南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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繰返しコピペ、fukagawatohei (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/10/09 09:04 投稿番号: [29483 / 41162]
タネが尽きた?
あほう
(大笑
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Re: 旧731部隊員アメリカ入国禁止
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/09 08:36 投稿番号: [29482 / 41162]
明らかにされた、リストを見たいものだね、嘘吐き君。
これは メッセージ 29481 (fukagawatohei さん)への返信です.
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旧731部隊員アメリカ入国禁止
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/09 08:32 投稿番号: [29481 / 41162]
旧軍関係者を米入国禁止リストに登録
関東軍防疫給水部(731部隊)など、旧日本軍の非人道的行為を調査しているエリ・ローゼンバーグ米司法省特別調査部長は、17日までに米政府が、旧日本軍の行為を戦争犯罪とみなし、米政府の入国禁止リストに50〜100人の旧日本軍関係者を登録したことを明らかにした。
第二次大戦直後には米国は、細菌兵器の情報提供の見返りに、731部隊に対し東京裁判の免責を与えたが、90年代に入ってからは政策を変更し、旧日本軍の戦争犯罪を調べなおしている。
96年12月には731部隊や従軍慰安婦施設の関係者16人を入国禁止リストに登録、その後米政府独自の調査によって登録者は拡大した。
これは メッセージ 29480 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: ミドリ十字の犯罪
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/08 23:15 投稿番号: [29480 / 41162]
ミドリ十字の戦後の犯罪は、企業の犯罪で、、南京虐殺とは何の関係もない、嘘吐き君。
七三一部隊の話しは小説の話しで現実には証明されていない、嘘吐き君。
これは メッセージ 29478 (fukagawatohei さん)への返信です.
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大嘘又はコピペ又はノータリン投稿
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/10/08 23:05 投稿番号: [29479 / 41162]
fukagawatohei
(笑
馬鹿
(大笑
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ミドリ十字の犯罪
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/08 20:58 投稿番号: [29478 / 41162]
ミドリ十字が設立されたのは1950年11月で、朝鮮戦争が勃発した5ヶ月後です。当時は「日本ブラッド・バンク」という名称で、設立者は内藤良一という人物です。
内藤は、侵略戦争当時、陸軍軍医学校「防疫研究室」の主任でした。この「防疫研究室」の主幹は、かの有名な七三一部隊の石井四郎でした。石井は満州で細菌戦の人体実験を行いながら、一方で細菌戦展開の作戦についてはこの内藤に命じていたのです。
ですから内藤はいわば七三一部隊の総参謀役ともいえる人物でした。
アウシュビッツにも匹敵する戦争犯罪だった七三一部隊の罪状がアメリカ進駐軍によって意識的に免罪され、データがアメリカに売り渡され、それと引き換えに七三一部隊関係者はその庇護のもとに戦後の社会で活動したことは周知の事実です。
そして、朝鮮戦争でアメリカ軍人の輸血の必要が生じたことを契機に、内藤は売血制度を中心にして「日本ブラッド・バンク」を設立したのです。
ミドリ十字は元から七三一部隊の陰を引きずって生まれ、七三一部隊の犯した戦争犯罪を何ら反省しない人々によってその事業が始められました。
それ以後、戦後日本の医学界に入り込んだ七三一部隊の研究者とその弟子たちを取り込んで発展してきた会社です。
「非加熱製剤」が中止された後にも、それを回収するどころか販売し続けるという人命軽視、人間無視の姿勢は、まさに七三一部隊の思想を今に受け継いでいるといえるでしょ
いって見れば、薬害エイズは、日本の医学界が七三一部隊について未だに何ら反省してこなかったことと深く結びついている問題だと思います。
日本の医学界は七三一部隊について何ら反省してきませんでした。
当時満州の七三一部隊で「研究」の主要な役割をしていた多くの技術者が、その後各地の医学部の教授となり、その後もそれぞれの学会でボス的行動をとってきたことを医学界は黙認してきました。
例えば、石川大刀雄は金沢大教授、岡本耕造、田部井和、吉村寿人は兵庫医大教授、林一郎、斉藤幸一郎は長崎医大教授に就任しています。また南京につくられた「栄」一六四四部隊の技術者たちは、東大伝研(後の国立予防衛生研究所)に住み着いたごとくです。
五二年一〇月、日本学術会議第一三回総会が開かれました。この総会に平野義太郎、福島要一らが、「細菌兵器禁止に関するジュネーブ条約の批准を国会に申し入れる件」を議案として掲出しました。
