南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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阿Qには大陸で会いますが?

投稿者: kanntaroudayo 投稿日時: 2005/06/03 10:50 投稿番号: [5844 / 41162]
その裏情報はたいしたものです。日本大使館はぼろぼろでしたよ。参考までに。

中国人民および中国政府は

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2005/06/02 23:25 投稿番号: [5842 / 41162]
世界に謝罪する必要は当然にありますね〜

世界の癌細胞国家って事を、良く理解して欲しい。

何故、そう言われるのか?

強制連行のウソ。

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/02 23:00 投稿番号: [5841 / 41162]
「ビラのHP」より

No.1 強制連行のウソ

在日韓国・朝鮮人はよく「我々は強制連行されてきた!」と主張します。
しかしそれは事実なのでしょうか?

   1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、昭和20年9月1日以前に日本に上陸したとされる在日韓国・朝鮮人8万3030人のうち、日本政府が朝鮮人の来日を制限していた昭和10年までに渡来したのが44612人で全体の53.7%と半分以上になっています。

昭和11〜15年はまだ民間あっせん業者による自由募集の期間であり、次の16〜19年の中でも、国民徴用令が朝鮮に適用されたのは昭和19(1944)年9月でした。ですので「強制連行」の根拠とされている「徴用」による徴集は同年9月〜12月の4ヵ月間となるので、単純に計算してもこの期間に徴用された者は、昭和16〜19年の48ヶ月間に来日したとされる1万4514人のうち12分の1、つまり1210人(全体の1.46%)ほどに過ぎません。そこに「昭和20年9月1日以前」の679人(0.8%)を加えた概算1889人(2.3%)ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になります。仮に「官あっせん」を徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月〜19年8月の来日者の推計数を全部加えても約1万1300人(14%)ほどです。

  よく誤解されていますが、日本は朝鮮半島を植民地化したのではなく併合したのであり、当時の朝鮮人は日本国籍を持ち権利・義務も日本人と同等でした。つまりこれは国民の義務としての徴集であり、日本人も全く同じ条件であった訳で、強制連行などではありません。(ちなみに当時の帝国議会には、約10名の朝鮮人議員が議席を有し、陸軍では中将にまで昇進した朝鮮人軍人もいました。)

  この推定は、昭和16〜19年間の月間来日数を均等として考えたものですが、実際には関釜連絡船の運航は終戦が近くなるにつれ次第に困難になりつつあったので、昭和19年後半からの来日徴用者は減少しているはずであり、「強制連行」の概念を広く解釈しても、10%を大きく超えるような事は考えられません。

  そしてこれは在日韓国人自体の調査によっても裏付けられています。1988年2月に発刊された「"我々の歴史を取り戻す運動"報告書」(在日本大韓民国青年会中央本部)には、全国千百余人の一世から直接聞きとりした調査結果が収録されています。これによると、渡日の理由として「徴兵・徴用」は13.3%に過ぎず、経済的理由(39.6%)、「結婚・親族との同居」(17.3%)に次いで3番目です。この13.3%のうち、徴兵は0.5%で、残りが徴用ということになります。

  しかし、「渡日年度別に見た渡日理由」によると、徴用は1926〜30年に6 人、1931〜35年に9人、1936〜40年に51人とあります。国民徴用令が公布されたのは1939(昭和14)年7月ですが、これが朝鮮に適用されたのは前述のように1944(昭和19)年9月ですので、この「徴用による渡日」という回答は思い違いによるものと思われます。また1941〜45(昭和16〜20)年の徴兵、徴用と答えたのは76人ですが、この場合も、徴用が実施されていた1944年9月以降終戦までの一年分だけを前期の方法で算出すれば16人、すなわち全体の1.5%にしかなりません。法務省の数字の場合と同様に官あっせんを徴用と考えても(1942年2月以降)59人=5.4%となり、徴兵を加えても5.9%です。


  また、かつて朝鮮人学校で父母の来日動機を調査したところ、「朝鮮では食えないから渡航して来た」という回答がほとんどだったと言われています。

  そして戦後日本はGHQの「全員帰国を達成せよ」という指令もあり、全ての希望者に帰国のための船便を提供するなど、当時の在日朝鮮人の引き揚げに最大限の協力をしています。更に大正時代からの大量の密航者や、朝鮮戦争時に受け入れた大量の難民や密航者もこれに加えると、
今日本国内にいるほとんどの在日韓国・朝鮮人が、徴用とは全く関係の無い、単に職を求めて合法・非合法に来日した人達、またその子孫ばかりであるという事が分かります。



参考資料
法務省編 在留外国人統計 (1974年度版)

参考URL
在日コリアンの来歴
http://didisama.tripod.com/didi/zainiti_raireki.htm
「強制連行」というプロパガンダ用語とイメージ操作
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A05.html
貴族院
http://plaza2.mbn.or.jp/~duplex/giten/k.htm
中野文庫   朝鮮貴族
http://plaza2.mbn.or.jp/~duplex/giten/k

南京大虐殺は真っ赤な嘘

投稿者: dame_chinese_nante 投稿日時: 2005/06/02 22:29 投稿番号: [5840 / 41162]
中国の捏造です。

CGでも国際法違反を認める中国政府

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/06/02 22:03 投稿番号: [5839 / 41162]
中国、反日デモ被害に責任   国際法違反、事実上認める

  中国外務省の孔泉報道局長は12日の記者会見で、一連の反日デモで日本大使館などが被害を受けた問題で「中国は責任ある国家として、国際法に基づき自らの職責を果たすつもりだ」と述べ、中国側の対応が国際法に違反していたことを事実上、認めた。

  反日デモ被害の補償問題で、中国政府が国際法に基づく法的責任に言及したのは初めて。

  中国側は、李肇星外相が10日に行われた逢沢一郎外務副大臣との会談で、日本公館の修復に責任を持って取り組む考えを表明している。今回の孔局長の発言は、この中国による修復作業が事実上の補償行為であることを認めた形だ。

  ただ孔局長は、一連の反日デモの原因については「すでに1、2カ月にわたり、中国としての立場を明らかにしてきた」と述べ、謝罪には言及しなかった。

  日本政府はこれまで、在外公館の被害を阻止できなかった中国側に対し、外国公館の不可侵と保護を定めたウィーン条約違反の疑いが強いとして、繰り返し謝罪と補償を要求していた。(共同)

(05/12 21:21)


http://www.sankei.co.jp/news/050512/kok095.htm

孫文による虐殺

投稿者: spywatcher56 投稿日時: 2005/06/02 21:45 投稿番号: [5838 / 41162]
支那人が支那人を虐殺した。
それも、あの孫文が命じたというから、
救いようがない。

