Re: >>>^2質問 横レス 2-2
投稿者: toitatoi 投稿日時: 2005/10/26 17:39 投稿番号: [10798 / 29399]
>60年前の史実を明らかにする史料、特に、このような個人的な行動を明らかにするものは現存するものが少ないと考えられます。
仰るとおりです。
>そのような中で、野田氏の講演を聞いたという志々目氏の証言、野田氏の手紙が当時の新聞に掲載されたもの、望月氏の回想は、本多勝一の議論に組するために書かれたものではありませんので、証拠価値がたかいといえます
「やった」という意味での証拠ではありません。
志々目氏の証言は自分の体験したことについて正しいことを証言したと仮定しても、「そういう講演会があって、野田氏がそのような話をした。」、という事実を述べているだけのものです。
野田氏の手紙が実際に本人が書いたものであったかどうか解りませんが(あくまでも新聞記事だけなので)、仮に本人がかいたものであっても、「本人がこう書いている」ということにしか過ぎません。
この二つは、「本人がこう言った」という内容でしかありません。
その「本人が言った内容が真実かどうか」という議論をしているのに、この二つが「やった」とする証拠???
どういう意味でしょう?
訳、わかりません。
>確かに望月氏の回想録ひとつだけしか存在しない場合は、それだけで野田氏が何をしていたのか断定することは難しいでしょう。しかし、当時の日本軍の一般的行状、志々目証言、野田氏の手紙などと、望月氏の回想を突き合わせるとき、そこからは、捕虜や非戦闘員の据えもの斬りという実態が浮かび上がるのです。証拠というものは、このようにして相互に突き合わせて使うべきものです。
ちなみに、「野田氏の手紙」のどこが、「捕虜や非戦闘員の据えもの斬りという実態」を示す、または補強しているのでしょうか?
勇ましい戦闘行為の大言壮語を書き綴っているとしか言えませんが?
また、望月氏の証言が、唯一、「自分は見た」とするものであり、この内容が正しければ、「やった」という結論が導き出せる性格のものです。
watanabe1937さんも「確かに望月氏の回想録ひとつだけしか存在しない場合は、それだけで野田氏が何をしていたのか断定することは難しいでしょう。」とおっしゃっているにもかかわらず、証拠能力のない資料と組み合わせて、正しいとは乱暴すぎますよ。
この望月証言が述べている野田少尉の行為が本当にあったのか、ということについては、一緒にいた人の証言か、野田氏に関する事象で似たようなことを「私もやった」「私も見た」という証言が複数あってこそ、「あったといえるのではないか」ということになります。そのようなものです。
望月氏がウソを言う理由は無いと断定されているようですが、なぜでしょうか。
望月氏はどういう目的があって、このような描写をかいたのでしょうか?
望月氏は基本的に野田氏に関してどのような感情をもっていたのでしょうか?
背景がはっきりしていない状況では、他の同じような証言でもないと、「正しい」などとはとても断定できませんよ。
野田氏への非難めいた状況についての描写をしておきながら、片棒をかついだはずの自分への反省などまったく無い。
どういうつもりなんでしょうね。
自分も当事者になるんだ、ということを失念していたとしか思えませんが。
なぜ、失念していたのでしょうか?
なぜ、関係ないと思えるのでしょうか?
彼は、「自分も片棒をかつぐことになってしまった。申し訳ありませんでした」
と、「百人斬りを象徴として大きく取り上げている中国」などに謝罪などしているのでしょうか。
仰るとおりです。
>そのような中で、野田氏の講演を聞いたという志々目氏の証言、野田氏の手紙が当時の新聞に掲載されたもの、望月氏の回想は、本多勝一の議論に組するために書かれたものではありませんので、証拠価値がたかいといえます
「やった」という意味での証拠ではありません。
志々目氏の証言は自分の体験したことについて正しいことを証言したと仮定しても、「そういう講演会があって、野田氏がそのような話をした。」、という事実を述べているだけのものです。
野田氏の手紙が実際に本人が書いたものであったかどうか解りませんが(あくまでも新聞記事だけなので)、仮に本人がかいたものであっても、「本人がこう書いている」ということにしか過ぎません。
この二つは、「本人がこう言った」という内容でしかありません。
その「本人が言った内容が真実かどうか」という議論をしているのに、この二つが「やった」とする証拠???
どういう意味でしょう?
訳、わかりません。
>確かに望月氏の回想録ひとつだけしか存在しない場合は、それだけで野田氏が何をしていたのか断定することは難しいでしょう。しかし、当時の日本軍の一般的行状、志々目証言、野田氏の手紙などと、望月氏の回想を突き合わせるとき、そこからは、捕虜や非戦闘員の据えもの斬りという実態が浮かび上がるのです。証拠というものは、このようにして相互に突き合わせて使うべきものです。
ちなみに、「野田氏の手紙」のどこが、「捕虜や非戦闘員の据えもの斬りという実態」を示す、または補強しているのでしょうか?
勇ましい戦闘行為の大言壮語を書き綴っているとしか言えませんが?
また、望月氏の証言が、唯一、「自分は見た」とするものであり、この内容が正しければ、「やった」という結論が導き出せる性格のものです。
watanabe1937さんも「確かに望月氏の回想録ひとつだけしか存在しない場合は、それだけで野田氏が何をしていたのか断定することは難しいでしょう。」とおっしゃっているにもかかわらず、証拠能力のない資料と組み合わせて、正しいとは乱暴すぎますよ。
この望月証言が述べている野田少尉の行為が本当にあったのか、ということについては、一緒にいた人の証言か、野田氏に関する事象で似たようなことを「私もやった」「私も見た」という証言が複数あってこそ、「あったといえるのではないか」ということになります。そのようなものです。
望月氏がウソを言う理由は無いと断定されているようですが、なぜでしょうか。
望月氏はどういう目的があって、このような描写をかいたのでしょうか?
望月氏は基本的に野田氏に関してどのような感情をもっていたのでしょうか?
背景がはっきりしていない状況では、他の同じような証言でもないと、「正しい」などとはとても断定できませんよ。
野田氏への非難めいた状況についての描写をしておきながら、片棒をかついだはずの自分への反省などまったく無い。
どういうつもりなんでしょうね。
自分も当事者になるんだ、ということを失念していたとしか思えませんが。
なぜ、失念していたのでしょうか?
なぜ、関係ないと思えるのでしょうか?
彼は、「自分も片棒をかつぐことになってしまった。申し訳ありませんでした」
と、「百人斬りを象徴として大きく取り上げている中国」などに謝罪などしているのでしょうか。
これは メッセージ 10363 (watanabe1937 さん)への返信です.