当然の提案でした。ところが、これに反対したのは医学関係の第七部に属する戸田正三、木村廉でした。戸田、木村は京都大学医学部の教授で石井を指導した教官であり、当時は七三一部隊の技術者を送り込んだ張本人だったことはよく知られています。
その反対理由として「現在日本では戦争を放棄しているのであるから、戦時に問題になる条約を批准するのは筋違い。」「四〇年前に解決している問題であって、実用にならないものに苦労するはずがない。」などと述べています。
七三一部隊の犯罪を反省するどころか、それがアメリカ軍によって免罪されたことを正当化した発言でもあります。
薬害エイズの原因となった血液製剤は製薬五社(ミドリ十字、日本臓器製薬、バイエル薬品、バクスター、化学血清療法研究所)によって供給されたものです。
この中で最初に非加熱製剤の輸入を申請したのはミドリ十字です。おそらく製薬五社の中で主導的役割を果たしてきたのでしょう。このことから薬害エイズを発生させた遠因は、今から六十年も前の七三一部隊の人間無視の思想にあります。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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Re: 父島事件は冤罪ではない
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/08 17:15 投稿番号: [29477 / 41162]
嘘吐き君の嘘吐きは終わったのかな、嘘吐き君。
「日本が戦争に負けた、其れも嘘だ」と言ってはいけないよ、誰もそんなことは言わないからね、嘘吐き君の捏造だね、嘘吐き君。
これは メッセージ 29473 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 父島事件は冤罪ではない
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/07 15:30 投稿番号: [29476 / 41162]
昭和20年3月17日
本隊二見港
気候午前6時
霧
北の風4.0
気温
14.5
湿度
50
正午
霧
北東
2.8
気温
17.9
湿度
50
一般任務
横鎮部隊小笠原部隊(乙型)
横鎮部隊東京湾部隊(甲型)
経過概要
1.夜間大型機(B24)空襲5回
戦果被害無し
2.昼間大型機(B24)空襲5回
3.戦備作業
令達報告等
小笠原原部隊指揮官
17日一般
1.通信情報に依れば敵機動部隊16日1630頃硫
黄島付近に在りたる模様なるも其の後状況不明な
り
2.明早朝警戒を厳にせよ
これより詳しい状況を記したものがあれば示して頂戴な、嘘吐き君。
これは メッセージ 29473 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 父島事件は冤罪ではない
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/07 15:12 投稿番号: [29475 / 41162]
戦争で負けたことと、嘘は区別しようね、嘘吐き君。
ところで、土屋公献のことを少しは勉強したかね、嘘吐き君。
此の事件が起きた頃の土屋公献の所属は第二水雷艇隊だよね、嘘吐き君。
階級は少尉候補生、副長付だったんだね、嘘吐き君。
これは メッセージ 29473 (fukagawatohei さん)への返信です.
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大嘘又はコピペ又はノータリン投稿
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/10/07 14:55 投稿番号: [29474 / 41162]
fukagawatohei
(大笑
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Re: 父島事件は冤罪ではない
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/07 14:55 投稿番号: [29473 / 41162]
>人食は冤罪だったね
それは、古本屋さんが勝手に決める事じゃ〜ないんだよ。
日本は戦争に負けた、それもウソって言いたいのは分かるけどね。
これは メッセージ 29472 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 父島事件は冤罪ではない
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/07 14:45 投稿番号: [29472 / 41162]
射殺はどうして起こったのかを調べることだね、嘘吐き君。
人食は冤罪だったね、嘘吐き君。
これは メッセージ 29471 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 父島事件は冤罪ではない
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/07 14:37 投稿番号: [29471 / 41162]
>ボーン中尉を殺したのは事実だが、
じゃ〜、冤罪じゃ〜ないでしょう。
これは メッセージ 29470 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 父島事件は事実
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/07 13:52 投稿番号: [29470 / 41162]
当時少尉候補生として、父島に配属されていた土屋公献元日弁連会長は、ボーン中尉を殺したのは事実だが、ボーンの遺体を損壊して食べた事実は無いと食人行為については、否定している.