「こうしたことから政府と商業界の対立は日増しに激化した。当時商団は自衛軍を組織し、イ
ギリスから輸入した武器で武装していた。そこで一九二四年四月、孫文は蒋介石に商団軍への
攻撃を命令した。これにはコミンテルンの軍事顧問が指揮する黄埔軍官学校生徒や湖南軍、雲
南軍などが加わり、圧倒的な力で一晩のうちに抵抗を鎮圧した。政府軍は市内で放火、略奪、
虐殺、暴行を行い、三千棟以上の商店、住宅が焼け、死傷者は二千人に達した。孫文は商団の
リーダー陳廉伯を「呉佩孚(北京政府)と組んで内乱を企てた」との罪状を突きつけたが、そ
れは明らかにでっち上げだった。(ルビ略)」
黄文雄『中国が葬った歴史の新・事実』115頁

筆写の黄文雄氏の信頼度は、動画で確かめて下さい。下記ページの画面で、下の方に移動し、クリック。別の本についての話ですが、参考になります。

http://www.ch-sakura.jp/publish.php

大本営の正式命令もないまま、南京へ

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/02 21:21 投稿番号: [5837 / 41162]
大本営の正式命令もないまま、

参謀本部の統制に反する形で、中支那方面軍司令部が独断専行で発動した南京侵攻作戦は方面軍の進撃が停滞した場合には、南京攻略に反対である多田参謀次長らに前進停止を命ぜられる可能性があったため、それを回避する、かつ進撃を軍中央に追認させるためには南京進撃を成功させ、方面軍の南京攻撃の態勢が可能であった事を戦果で誇示する必要があった。

武藤章参謀副長は疲弊した上海派遣軍を挑発し第10軍と「南京一番乗り」を 競わせるよう、11月26日第16師団参謀長中沢三夫大佐に書簡を送った。

「貴師団は上陸以来天候、地形の不良なる結果、未だ十分に師団の真価を発揮せらるるの機会なく、誠にお気の毒に存じ候、同じく北支より転用されたる第6師団は武運に恵まれ先般、赫赫たる戦功をたてられたるを思い、ますます、その感を深くし申し候、派遣軍の無錫付近の戦闘ぶりより見れば常州占領は何時のことやらと、焦心致し候、、、、、(中略)

現在の態勢をもって守備に移るがごときは皇軍の威武を内外に顕揚するゆえんとは断じて考えられず候、もし、戦況の進展思わしからざるにおいては、中央部より前進停止をめいぜられるるの処あり。この点もお含み願い上げ候。」(第16師団関係資料)

南京攻略を承認させていない状況のもとで、上海戦で疲弊しきった第16師団を南京進撃へとけしかけたのである。
およそ、近代戦においては、大部隊は前線と後方の兵站部隊(食料、弾薬その他、補給部隊)とで編成され、戦闘部隊は後方兵站部隊からの食料、軍事物資の補給を受けながら、前進していくものである。

従って、兵站部が補給可能な位置まで接近してから戦闘部隊は前進するのが常識的な作戦である。

ところが中支那方面軍の独断専行で開始された南京攻略戦ではこの作戦常識が無視された。

そのため、中支那負う面軍方面軍方面軍は糧秣(食料、軍馬の飼料)のほとんどを現地で徴発するという現地調達主義をとった。

これは「糧食を敵中に求む」「糧食を敵による」という戦法であり、通過地域の住民から食料を奪って食べるということである。

また、軍の上官たちは性的蛮行を「兵の元気をつくるに必要」「「中国女性を征服し、力づくで女をモノにする」という婦女陵辱行為を戦場の役得と黙認する風潮があった。
(国府台陸軍病院附軍医早尾逓雄中尉「戦場における特殊現象と対策」)

>間諜必死だな

投稿者: hundong1972 投稿日時: 2005/06/02 19:56 投稿番号: [5836 / 41162]
俺もあれはうそだと思うけど、なんでも自分の目で見ないとな!テレビで流れた反日デモの映像を信用するのも、お前は阿Qだ。“裏”“情報によるとあの映像は自作自演だってさぁ,いえいえCGだってよ!
中国人民および中国政府は謝罪する必要ありませんが。^^

間諜必死だな

投稿者: kanntaroudayo 投稿日時: 2005/06/02 09:40 投稿番号: [5835 / 41162]
暗黒大陸びっくり土産の公開ご苦労さん。戦前大陸でシナ人が商売に販売していたものだね。これは切り貼り丸出しのものもあるが南京攻略戦には関係ない犯罪者の処刑や現在のえろ写真に相当する娼婦との記念写真等です。とっくに捏造が知れている写真を持ち出す阿Q。

^・^嘘

投稿者: hundong1972 投稿日時: 2005/06/02 00:51 投稿番号: [5834 / 41162]
投稿者: hundong1972
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>全力をもって南京追撃命令、発令!

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/02 00:29 投稿番号: [5833 / 41162]
>下村第1部長は多田参謀次長を説得し、中支那方面軍の作戦地域を制限している制令線の撤去を指示した。(大陸指第5号)
>それでも多田参謀次長は戦線拡大を深く憂慮し、中支那方面軍参謀に「南京方面へは進撃しないように」電報を打っている。

当時の中央では、作戦任務からして南京攻略など考えていなかった。
戦線拡大に最も反対し続けたのは参謀次長・多田駿中将(15期)であった。
11月22日、総崩れとなった支那軍を南京まで追撃すべし、とする中支那方面軍からの意見具申もあり、石原莞爾から代わった下村新作戦部長は非常に積極的であった。
純作戦的に見れば下村部長の主張する南京攻略は、戦略態勢上も道路網上からも当然であった。
しかし戦争指導上からは何としても拡大は阻止したかった。

石原莞爾少将の後任として第一部長に就いた下村定少将は、「杭州湾上陸作戦」の部隊であった第10軍を南京に進撃させようとした。
何人かは、そのような積極策を唱える者が居ても、それはそれで仕方のないことだろう。
支那が和平に応じないものだから、日本としては追撃の手を緩めることが難しい。
放って置いたら支那軍は態勢を立て直してまた攻めて来るからだ。

11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の条件を提示。
―――――――――――――――――――
(日本側の和平条件)
・内蒙古民族は自治政府を樹立する。その国際的地位は外蒙に同じ。
・満州国国境に非武装地帯を設定し、中国警察が治安維持にあたる。北支の全権は南京政府の手に存する。事変前から交渉中の鉱物採掘権については日本に満足のいく結果を求める。
・上海は非武装地帯を拡大し国際警察を設けて管理する。
・抗日政策の停止。
・共同して防共に努める。
・関税の引き下げ。
・外国の諸権利を尊重する。
・日本側は、この条件に従って7月7日以前の状況にまで軍を退く。
―――――――――――――――――――
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴る。
11月20日、参謀本部に第10軍から、「集団は19日朝、全力をもって南京に向かってする迫撃を命令」という報告が届けられた(11.19日発電)。
12月1日、「大本営」は、南京攻略を正式に発令。


