靖国神社と国を守る名誉
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/05/22 22:00 投稿番号: [204206 / 232612]
靖国神社に祀られる御霊は、維新後の戦役でなくなった戦士。今を生きる我々が感謝の気持ちをささげるのは当然の事である。しかし戦前は、戦士の霊を国が祭る神社として独特の地位を担っていた。
戊辰戦争から始まり日清日露、第一次大戦、シナ事変まで祀られる霊は15万を超えなかった。天皇陛下、皇族方をはじめ、総理大臣、陸海軍大臣、諸外国の貴顕がその前で頭を垂れて祈ってくださるのだ。靖国神社に祀られる事は日本国民(臣民)にとっては大変な名誉であったであろう。
なぜ戦死者に名誉が与えられたかといえば、戦前の日本が独立を守るために戦う国だったからだ。今のアメリカ、イギリス、ロシア、共産シナがそうであるように。北朝鮮でさえそうだろう。
日本は国を開き欧米の植民地とならぬように戦わなくてはならない。あるいは海外に広がった自国のの領土、権益を守るために兵を送り、さらに外国勢力の侵略、侵攻に対処するために戦った。戦前の日本は独立を守るため外国との戦いは避けられないものとし、国の為に戦いなくなった戦士に国として最高の敬意を表すために戦死者を靖国神社に祀ったのだ。
各地の寺に残る、そうした戦死者の墓標は立派なつくりであるが、国がそうした形で戦死者に敬意を払っていたのだ。戦争はしかけてするものではなく、数百万を超える祭神は予想外だっただろう。靖国神社は一部の特殊な国民のための神社であったのが、大東亜戦争で多くの国民が関わる神社になってしまった。靖国神社は国民を戦場に送るための神社だとする愚かな左翼のプロパガンダは聞くに堪えない。
さて、戦後は国柄が全く変わってしまった。日本は独立の為に戦わなくてもいい国になった。というよりも戦う事を禁じられた。日本の独立はアメリカが守ってくれる事になった。戦前の日本が戦うことをいとわず守ろうとした独立を維持するための必死の努力が表向きいらなくなった。という事は裏返せば実は日本は外国の占領地になったということだ。
外国の軍隊が広範に国内に駐留する。独自の防衛戦略も立てられない。自衛の部隊はいまだに軍という名称を使えない。日本は国を守るための名誉を国民がもてなくなったのだ。持つ事を禁じられたといったほうがいいかもしれない。
靖国神社の性格も戦前と反対になる。浅間神社、八幡神社等々と同じ。安産や商売繁盛のお守りさえあった(と思う)。祭神は戦死者である。情けないではないか。国家護持が本旨でなければならない。やがてA級戦犯なる御霊が祭られることになる。いかなる霊を祭るか、それは神社の判断である。我々が口をさしはさめる事ではない。
国家護持を外れた靖国神社。参拝者は国の為に亡くなられた数百万の御霊に感謝するために参拝する。そこには純粋な感謝の気持ちがあるだけである。ただ自分の場合、他の神社に参拝するのとは違ういささかの緊張は常に感じる。遺族はまた別の感慨があろう。
国の指導者は、正月に羽織袴で参拝するようなカッコ付けをするより、国家護持を真剣に考えるべきだ。敗戦の日に参拝すると公言しながら一度も参拝してない。英霊は誰お一人として国への忠誠を汚してない。自ら約束を汚した最高指導者に御霊に頭を垂れる資格ありや?
敗戦を境に神社の性格がひっくり返った靖国神社であるが、この神社に参拝する事は戦前と戦後の日本人の心の分断をつなぐ重要な意味があると考える。長くなったので別稿とします。
戊辰戦争から始まり日清日露、第一次大戦、シナ事変まで祀られる霊は15万を超えなかった。天皇陛下、皇族方をはじめ、総理大臣、陸海軍大臣、諸外国の貴顕がその前で頭を垂れて祈ってくださるのだ。靖国神社に祀られる事は日本国民(臣民)にとっては大変な名誉であったであろう。
なぜ戦死者に名誉が与えられたかといえば、戦前の日本が独立を守るために戦う国だったからだ。今のアメリカ、イギリス、ロシア、共産シナがそうであるように。北朝鮮でさえそうだろう。
日本は国を開き欧米の植民地とならぬように戦わなくてはならない。あるいは海外に広がった自国のの領土、権益を守るために兵を送り、さらに外国勢力の侵略、侵攻に対処するために戦った。戦前の日本は独立を守るため外国との戦いは避けられないものとし、国の為に戦いなくなった戦士に国として最高の敬意を表すために戦死者を靖国神社に祀ったのだ。
各地の寺に残る、そうした戦死者の墓標は立派なつくりであるが、国がそうした形で戦死者に敬意を払っていたのだ。戦争はしかけてするものではなく、数百万を超える祭神は予想外だっただろう。靖国神社は一部の特殊な国民のための神社であったのが、大東亜戦争で多くの国民が関わる神社になってしまった。靖国神社は国民を戦場に送るための神社だとする愚かな左翼のプロパガンダは聞くに堪えない。
さて、戦後は国柄が全く変わってしまった。日本は独立の為に戦わなくてもいい国になった。というよりも戦う事を禁じられた。日本の独立はアメリカが守ってくれる事になった。戦前の日本が戦うことをいとわず守ろうとした独立を維持するための必死の努力が表向きいらなくなった。という事は裏返せば実は日本は外国の占領地になったということだ。
外国の軍隊が広範に国内に駐留する。独自の防衛戦略も立てられない。自衛の部隊はいまだに軍という名称を使えない。日本は国を守るための名誉を国民がもてなくなったのだ。持つ事を禁じられたといったほうがいいかもしれない。
靖国神社の性格も戦前と反対になる。浅間神社、八幡神社等々と同じ。安産や商売繁盛のお守りさえあった(と思う)。祭神は戦死者である。情けないではないか。国家護持が本旨でなければならない。やがてA級戦犯なる御霊が祭られることになる。いかなる霊を祭るか、それは神社の判断である。我々が口をさしはさめる事ではない。
国家護持を外れた靖国神社。参拝者は国の為に亡くなられた数百万の御霊に感謝するために参拝する。そこには純粋な感謝の気持ちがあるだけである。ただ自分の場合、他の神社に参拝するのとは違ういささかの緊張は常に感じる。遺族はまた別の感慨があろう。
国の指導者は、正月に羽織袴で参拝するようなカッコ付けをするより、国家護持を真剣に考えるべきだ。敗戦の日に参拝すると公言しながら一度も参拝してない。英霊は誰お一人として国への忠誠を汚してない。自ら約束を汚した最高指導者に御霊に頭を垂れる資格ありや?
敗戦を境に神社の性格がひっくり返った靖国神社であるが、この神社に参拝する事は戦前と戦後の日本人の心の分断をつなぐ重要な意味があると考える。長くなったので別稿とします。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.