これは メッセージ 29468 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 父島事件は事実
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/07 13:50 投稿番号: [29469 / 41162]
判決文を読むことだな、嘘吐き君。
これは メッセージ 29468 (fukagawatohei さん)への返信です.
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父島事件は事実
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/07 13:23 投稿番号: [29468 / 41162]
「BC級戦犯裁判」09.08.14日経新聞
「この罪、天地に恥ずべし」。1946年10月に行われた米軍グアム裁判第11号事件。担当した伊藤憲郎弁護人は弁護の日々をつづった日誌の表題をこう書いた。BC級戦犯裁判の中でも酸鼻を極めた事件として記憶される「父島事件」である。
44年8月から45年3月の間、小笠原諸島の父島の陸海軍部隊が「戦意高揚」と称して米軍捕虜数人を軍刀の試し切りなどで殺害し、遺体の一部を食べた事件だ。この裁判では14人が起訴され、首謀者として陸軍の師団長だった立花芳夫中将、的場末男少佐ら5人が絞首刑となった。
伊藤弁護人の日誌には、立花中将らの行状が次々と明らかにされていく公判の様子がつづられている。ある陸軍大尉は、立花中将が「人間の肉を食らうくらいの闘魂がなくてはいけない。この次の空襲で酒の肴(さかな)が空から落ちて来ぬかなあ」と話していたことを証言した。
検察側は「日本は誤れる指導者のため戦いに敗れたが、言語に絶するカニバリズム(人肉食)の無道悪虐も鬼畜部隊長の誘導の下に行われた」と糾弾。
弁護側はこうした行為を罰する国際法規はないと抗弁した。しかし、検察側は「名誉ある埋葬を妨げた」という理由で裁きを求めた。
事実関係で争う余地はほとんどなく、弁護側の劣勢は否めなかったが、敵国の常軌を逸した犯罪に対し、米国人弁護士は熱心な弁護を行った。
伊藤弁護人は「恩讐(おんしゅう)を超えた職務熱心」と感謝しながらも、「日本人弁護士の私もさすがに同胞として恥ずかしき限りの犯罪」と記している。
ある海軍軍医少佐は「当時の将兵の士気は極めて旺盛だったが、敵兵の肉を食うというがごとき気持ちの者は一名もなかった。
私はこれは異常なる精神状態の所有者によって行われたと観察する。常識ある正常なる健全なる日本人として、かかる残虐なる野蛮行為は到底考えられぬ」と述べている。
陸軍大尉の一人は「捕虜殺害は師団長、的場少佐の命令で拒絶するわけにはいかなかった」と、事件はこの2人に責任があると主張している。
同事件で禁固刑の判決を受け、後に釈放された海軍中尉は「終戦後、捕虜殺害の件は、陸軍側から海軍側にだまっておってくれと申し入れがあった。
海軍側は責任は持てないと答えたところ、それでは海軍の司令部も事件に引き込めという態度に出た」と軍内の醜態を暴露している。
海軍軍医大尉は「現在の心境ではとてもあのような行為はできないが、当時は戦争という特殊な環境の下で行われたことであり、悪いことをしたとは思っていなかった。
戦争というものが、いかに人間の心理状態を異常にするかをしみじみと感じさせられた」と述懐している。
これは メッセージ 29467 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: G.ブッシュと父島事件
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/07 11:45 投稿番号: [29467 / 41162]
物的証拠は何も示されていない、今で言うところの冤罪だな、嘘吐き君。
これは メッセージ 29466 (fukagawatohei さん)への返信です.