>が、下村部長は多田参謀次長に無断で原稿にない事を発言したものである。

まあ、このやり方は問題あるけどね。



で、#5756や#5775や#5783や#5787や#5799や#5802や#5814で俺が述べた質問や反論に対して、まったく応答がないのだが、

1.「夜間空襲のもう一つの恐怖は 日本軍爆撃機が「毒ガス」を散布することである。(ウイルソン文書)」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5756

2.支那軍がわざと市街地を狙って爆撃し、日本軍の仕業に転嫁して逆宣伝したことを認めるんだな?#4553、#5397、#5775

3.11月にブリュッセルで開かれた9カ国会議で、「日本の支那侵略に対して警告を発した」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5783

4.日本の不拡大方針は終始継続されたことを認めるんだな?#5787

5.第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものではないことを認めるんだな?#5799

6.石射猪太郎の陸軍に対する憎しみが常道を逸していたことを認めるんだな?#5802

7.上海戦は、蒋介石が攻撃を始めて日本が防衛した戦争だったと認めるんだな?#5814

8.上海戦における日本軍の損害が予想を超えた理由は、日本の不拡大方針による小出しの兵力投入と、支那軍の細菌戦のせいだったことを認めるんだな?#5814


(以下はtatetayonさんからの引継ぎ)

9.英国が「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を示しなさい。#5514

10.「首相、官房長官、外務大臣は靖国神社参拝は自粛する」との覚え書を示しなさい。#5514

>蒋介石の悔恨の涙、、台湾人にも教えて

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/06/01 20:16 投稿番号: [5831 / 41162]
>どうせ、オマエの作文だと思うがね。(笑)文章が幼稚だよ。

そんなに悔しがることないだろ(笑)

中国国民党蒋介石総統のありがたいお言葉だよ。

>泥棒(台湾現住民は大陸出身者を言うようだ)の子孫に泥棒オヤジの事を聞いて真に受けているとはよほどの馬鹿じゃないのか?

なるほど、日本軍は泥棒と戦争をしていたのか。(笑)

それにしても君はずいぶんと、泥棒に肩入れしているようだが(笑)

で、君は南京大虐殺について、泥棒の言うことを信じるのかい?(笑)

全力をもって南京追撃命令、発令!

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/01 06:48 投稿番号: [5830 / 41162]
軍規頽廃した上海派遣軍を南京攻略に動員するのは無理と判断し、再建の方策として予備役、後備役兵の早期招集解除と国内帰還、将校、下士官の短期再教育の徹底を痛感、考慮している最中の11月20日参謀本部に第10軍から「集団は19日朝、全力をもって南京に向かって追撃を命令」という報告が届いた。

参謀本部次長多田駿中将(石原完爾派)は非常に驚き、急を要するので直ちに中止せよ、制令線から後退させよ、と指示を出した。

拡大派の下村第1部長は内心は南京追撃論であったので、本問題は中支方面軍の統帥に任せるべきであると意見を述べた。しかし、多田次長の強い意見に従い、20日夕方、中支方面軍参謀長あてに
「第」10軍の南京追撃は臨命第600号(作戦地区)指示の範囲を免脱している」と打電した。

前後するが、これより先、11月15日第10軍は軍司令官柳川平助中将臨席のもと
に幕僚会議を開き、軍主力をもって独断南京追撃を敢行することをすでに、決定していた。

制令線を設定して奥地に侵攻することを禁じた軍中央の対する、明らかな命令違反である。

11月24日第10軍に続いて、今度は中支那方面軍から「事変解決を速やかならしむる為、現在の敵の頽勢に乗じ、南京を攻略するを要す」とう意見書が参謀本部に届いた。

下村第1部長は多田参謀次長を説得し、中支那方面軍の作戦地域を制限している制令線の撤去を指示した。(大陸指第5号)

それでも多田参謀次長は戦線拡大を深く憂慮し、中支那方面軍参謀に「南京方面へは進撃しないように」電報を打っている。

11月20日天皇に直属する最高戦争指導機関である大本営が設置され、24日には天皇臨席のもとに、参謀本部、陸軍省、軍令部、海軍省の最高首脳が出席して第一回大本営御前会議が開かれた。同会議では参謀本部の下村第一部長の中支那方面軍の作戦計画について参謀本部で起案した原稿を読むかたちで次のように説明している。

「この軍(中支那方面軍)は上海付近の敵を掃滅するを任務とし、かつ同地を南京方面より孤立せしむることを主眼として編組されております関係上、その推進力には相当制限がございますのみならず、目下その前線部隊はその輜重はもとより、砲兵のごとき戦列部隊すらなお遠く後方にあるものすくなくございません。従って一挙直ちに南京に到達し得べしとは考えておりませぬ」

、以上は前線からの報告に基づき、中支那方面軍の現状では南京攻略は無理である事を述べたもので、多田参謀次長の承認を得たものであった。

が、下村部長は多田参謀次長に無断で原稿にない事を発言したものである。

「この場合中支那方面軍その航空隊をもって海軍航空兵力と協力して南京その他の要地を爆撃し、かつ絶えず、進撃の気勢をしめして敵の戦意を消磨せしむることと存じます。統帥部といたしましては、今後の状況いかんにより該方面軍をして新たなる準備態勢を整え、南京、その他を攻撃せしむる事をも考慮しております」(下村定大将回応答録)

下村部長の発言から海軍航空隊の南京爆撃が陸軍の南京攻略の前哨戦の意味を示すものでることが露呈されている。
下村作戦部長と中支那方面軍司令部とが共謀して参謀本部と命令系統を無視して南京攻略作戦を「下克上」的に進めたのである。

>蒋介石の悔恨の涙、、台湾人にも教えて

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/01 06:43 投稿番号: [5829 / 41162]
>馬鹿じゃないの。
台湾に行って聞いてきたことなのに(爆笑)

単純馬鹿らしい(笑)


台湾の現状を知らずして、このアホは?
大陸出身者の末裔から話を聞いたらしい。東条の親族に話を聞いたのと同じだろうよ。
どうせ、オマエの作文だと思うがね。(笑)文章が幼稚だよ。

泥棒(台湾現住民は大陸出身者を言うようだ)の子孫に泥棒オヤジの事を聞いて真に受けているとはよほどの馬鹿じゃないのか?

どこの台湾いったんだ?
台湾料理屋か   台湾ラーメン屋か?

