孫文による虐殺
投稿者: spywatcher56 投稿日時: 2005/06/02 21:45 投稿番号: [5838 / 41162]
支那人が支那人を虐殺した。
それも、あの孫文が命じたというから、
救いようがない。
「こうしたことから政府と商業界の対立は日増しに激化した。当時商団は自衛軍を組織し、イ
ギリスから輸入した武器で武装していた。そこで一九二四年四月、孫文は蒋介石に商団軍への
攻撃を命令した。これにはコミンテルンの軍事顧問が指揮する黄埔軍官学校生徒や湖南軍、雲
南軍などが加わり、圧倒的な力で一晩のうちに抵抗を鎮圧した。政府軍は市内で放火、略奪、
虐殺、暴行を行い、三千棟以上の商店、住宅が焼け、死傷者は二千人に達した。孫文は商団の
リーダー陳廉伯を「呉佩孚(北京政府)と組んで内乱を企てた」との罪状を突きつけたが、そ
れは明らかにでっち上げだった。(ルビ略)」
黄文雄『中国が葬った歴史の新・事実』115頁
筆写の黄文雄氏の信頼度は、動画で確かめて下さい。下記ページの画面で、下の方に移動し、クリック。別の本についての話ですが、参考になります。
http://www.ch-sakura.jp/publish.php
これは メッセージ 5837 (yominokuni56 さん)への返信です.
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