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G.ブッシュと父島事件
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/07 11:26 投稿番号: [29466 / 41162]
昭和20年2月23日から25日にかけて、小笠原諸島の父島に配備されていた陸海軍の混成団の一部将校らが米軍の捕虜を殺害して人食していたことが戦後の東京裁判BC級の公判で明らかになった。
小笠原諸島は東京市(現在東京都)に属し、南に約200キロにある島で父島を中心に大小の島からなる。当時、東京市の防衛の要であった硫黄島と東京市の中間にあり、軍需物資を中継する重要な島だった。
このため、大本営も従来の父島要塞司令部を改編し陸軍は混成第一旅団(5個大隊を基幹)など約9000人、海軍は通信隊など6000人を再配備した。
米軍の機動部隊は、前年の昭和19年7月にサイパン島を攻略し日本守備隊が玉砕。このサイパンを最前線基地として連日、東京への空爆を行った。大本営は米軍の次の目標は硫黄島とみて、父島に約15000人からなる部隊を配置したのだった。
同年8月31日から9月2日にかけて、いよいよ父島に対する空爆が始まった。米空母からアベンジャー爆撃機が次々に父島に向かって出撃していった。一方、父島守備隊は高射砲や機関砲で応戦し5機の米軍機を撃ち落した。この内の1機が後の第41代米国大統領となるジョージ・ブッシュ中尉だった。
ブッシュは、からくもコックピットから脱出してパラシュートで離脱。その後、味方の潜水艦に救助されたが、同乗していた2人の乗組み員は行方不明となった。
−終戦後の発覚−
昭和20年8月15日終戦。9月2日に父島に米艦が到着し、立花陸軍中将を正使、森海軍中将を副使として降状手続きを行った。この時、米軍側は開口一番、「パラシュートで脱出した米軍パイロットは何名いたか。その後、どうなっているか知りたい」との質問に日本軍側は、「防空壕で全員爆死した」と回答。これに対して米軍側は露骨に不機嫌な態度になった。
その後、日本兵の復員は順調に進んだが、何故か的場陸軍少佐の大隊だけは復員が許可されなかった。この時、米軍側は的場大隊以外の部隊から様々な情報を収集していた。証拠固めができた昭和21年2月になって米軍側は、「捕虜になった米軍パイロット達は、残虐行為の末に殺害され人食された。この事件の主犯は陸軍では立花中将と的場少佐、海軍では、森中将と吉井大佐である」としてグアムの軍事裁判に起訴した。
立花ら4人は大筋を認めて、小笠原事件に関与したとする軍人ら25人が逮捕された。
−カニバリズム−
一体、どのような経緯で捕虜の人食に至ったのか。その後のBC級裁判で明らかにされた。
昭和20年3月に前任の師団長が自決。その後、副官の立場にあった立花と森が中将に昇格。全体の指揮権は立花が握ることになった。立花中将の副官的存在が的場少佐であった。的場は、気が荒く酒乱の傾向があり、気に入らないことがあると部下を半殺しの暴行を加えて周囲を恐れさせていた。
実際に柔道、剣道など合わせて10段以上の腕前と大きな体躯は周りを恐れさすには十分であった。
さて、ここで陸軍と海軍の高級将校達の酒盛りが連日行われた。終戦末期の物不足の中、貴重品である酒を連日酌み交わした。
だが、゛つまみ゛が無い。そこで、立花らは米軍捕虜の肉を食べて戦意高揚を図ろうと軍医に捕虜の解体を命じた。
針金で大木に縛りつけた米軍捕虜に立花が、「日本刀の凄みを披露する絶好の機会じゃ」と言って、試し切りの希望者を募って殺害。
その後、遺体を解体させて宴会の゛つまみ゛にした。後の日本兵の証言によると、米兵の手足の肉や内臓を立花が食べると、「これは美味い。お代わりだ」とはしゃいでいたという。
結局、8人の米軍捕虜を殺害し人食したこの行為で、立花、的場、吉井ら5人が絞首刑となった(森は終身刑だったが、後のオランダ軍の裁判で死刑)。吉井は軍事裁判で、「無差別爆撃する米空軍が悪い。パイロットは処刑されて当然。人肉は戦意高揚のため食した」と供述。
