続・マレーシア
投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/23 00:43 投稿番号: [204229 / 232612]
さてイギリス軍を追い払ったあと、日本軍はマレーの青年教育に力を注ぎました。1942年5月15日、シンガポールに「昭南興亜訓練所」を開設し、マレーのすべての民族から優秀な青年を招いて心身共に訓練をしました。これはのちにマラッカの「マラヤ興亜訓練所」に引き継がれ、1000名を越える卒業生を送り出します。この卒業生の大半がマラヤ義勇軍、マラヤ義勇隊の将校となり、マレーシアの独立と、その後の新しい国づくりの中核となりました。ノンチック氏は言います。「新国家マラヤ連邦の建国の基本策と具体策は当時のマレー人青年の日本グループによって進められたと言っても過言ではありません。あの当時の国家計画庁本部は、昭南、マラヤの両興亜訓練所や日本に留学した南方特別留学生の同窓会の雰囲気でした。」
また、日本の軍政部がそれまで西欧人専用だったクラブやプールなどを、肌の色にかかわりなく一般に開放するなどの政策をとり、「民族の平等」を掲げたことは、マレーの人々の間にあった白人に対するコンプレックスを取り除き、“自分たちの祖国を自分たちの国にしよう”という独立心を目覚めさせました。
しかし、その3年8ヶ月後の1945年8月15日、日本軍は連合軍に降伏してしまいます。その結果、またイギリス軍が再びマレーを占領し、植民地にするために戻ってくるのですが、マレー人は以前の従順なマレー人ではなくなっていました。
マラヤ大学の副学長のウンク・アジス氏は「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」と言い、またマレーシア外務省情報センター所長のニック・モハマド氏は「これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。」と言っています。
これで冒頭で紹介したような、日本軍のマレー上陸50周年記念行事が行われたことの意味をお分かり頂けたのではないでしょうか。それにしてもマレーシアの人々が日本を恨んでいるなどと、誰が言い出したのでしょう。
実はこれにはちょっと複雑な問題があるのです。例えば、こんな話を耳にしたことはないですか?マレーに進軍した日本兵が、赤ん坊を放り投げて銃剣で突き刺した、などという恐いハナシ。これはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と『死の家の記録』に出てくるトルコ兵の話を日本兵の仕業とされてしまったもので、全く事実でないことはマレーの人々も証言しています。しかし、日本兵を悪く言い立てる人は確実にいるようですがそれは一体どうしてなのでしょうか。
ノンチック氏は言います。「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べに来たのだ。』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません。』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。」
また、日本の軍政部がそれまで西欧人専用だったクラブやプールなどを、肌の色にかかわりなく一般に開放するなどの政策をとり、「民族の平等」を掲げたことは、マレーの人々の間にあった白人に対するコンプレックスを取り除き、“自分たちの祖国を自分たちの国にしよう”という独立心を目覚めさせました。
しかし、その3年8ヶ月後の1945年8月15日、日本軍は連合軍に降伏してしまいます。その結果、またイギリス軍が再びマレーを占領し、植民地にするために戻ってくるのですが、マレー人は以前の従順なマレー人ではなくなっていました。
マラヤ大学の副学長のウンク・アジス氏は「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」と言い、またマレーシア外務省情報センター所長のニック・モハマド氏は「これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。」と言っています。
これで冒頭で紹介したような、日本軍のマレー上陸50周年記念行事が行われたことの意味をお分かり頂けたのではないでしょうか。それにしてもマレーシアの人々が日本を恨んでいるなどと、誰が言い出したのでしょう。
実はこれにはちょっと複雑な問題があるのです。例えば、こんな話を耳にしたことはないですか?マレーに進軍した日本兵が、赤ん坊を放り投げて銃剣で突き刺した、などという恐いハナシ。これはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と『死の家の記録』に出てくるトルコ兵の話を日本兵の仕業とされてしまったもので、全く事実でないことはマレーの人々も証言しています。しかし、日本兵を悪く言い立てる人は確実にいるようですがそれは一体どうしてなのでしょうか。
ノンチック氏は言います。「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べに来たのだ。』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません。』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。」
これは メッセージ 204227 (ringo_rn2 さん)への返信です.