかと思うと、なんとたった9日間の戦闘でオランダ軍は全面降伏してしまったのです。

自分達と肌や髪の色の同じ小柄な日本人が、絶対にかなうはずもないと思っていた白人をあっという間にやっつけてしまったのです。この様子を目の前で見たインドネシアの人々は、そうだ!自分達もやればできるんだという勇気を持ったのでした。現地の人々に大歓迎された日本軍は、オランダによって流刑されていたインドネシア独立運動の指導者スカルノとハッタを獄中から救出し、日本軍への協力を求めました。

こうして昭和20年8月に日本が敗戦するまでの3年半、オランダ時代とはまったく違う軍政が実施されました。詳しくは後に掲げる参考文献にあたってほしいのですが、ここではインドネシアの中学3年用の歴史教科書から引用してみましょう。

「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。

第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」

わたしたち日本人にはまったく教えられていませんが、インドネシアの子供達はこういうふうに、このあいだの戦争について習っているのです。ちょっと驚きですね。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html

さっきの歌の続き・・・

リンゴさん、こんばんは。

投稿者: vivivivivivivilll 投稿日時: 2005/05/22 21:53 投稿番号: [204203 / 232612]
日本は長い間、現在もアメリカの安保に頼っているような体制です。
どうしてもアメリカ寄りになるのは、こういったことがあるからです。
日本の世論は改憲に賛成か?反対か?
日本が安全保障の面で自律できることが、大事だと思います。

>ほんとに国民の忍耐に背く、政治体制です。

国民は我慢しているように感じますが、上層部の官僚はどうなのかなー?
外務省なんてものは、ムネオ君のお陰で大分腐っていたようだしなあ・・と思います。

小泉首相が中途半端なまま消えてくれれば、それに越した事は無い(橋本派も嬉しいだろう)。国民が健忘症になれば、前のように安穏とした生活が取り戻せると考えているのかもしれないですね(私見ですが)。

「長期政権の小泉首相を無視するのは難しい」という話を聞いたのは・・・これ最近聞いたことなんですよね。
もうビックリしました。こんなに上層部の官僚は呑気なんですかね?呆れますね。
まあこんなのばかりでないから、リークについて、あんなのやこんなのも出るんだろうと推察します。

・・リンゴさんの気持ちはよくわかります。
首相への批判も必要だと思います。




・・・イギリスもサッチャーは保守で、鬼のように既得権益をぶっ壊しましたが、その後は労働党に政権を握られたんですよね。
しかしイギリスの経済はサッチャーさんのお陰で今もいいんですよね(問題はあっても)。サッチャー政権は何年くらいだったかなー?

日本の魑魅魍魎が退散したら、政権を他が取ってもいいとは思います。
官僚にはその頭脳を自分のことではなく、国家のために使ってもらいたいものです。

インドネシアの歌

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/22 21:40 投稿番号: [204202 / 232612]
義勇軍の歌だそうです。
すごいわ、一言で言うとすごいとしか言えない。

インドネシア編
こんな歌を知っていますか?インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」です。

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり   己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと   玉散ることもいとわず
進め   進め   義勇軍   アジアとインドネシアの英雄   清き東洋に幸あれ
古きアジア   不幸に苦しむ   烈しき圧制に   幾世紀も忍ぶ
大日本   雄々しく立てり   アジアを救い   我らを守る
進め   進め   義勇軍   アジアとインドネシアの英雄   清き東洋に幸あれ…”

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ふむ!
小泉のあの謝罪の意味が消し飛ぶような。
ま、小泉が何ぼほど土下座外交しようと知ったこっちゃないけどね。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)