「従軍慰安婦」問題(下)

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/05/31 23:12 投稿番号: [5827 / 41162]
Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(下)
   〜仕掛けられた情報戦争〜
13,284部   H11.10.02     Japan On the Globe(107) 国際派日本人養成講座

※ 抜   粋(全文下記HP)

■5.慰安婦番組での仕掛け■

  ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出て
くるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、
日本語の字幕で

  戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私た
ちは無一文で置き去りにされたんです。

  と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、

  あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったん
です。私たちは無一文で置き去りにされたんです。

  と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦
争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。

■6.あなた方日本人の手で何とかしてください■

  この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたこ
とから、インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党によ
り、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したよ
うだ。

  スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を
明らかにした。

1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはな
い。
2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお
金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には
渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

  インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみ
は頓挫した。この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインド
ネシア閣僚から、次のように言われたという。

  今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我
々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部
ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関
係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。
あなた方日本人の手で何とかしてください。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html

>「集団は19日朝、全力をもって

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/31 22:51 投稿番号: [5826 / 41162]
今回の投稿は、ツッコミようもないほど何を言いたいのかよく分からない内容だった。


>その矢先に、、、参謀本部に「集団は19日朝、全力をもって、、、、、」の報告が第10軍より届く、、、

石原莞爾少将の後任として第一部長に就いた下村定少将は、「杭州湾上陸作戦」の部隊であった第10軍を南京に進撃させようとしたことは事実だ。
何人かは、そのような積極策を唱える者が居ても、それはそれで仕方のないことだろう。
支那が和平に応じないものだから、日本としては追撃の手を緩めることが難しい。
放って置いたら支那軍は態勢を立て直してまた攻めて来るからだ。

11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の条件を提示。
―――――――――――――――――――
(日本側の和平条件)
・内蒙古民族は自治政府を樹立する。その国際的地位は外蒙に同じ。
・満州国国境に非武装地帯を設定し、中国警察が治安維持にあたる。北支の全権は南京政府の手に存する。事変前から交渉中の鉱物採掘権については日本に満足のいく結果を求める。
・上海は非武装地帯を拡大し国際警察を設けて管理する。
・抗日政策の停止。
・共同して防共に努める。
・関税の引き下げ。
・外国の諸権利を尊重する。
・日本側は、この条件に従って7月7日以前の状況にまで軍を退く。
―――――――――――――――――――
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴る。
11月20日、参謀本部に第10軍から、「集団は19日朝、全力をもって南京に向かってする迫撃を命令」という報告が届けられた(11.19日発電)。
12月1日、「大本営」は、南京攻略を正式に発令。




で、#5756や#5775や#5783や#5787や#5799や#5802や#5814で俺が述べた質問や反論に対して、まったく応答がないのだが、

1.「夜間空襲のもう一つの恐怖は 日本軍爆撃機が「毒ガス」を散布することである。(ウイルソン文書)」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5756

2.支那軍がわざと市街地を狙って爆撃し、日本軍の仕業に転嫁して逆宣伝したことを認めるんだな?#4553、#5397、#5775

3.11月にブリュッセルで開かれた9カ国会議で、「日本の支那侵略に対して警告を発した」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5783

4.日本の不拡大方針は終始継続されたことを認めるんだな?#5787

5.第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものではないことを認めるんだな?#5799

6.石射猪太郎の陸軍に対する憎しみが常道を逸していたことを認めるんだな?#5802

7.上海戦は、蒋介石が攻撃を始めて日本が防衛した戦争だったと認めるんだな?#5814

8.上海戦における日本軍の損害が予想を超えた理由は、日本の不拡大方針による小出しの兵力投入と、支那軍の細菌戦のせいだったことを認めるんだな?#5814


(以下はtatetayonさんからの引継ぎ)

9.英国が「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を示しなさい。#5514

10.「首相、官房長官、外務大臣は靖国神社参拝は自粛する」との覚え書を示しなさい。#5514

蒋介石の悔恨の涙

投稿者: shiranobenjuro 投稿日時: 2005/05/31 22:38 投稿番号: [5825 / 41162]
(56に対する当て付けとして、コピペします。heinz_barさん、ご了解ください。)

東京裁判とは何か、七烈士五十三回忌に当たって   興亜観音を守る会   会長   田中正明

  最後に私は、蒋介石総統の前に進み出て、御礼の挨拶をした後「私は総統閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げました。
  すると「いつ?どこで?・・・・」とたずねられた。
  「昭和11(1936)年2月に、松井石根閣下と2人で、南京でお目にかかりました」
  その時「松井石根」という名を耳にされた瞬間、蒋介石の顔色がさっと変わりました。
  目を真っ赤にし、涙ぐんで 「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」手が震え、涙で目を潤ませて、こう言われるのです。
  「南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。
   私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・・」
といいながら涙しつつ私の手を2度3度握り締めるのです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/15-2.html

>蒋介石の悔恨の涙、、台湾人にも教えて、

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/05/31 22:35 投稿番号: [5824 / 41162]
馬鹿じゃないの。

台湾に行って聞いてきたことなのに(爆笑)

蒋介石の悔恨の涙、、台湾人にも教えて、

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/31 22:17 投稿番号: [5823 / 41162]
>   その時「松井石根」という名を耳にされた瞬間、蒋介石の顔色がさっと変わりました。
  目を真っ赤にし、涙ぐんで 「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」手が震え、涙で目を潤ませて、こう言われるのです。
南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。
私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・・」
といいながら涙しつつ私の手を2度3度握り締めるのです。


台湾人に教えてあげて(笑)
蒋介石の人物像を、、、こんなにも優しい人でしたと、、、

参謀本部に「集団は19日朝、全力をもって

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/31 06:44 投稿番号: [5822 / 41162]
11月中旬、日本軍は上海全域を制圧した。上海派遣軍の本来の目的である「日本人居留民保護」はこれで達成された。

約3ヶ月におよんだ上海戦に多大な犠牲を強いられ、心身共に消耗した兵士は、これで本国へ凱旋できるはずであった。

陸軍省の作成した「上海付近の作戦一段落に当たり政府の行う声明案」(10月28日)によれば、「上海戦を制すれば、直ちに軍事行動を停止し、欣然日支の友交をおさむるに吝かならず」と記されていた。(軍令部第1部甲部員/支那事変処理)

陸軍中央部にとっては上海派遣軍の士気低下、軍規の弛緩、不法行為の激発が深刻な問題となった。

陸軍省軍務局軍事課長田中新一大佐は「軍規粛正」として所見を書いている。
「軍規頽廃の根元は、召集兵にある。高年次招集者にある。招集の憲兵下士官などに唾棄すべき知能犯的軍規破壊行為がある。”現地依存の給養上の措置”が誤って軍規破壊の第一歩ともなる。

すなわち、地方民から物資購買が徴発化し、掠奪化し、暴行に転化するごときが、それである。、、、補給の停滞から第1線を飢餓欠乏に陥らしめることも軍規破壊のもととなる。

