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マレーシア

投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/05/23 00:38 投稿番号: [204227 / 232612]
1991(平成3)年12月、マレーシアのコタバルを首都とするケランタン州政府は、日本軍の上陸50周年を記念して特別式典を開催し、さらに戦争博物館を設立しました。その館長でケランタン州副知事のロザリー・イソハック氏はこんなふうに言っています。

「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」

マレーシアの人々が祝う1991年から50年前といえば、1941(昭和16)年の12月。しかし、わたしたち戦後世代の日本人にとっての昭和16年12月8日は“戦争を始めた日”としてなんとなくマイナス・イメージを持たされているのではないでしょうか?そこで語られるのはアジアへの侵略であったり、現地住民の虐殺といったことばかりだったのではないのでしょうか。

しかし当のマレーシアでは日本軍の上陸を祝って記念式典が行われていたのです。こんな重要なこと、私たちはまったく知らされていません。これは一体どういうことなのか、なぜ日本軍のマレー上陸がマレー人に祝福されるようなことなのか、やはり知っておかなければ恥かしいことですので、ここで少し勉強しておきましょう。

1941(昭和16)年12月、日本軍は真珠湾のアメリカ軍艦隊を攻撃すると同時にマレーシアに上陸し、さらにマレー沖のイギリス東洋艦隊に攻撃をしかけました。ことにイギリスの誇る世界最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスという2隻を航空機による爆撃で撃沈したことは、世界戦史上、前例のないことでした。

この衝撃的な知らせを受けた当時のイギリス首相チャーチルは「戦争の全期間(第二次世界大戦)を通じて、わたしはそれ以上の打撃をうけたことはなかった。いかに多くの努力と希望と計画が、この2隻の軍艦とともに沈んでしまったか。ベッドのなかで寝返りを打ち、身もだえするわたしの心にこのニュースの持つ恐ろしさがしみこんできた。」(チャーチル『第二次大戦回顧録』)と書いています。

そして、150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は半島を進撃する日本軍を心から歓迎し、食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれました。

当時、16歳だったラジャー・ダト・ノンチック元上院議員はこう言います。「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」

このような現地の人々の支援もあって、日本軍は60日間の激戦の末、イギリス軍のアジア最大の要塞、シンガポールを攻略します。1942年(昭和17)2月15日、ついにイギリス軍は降伏し、150年におよんだイギリスのマレー支配は終わりを告げたのです。フランスのドゴール将軍はこの日の日記に「シンガポールの陥落は白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する。」と記していますが、本当に歴史的な日であったといえるでしょう。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_2.html
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