軍規粛正の道はそれらの全局面にわたって施策せられなければならないが、当面緊急の問題は、後方諸機関にある。後方諸機関の混乱は動員編成上並びに指揮系統上の見落としものもちろん起因するが、後方特設部隊の軍紀的乱脈が大問題である。

軍事的無知、無規律、無責任、怠慢などおよそ、国体行動の要素は皆無というべく、これをこのまま放置しておいては全軍規律を動揺せしめることにもなる。問題は制度や機構よりも人事的刷新にある」(田中新一   支那事変記録   その3)

松井石根中支那方面軍司令官が南京を占領して国民政府に代わる新政権樹立する意図を表明してはばからないことに対して田中新一は、「松井大将としては南京攻略を切望す。目的は蒋介石を倒す、、ただし、師団の現状では戦闘能力なかんずく攻撃力に不足するものと,見あり。

軍紀風紀の維持については、憂慮すべきもの多く、その原因の重大なるものは、指揮官各級の威力なきにあるといえる。
軍再建に関する件として、情況上、整理可能なるに従って予後備役の招集解除を行い、できるだけ速やかに平常の体制に移し、兵員の不足は補充兵、新兵をもって充足する。下士官の精違整理を行い、徹底させる短期再教育を行う、将校についても同断、戦地教育の徹底をはかる。」(田中新一   支那事変記録   その4)

陸軍中央において、武藤章とともに拡大派の中心であった田中新一でさえ、軍紀紊乱した上海派遣軍を南京攻略に動員するのは無理と判断し、上海派遣軍の再建の方策として、予後備役兵の早期召集解除と国内帰還、将校・下士官の短期再教育の徹底を痛感していたのである。
予後備役兵の召集解除ということになれば、予備役大将の松井石根司令官の召還も対象となったはずである。(河辺虎四郎少将回想応答録)

参謀本部もこうした軍紀頽廃した将兵からなる上海派遣軍を南京攻略に駆り立てれば軍紀を逸脱した不法行為、残虐行為が激発する可能性を懸念し、上海戦を一段落として派遣軍を整理し、休養を与える必要を考慮していた。

その矢先に、、、参謀本部に「集団は19日朝、全力をもって、、、、、」の報告が第10軍より届く、、、

>蒋介石の悔恨の涙

投稿者: ylrswvsth 投稿日時: 2005/05/30 17:31 投稿番号: [5821 / 41162]
人間真心で付き合いをしていれば   必ず真実にたどり着くものですね!!

もっと早くに   この話しをしりたかったな。

監視報告

投稿者: spywatcher56 投稿日時: 2005/05/30 13:03 投稿番号: [5820 / 41162]
2005年5月29におけるyominokuni56の反日投書

午前7時29分から午後2時13分までに
合計12本。

しかし、支那当局は、全く評価せず、
局面が変われば、
歴史抹殺の一環として、ポイ捨てにすると見られる。

日本軍が仕掛けたのではないのは明らか

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/30 12:36 投稿番号: [5819 / 41162]
>上海攻略戦は、武藤章や拡大派が楽観的に考えていた様に、強力な一撃を加えれば中国は簡単に屈服し、日本の要求を国民政府に呑ませて、事変は一気に解決出来るなどというものではなかった。

ラルフ・タウンゼントの「暗黒大陸・中国の真実」を読むと「なぜ武藤らが楽観視したか」がよく分かりますね。

中国の軍は敵より多くても1割にも満たない兵が死傷するともう戦意を喪失して軍使を送って停戦交渉を開始します。
(中国人同士も敵なのに「自軍ばかりが消耗する」ことを恐れていました。)

「命を賭けて最後まで戦う」といった気魄は皆無だったのです。


しかし上海戦では、
1)国民政府の精鋭部隊のほとんどを集結
2)ドイツ製武器で武装しドイツから派遣された軍事顧問により精鋭部隊をドイツ陸軍式に訓練し、市街戦、陣地戦の高等技術を直接指導
3)ドイツ人技術者の指導でトーチカを既に完成させ、武器弾薬食料の備蓄も完全に済ませていた。

というように、極めて本格的で、「はじめから上海に引き寄せて叩く手はずを整えてから日本軍を挑発」しました。

一方、日本軍は侵略の準備はおろか、警備程度の兵員・装備しかもっていませんでした。

「どちらが戦争を仕掛けたかは誰の目にも明らか」です。


ところが、これほど万全の準備をしていたにもかかわらず、結局、中国軍は敗退してしまうわけで、「いかに弱かったか」がよく分かります。

そして、もし上海戦の後日本軍が引き上げれば、また調子に乗って「日本軍は敗走した」と言いふらすだけでなく、「日本居留民や警備兵を襲い始める」のが中国人です。

その「大元である南京政府」を打倒するまでは「上海から兵を撤収することは不可能」であることもまた明らかです。

日本軍のこれらの一連の行動方針に、恣意的に侵略主義的な不自然なところは見られません。
(イラク戦争でも明らかなように同じ立場ならアメリカ軍でもそうしたでしょう。)

>ナチスの墓参りしたら

投稿者: sonoba_kagiri 投稿日時: 2005/05/30 09:23 投稿番号: [5818 / 41162]
>中国は元の兵士の墓参りしたら、日本人は気にしないの?

中国・朝鮮人には理解できないでしょうけど、
日本人は気にしないと思いますよ。日本を攻め込んだ蒙古軍の慰霊碑を建てるくらいですからね。
http://www.ne.jp/asahi/yasum/araki/32kai/shiga/shiga01.html

#最近の例ですけど、日本人を殺そうとし、最後には自爆した不審船の朝鮮人スパイにも花を手向ける、そういう人種なんですよ。日本人は。
http://blogs.yahoo.co.jp/sonoba_kagiri/2722745.html

これはすばらしい!>heinz_bar

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/30 00:56 投稿番号: [5817 / 41162]
もっと知らしめてください(^^)

蒋介石の悔恨の涙

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/05/30 00:33 投稿番号: [5816 / 41162]
東京裁判とは何か、七烈士五十三回忌に当たって   興亜観音を守る会   会長   田中正明

  最後に私は、蒋介石総統の前に進み出て、御礼の挨拶をした後「私は総統閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げました。
  すると「いつ?どこで?・・・・」とたずねられた。
  「昭和11(1936)年2月に、松井石根閣下と2人で、南京でお目にかかりました」
  その時「松井石根」という名を耳にされた瞬間、蒋介石の顔色がさっと変わりました。
  目を真っ赤にし、涙ぐんで 「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」手が震え、涙で目を潤ませて、こう言われるのです。
  「南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。
   私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・・」
といいながら涙しつつ私の手を2度3度握り締めるのです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/15-2.html

従軍慰安婦」問題(上)

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/05/29 23:15 投稿番号: [5815 / 41162]
Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(上)
  〜日韓友好に打ち込まれた楔〜
  13,135部   H11.09.25
Japan On the Globe(106) 国際派日本人養成講座

※   抜   粋   (全文下記HP)

■5.名乗り出た慰安婦■

  次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11
日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝
鮮人従軍慰安婦   戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日
中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍
人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人
が」名乗り出たと報じた。

  しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行
などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291]

  生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ
ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検
番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父
に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊
の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

  当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。

  そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され
たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して
いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札
係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未
満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。

  さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ
た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍
僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安
婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給
食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では
なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安
婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ
ると読者に思い込ませるための造語である。

  金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人
となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ
り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結
婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内
容はよく知っていたはずである。

  金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と
して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏
造記事である。その後の訂正記事も出していない。

■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

  韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対
策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可
能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検
証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を
出版した。

  今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、
9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4
人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし
たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された
とは述べていない。

  結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰
安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。[2,p275]


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

>5807、5809 嘘垂れ流しyominokuni56

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/29 23:14 投稿番号: [5814 / 41162]
>蒋介石は第一次上海事変( 32年)が上海や華中に多くの利権を持つ英国米国など列強の圧力で停戦協定が結ばれたように、今回の第二次上海事変においても、英国、米国の干渉を誘い出して停戦にこぎつける事、あるいは国際連盟加盟国に九カ国条約加盟国による対日軍事・経済制裁を引き出すことを期待して、上海防衛戦に最大勢力を結集した。

もしもし?
「上海防衛戦」って、何ですか?
蒋介石は、日本軍が殆ど居なかった上海に大軍を投入し、国際租界を攻撃したのだが、何故それが「防衛戦」なんだ?


>天皇が戦後「二個師団の兵力では上海は悲惨な目に遭うと思ったので、私はさかんに兵力の増加を督促したが、石原はやはりソ連を恐れて、満足な兵力を送らぬ」と語っている
>(「昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記」)
>不拡大を主張していた石原完爾は参謀本部の作戦の重点が華北から上海攻略戦に移行するに従い、関東軍参謀副長に更迭された。

「二個師団の兵力では上海は悲惨な目に遭う」という予測は正しかった。
石原莞爾は、蒋介石の大軍によって攻撃を受けていた上海の日本人居留民や海軍陸戦隊の生命と財産を蔑ろにしたと言われても仕方がない訳であり、石原の更迭はやむを得ない。


>中国軍の抵抗は頑強で、上海派遣軍は三個師団半の増援を得たにも関わらず、戦線はなお膠着し、苦戦は続いた。
>十一月八日までに戦死戦傷者は四万人以上となる。それに、戦病者も増え、指揮官の大部分、兵士の過半数も補充で入れ替わるという状況であった。

最初から大軍を上海に派遣していれば、犠牲者は少なくて済んだし、戦病者が増えたのは支那軍が細菌戦を行ったからだ。


>「編合」は天皇の命ずる正式の軍の編成である戦闘序列ではなく、仮の編成である。方面軍の任務も「上海付近の敵の掃討」に限定されていた。参謀本部は「中支那方面軍の作戦地域は蘇州、嘉興を連ぬる以東とす。」と制令線を指示し、上海で決着をつける作戦を明示した。」

日本にとって上海戦の目的が、日本人居留民の保護に限定されていたことを証明する証拠だな。




で、#5756や#5775や#5783や#5787や#5799や#5802で俺が述べた質問や反論に対して、まったく応答がないのだが、

1.「夜間空襲のもう一つの恐怖は 日本軍爆撃機が「毒ガス」を散布することである。(ウイルソン文書)」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5756

2.支那軍がわざと市街地を狙って爆撃し、日本軍の仕業に転嫁して逆宣伝したことを認めるんだな?#4553、#5397、#5775

3.11月にブリュッセルで開かれた9カ国会議で、「日本の支那侵略に対して警告を発した」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5783

4.日本の不拡大方針は終始継続されたことを認めるんだな?#5787

5.第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものではないことを認めるんだな?#5799

6.石射猪太郎の陸軍に対する憎しみが常道を逸していたことを認めるんだな?#5802

>>元の兵士の墓参りしたら

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/05/29 20:17 投稿番号: [5813 / 41162]
>日本人を殺した、中国軍人(元兵士)の祭ってある所(中国に神社がないから、仮に「所」という表現にしました)を中国首脳が、国のため、よく尽くしてくれたと言うようなアンバイで墓参りしたならば、日本人は気にしないの?】と言う意味で、アナタ様に御下問がなされたのではと推測しましたが。

最初に悪い印象を与えるような事を書き込まれても困りますね。

「日中戦争によって国に殉じた戦没者の慰霊」とすれば当然ですよ。

なぜ中国が抗議を行なうのか、と言えば反日教育で日本軍の残虐性を、繰り返し教えていることです。
日本でも同じように中国軍の残虐性を教育すれば、同じ反応をすると思いますよ。

南京大虐殺の・・・

投稿者: neo_wakes_up_in_the_morning 投稿日時: 2005/05/29 19:53 投稿番号: [5812 / 41162]
・・・資料の写真て、ほとんど合成写真なんだってね。

しかも、虐殺されたと言われている被害者の数が、年々増えているらしいね。

そがどうしたの?

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/05/29 09:13 投稿番号: [5810 / 41162]
この文章、ながー。。。

工作員さん。

第十軍 杭州湾上陸、武藤章作戦課長

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/29 07:43 投稿番号: [5809 / 41162]
石原完爾の後任の参謀本部第一部長には武藤明と同じ拡大派の下村定少将が第四部長から任命された。

中国軍の抵抗は頑強で、上海派遣軍は三個師団半の増援を得たにも関わらず、戦線はなお膠着し、苦戦は続いた。

十一月八日までに戦死戦傷者は四万人以上となる。それに、戦病者も増え、指揮官の大部分、兵士の過半数も補充で入れ替わるという状況であった。

戦局の打開を苦慮した武藤章作戦課長は、杭州湾に一軍を上陸させて、背後から中国軍を攻撃する作戦を考案し、下村第一部長の内諾を得て、北支方面軍に飛び、華北から上海への兵力抽出を説得した。

その結果、杭州湾上陸のための第十軍(軍司令官柳川平助中将、第6・第十八・第百十四師団と第五師団の国崎支隊)が編成され、併せて第十六師団を華北から転用し、上海派遣軍に増派することとなった。

十一月五日第十軍が杭州湾に上陸し、敵の背後を突いたため、中国軍は動揺し、十一月十三日に第十六師団が長江岸の白茆口(上海北西約七十五キロ)に上陸すると、中国軍の撤退と潰走が始まり、総崩れとなって、上陸攻略戦は一段落を遂げた。

十一月七日   上海派遣軍と第十軍とを併せて指揮するために中支那方面軍の「編合」が発令され、松井石根大将が方面軍司令官を兼任するように命令された。

「編合」は天皇の命ずる正式の軍の編成である戦闘序列ではなく、仮の編成である。方面軍の任務も「上海付近の敵の掃討」に限定されていた。参謀本部は「中支那方面軍の作戦地域は蘇州、嘉興を連ぬる以東とす。」と制令線を指示し、上海で決着をつける作戦を明示した。」

中支那方面軍司令部は上海派遣軍と第十軍との作戦を一時的に統一指揮するだけのものとされていた。普通、一般の方面軍の編成と異なり、兵器部、経理部、軍医部、法務部(法務官が派遣され、軍法会議により軍刑法違反を取りしまる)など無く。

つまり、それ以上の奥地へ対する作戦を指揮する場合に必要な”兵站基地、機関”を持っていなかったのである。

法務部がないということは軍隊の軍規風紀を取り締まるべく正式機関を備えていなかったということである(軍務局長武藤章回想録)

参謀長には第三部長であった塚田功少将、参謀副長には作戦課長であった武藤章大佐が就任した。

いずれも拡大派であり、武藤は自ら志願したとされ、東京を出発するときから南京攻略を考えていたと思われた。

>元の兵士の墓参りしたら

投稿者: kurobiyouxi 投稿日時: 2005/05/28 15:42 投稿番号: [5808 / 41162]
道なき道から、勝手に割り込みしましたことを失礼にアタリましたら御容赦のほど願いたし。

>>もし、中国は元の兵士の墓参りしたら、日本人は気にしないの?

>気にしませんよ。

と回答なされた部分に関して、余計な、大きなお世話だ   と言われそうですが、敢えて述べます。

  アナタ様へ質問と言うんでしょうか、その趣旨の内容は以下の通りだったんで はないでしょうか(くだらないから一切無視で結構ですけれど)。

趣旨内容【仮に、中国国家が戦争において、日本人を殺した、中国軍人(元兵士)の祭ってある所(中国に神社がないから、仮に「所」という表現にしました)を中国首脳が、国のため、よく尽くしてくれたと言うようなアンバイで墓参りしたならば、日本人は気にしないの?】と言う意味で、アナタ様に御下問がなされたのではと推測しましたが。

お互いに、各戦争ゴトニ、それぞれ敵国人民を結果として戦場で「殺す機会おおありでしょうから」、お互い自国兵・軍人は可愛いですので、「英霊」として祭り合うことは当然のことで、当たり前が前提だが、一方で「殺す機会の多い方」が敵国人を大量に殺す結果も無視できない。

結論的に、大量に敵兵隊・軍人を殺して「英霊」になったケース   及び少数しか相手(敵)軍人等を殺せなかった「英霊ケースも、それぞれ考えられ、伝統的というのか日本国も   かって「あだ討ち制度」もあって、「殺された側が、相手(敵)を殺し返す」執念深い国民性を持つているから、「英霊の墓参り」なんぞと小泉氏如きの「スットコドッコイの乗り」で参拝されたんじゃ、ふざけんじゃないよ   と言われかねない「危険性かつ毒を含む」墓参りと称する儀式は「特に敵国人民の殺し方が少数だった側」=日中両国間であれば、衆目する所少数の日本人しか殺害できなかった中国人民のウラミ、復讐心等ハンパじゃなかろうかと思料されるが。

不拡大を主張していた石原完爾の更迭

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/28 08:05 投稿番号: [5807 / 41162]
上海攻略戦は、武藤章や拡大派が楽観的に考えていた様に、強力な一撃を加えれば中国は簡単に屈服し、日本の要求を国民政府に呑ませて、事変は一気に解決出来るなどというものではなかった。

蒋介石は第一次上海事変( 32年)が上海や華中に多くの利権を持つ英国米国など列強の圧力で停戦協定が結ばれたように、今回の第二次上海事変においても、英国、米国の干渉を誘い出して停戦にこぎつける事、あるいは国際連盟加盟国に九カ国条約加盟国による対日軍事・経済制裁を引き出すことを期待して、上海防衛戦に最大勢力を結集した。

しかも、蒋介石は国民政府の精鋭部隊の殆どを投入し、ドイツから派遣された軍事顧問(団長フォウルゲンハウゼン) がドイツ製武器で武装し、ドイツ陸軍式に訓練された精鋭部隊に市街戦、陣地戦の高等技術を直接指導した、上海の市民の支援も受けて、中国軍将兵の抗戦士気は高かったのである。(笠原「南京防衛戦と中国軍」)

応急的に動員されて上海戦に投入された日本軍上海派遣軍は中国軍の激しい抵抗を受け、戦果を拡大することが出来ないまま、戦闘は長期化していった。
上海戦の苦戦は中国軍の抗戦力を軽視した結果であり、拡大派の一撃論が誤っていた事を露呈したものである。
が、日本軍部、国民、政府には中国を「侮日」「暴涙なる支那」と見て、よりいっそうの一撃を与え、中国を屈伏させよという強硬論が大勢を占めるように也、不拡大派は軍部の内外において孤立していった。

天皇が戦後「二個師団の兵力では上海は悲惨な目に遭うと思ったので、私はさかんに兵力の増加を督促したが、石原はやはりソ連を恐れて、満足な兵力を送らぬ」と語っている
(「昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記」)


武藤章作戦課長らは石原の反対を押し切って、九月七日、台湾軍から応急動員部隊の上海派遣と華北からの後備歩兵10大隊の上海への転用、九月十一日、第九.第十三・第百一師団及び有力砲兵部隊の上海派遣を断行することを参謀本部に決定させた。

上海戦への兵力増強には天皇の意思と指導も強く働いていた。(藤原「南京の日本軍」)

不拡大を主張していた石原完爾は参謀本部の作戦の重点が華北から上海攻略戦に移行するに従い、関東軍参謀副長に更迭された。

元の兵士の墓参りしたら

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/05/28 04:49 投稿番号: [5806 / 41162]
>もし、中国は元の兵士の墓参りしたら、日本人は気にしないの?

気にしませんよ。

モンゴルでチンギスハーンの発掘を続けているのは、日本人とモンゴル人の合同調査団だし、

もし発見されたら、墓参りに行ってみたい日本人は多いと思いますよ。

> ナチスの墓参りしたら

投稿者: picsaintloup 投稿日時: 2005/05/28 01:08 投稿番号: [5805 / 41162]
>ドイツの首相がナチスの墓参りしたら、ユタヤー人はどう思う?

ドイツの首相は「ナチス」も祀られている「ビットブルグ戦没者墓地」にお参りしていますよ。ユダヤ人はそんなことにクレームを付けたりはしません。

>戦争指導者の墓参りしたら当然中国人が怒る、もし、中国は元の兵士の墓参りしたら、日本人は気にしないの?

「元寇」の責任者フビライの墓でも、「モンゴル帝国」創始者ジンギスカンの墓でも、どうぞ御自由にお参りください。日本人はそんなことは全く気にしません。

>正義のあることを取るこそにほんの国益ではないでしょうか?

「中国共産党」の主張が「正義」ですか?

『歴史歪曲』今こそ中国は詫びよ 

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/05/28 00:55 投稿番号: [5804 / 41162]
櫻井よし子さんのブログの新着ご紹介
<< 作成日時 : 2005/05/09   18:53

『歴史歪曲』今こそ中国は詫びよ  

『週刊新潮』   '05年4月28日号

日本ルネッサンス   第163回

■抜粋(全文は下記HP)

情報を制限し、国民世論を操作する中国の手法は、国民の目に映る国際社会の姿と歴史を歪曲するもので、今も昔も変わらぬ中国の手法だ。

たとえば南京事件である。南京事件は大虐殺だった、虐殺は存在しなかった、否、真実はその中間にあるというふうに、意見は大きく三分される。学者たちの間でも、尚、決着のつかない同事件について、国民への正しい教え方は、意見の分かれている現状を教えることだ。しかし、中国政府は、30万人が虐殺されたと一方的に主張し、記念館を建設、生生しい展示を続ける。歴史問題で繰り返し非難される日本人は、中国の主張する“南京大虐殺30万人説”がどのように構築されたかを、この際よく知っておくべきだ。

http://blog.satohs.jp/200505/article_97.html

ナチスの墓参りしたら

投稿者: jpkoyo2000 投稿日時: 2005/05/27 23:36 投稿番号: [5803 / 41162]
ドイツの首相がナチスの墓参りしたら、ユタヤー人はどう思う?戦争指導者の墓参りしたら当然中国人が怒る、もし、中国は元の兵士の墓参りしたら、日本人は気にしないの?
正義のあることを取るこそにほんの国益ではないでしょうか?

>近衛文麿首相は「支那膺懲」を掲げ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/27 23:22 投稿番号: [5802 / 41162]
>日中戦争は「支那膺懲」(成敗する)の為の戦争であると言う意識が軍隊、国民に浸透していたという一面がある。
>近衛文麿首相は「支那膺懲」を掲げ、国民の戦意高揚を煽り、挙国一致の国民精神総動員を呼びかけて行った。


「暴支膺懲」については、既に# 5755と#5799で2回も黄泉の国へのレスで述べているよ。

(再掲)
8月9日に予定されていた和平会談は、支那が海軍陸戦隊の大山中尉を上海の虹橋飛行場近くで惨殺してぶち壊した。
日本側は支那に抗議したが、日本に責任をなすりつけて取り合わなかった。
大山中尉と運転手の斉藤水兵の車は機関銃で蜂の巣にされ、中尉は車から引きずり出され、銃剣で胸を刺され、かつ大刀で頭を割られていた。
支那側の態度に危険を感じた海軍は、警備のために陸軍の応援を要請したが、参謀本部の石原完爾少将は「上海に陸軍を出すと戦火が拡大するので出せない」と断った。
仕方がないので海軍は、陸戦隊を1200名程増派したが、追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、既に日本人居留区は保安隊に包囲されており、その夜のうちに支那軍は上海付近の鉄道の民間使用を禁じて軍用に切り換えて上海に12万の大軍を送り込んだ。
当時、上海にいたのは海軍陸戦隊4千のみで、とても支那の大軍を相手に出来なかったため、海軍は改めて陸軍の派遣を要請した。
緊迫した情勢の中、13日、政府はやっと陸軍の派遣を決めたが、これから準備するために到着するのに約20日は掛かる。
したがって、海軍陸戦隊には、「絶対に先に手を出すな」と指令したが、支那軍はこの日に上海への攻撃を開始した。
翌14日には上海市街を爆撃し、キャセイホテルやパレスホテルにも落ち、支那人や外国人に大量の死傷者を出した。
あまりの暴虐さに日本政府は●「暴支膺懲」●を宣言し、海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばして支那軍の飛行場や前線基地を叩き、日本人の命を永らえさせた。
これが世に言う『渡洋爆撃』。



>石井猪太郎は「近衛首相の議会原稿を見るに、軍部に強いられた案であるに相違ない。
>「支那膺懲」とある。排日抗日をヤメさせるには最期までブッたたかねばならぬ、とある。
>近衛は日本をどこへ持って行こうというのか。呆れ果てた非常時首相だ。彼はダメダ。」(8月31日   記)


石射猪太郎 (#5770より)
http://hajime1940.blog.ocn.ne.jp/hajime/2005/04/post_1fed.html
(一部抜粋)
では何故、石射らはこうしたデタラメな抗議を信じたのか。それは、石射ら外務省の陸軍に対する憎しみに基因する。
(略)
石射の陸軍に対する憎しみは、反日的情念とさえ結びついた感がある。 なにしろ、石射の464頁もの大著は、日本と中国の関係を(「日中」ではなく)「中日」と呼称するに至るのである。


ただし、近衛文麿は、共産主義者・社会主義者に同調し、側近の尾崎秀美(朝日新聞、中央公論、改造などで、当時の中国問題第一人者、後にソ連のスパイとして、逮捕、処刑された)など共産主義者・社会主義者に利用された人物だったようだ。
尾崎などは、日本を米英と戦わせ、ソ連を守り、日本の社会主義への体制変革を目指して近衛を利用していたようだ。




で、#5756や#5775や#5783や#5787や#5799で俺が述べた質問や反論に対して、まったく応答がないのだが、

1.「夜間空襲のもう一つの恐怖は 日本軍爆撃機が「毒ガス」を散布することである。(ウイルソン文書)」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5756

2.支那軍がわざと市街地を狙って爆撃し、日本軍の仕業に転嫁して逆宣伝したことを認めるんだな?#4553、#5397、#5775

3.11月にブリュッセルで開かれた9カ国会議で、「日本の支那侵略に対して警告を発した」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5783

4.日本の不拡大方針は終始継続されたことを認めるんだな?#5787

5.第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものではないことを認めるんだな?#5799

戦争体験者の声

投稿者: zannnen_giri 投稿日時: 2005/05/27 08:56 投稿番号: [5801 / 41162]
昔の日本人、軍人は恥を知っている。戦争とはいえ人を殺め、一般民衆にも多大な被害を及ぼしたには違いないから、それについて嘘をついてまで反論せず潔く裁きを受ける。だから東京裁判のような国際法を無視した判決にも従ったのだろう。

しかしありもしない事実無根の濡衣をきせて、どさくさに紛れた火事場泥棒のように利益を得ようとする輩はさすがに許し難くきっぱりと反論されている。

他人の勝手な解釈のはいらない体験者の声である。

http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/onoda_ianhunoshoutai.html
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