更に、「日本軍の戦陣訓である、゛生きて陵辱の辱めを受けず゛・・・という教えがあり、捕虜に対する行為は何をおいても許される」と主張した。
ジョージブッシュは、昭和天皇の崩御で「大喪の礼」に参列した後、「初めて日本人を許す気になった」と語ったという。
それほどまでに、ブッシュはこの事件を「戦時中に経験した最悪の時」として自伝に書き込んでいる。もしあの時、ブッシュが米潜水艦に救助されていなかったら、米国大統領になっていなかった可能性が大きい。何故なら日本軍に食べられていただろうから。
これは メッセージ 29464 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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コピペロボット
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/10/07 10:47 投稿番号: [29465 / 41162]
もう飽きられている。
頭がわるいよ、fukagawatoheiは
(笑
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Re: 南京の真実
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/07 09:50 投稿番号: [29464 / 41162]
昭和十二年十二月
漢口十一日発ロイター
(イ)現在南京城内にある英国人はロイター特派員L・C・スミスただ一人だ。彼は全英国人が南京を脱出した十二月九日人々と共に一度は英砲艦に避難したが、是非現状を直接見なければと称し人々の止めるのも聞かず翌日又城内へ帰っていった。
(ロ)本日到着した支那側の報道に拠れば南京城門五ヶ所に於いて猛烈な戦闘が行われており日本軍は飛行機、砲兵戦車隊の掩護下に南京攻略の意気物凄く進撃を続けている。中華門(南門)外に於いては戦闘も激しさを極め支那側は城内並みに透明な色美しい小石のあるので有名な雨花薹−その名は天花雨の如く降った故に付けられたという−の小丘上の要塞によって頑強抵抗中であると言われる。雨花薹は南門に至る道を守っているのだ。他方支那側情報に拠れば日本軍は孫逸山の陵園のある紫金山を占領一気に中山、太平門に殺到せんの態勢を整えている。中山門は中山陵園、中山陵に達する中山路上にあり、太平門は中山門の少し北にある。この門こそはその昔丁国芳の率いる満州帝国軍が十年に亘る南京攻略の後城壁を壊して進入した所だ。日本軍が四囲武装された紫金山を占領したことにより正に全市の支配権を握ってしまったような物である。其の三丁から日本軍は市の如何なる方面に向けその砲撃でも照準が付けられるのだ。
上海十八日発
(イ)ロイテル通信社南京特派員エル・シー・スミス氏は本日英国軍艦レディー・バード号に便乗上海に帰還したが、同氏の談話に拠れば、去る十二日南京の支那軍がその守備を日本軍の為に撃破された時にはその光景たるや悲愴極まりなきものであった。
スミス氏は伊太利亜大使館屋上より少数の外国特派員及び写真班と観戦したものであるが、その語る所に拠ると紫金山は砲撃の為燃え上がっており、市の南方には三ヶ所に大火災が起こり、天に沖する黒煙が朦々として立ち上がっていた。
同時に市の西部の水道局へ砲弾が命中する毎に南京はひどく振動した、二隻の日本の気球が砲撃の観測をやっていた、すると午後四時三十分頃南京市民の間に一大恐慌が起こり「日本兵がやって来た」と叫びながら何れも先を争って防空壕へ潜り込んだのであった。同時に支那兵は北へ北へと逃げだし下関を目指していくのであった。中には隊伍堂道として退却する者もあったが、中には武器を全部捨てて逃亡した者もあった。
アメリカ大使館の側を通り過ぎていった支那兵だけでも一個師団はあった、すると間もなく銃声が聞こえたかと思うとその兵隊がしぶしぶ戻ってきた、それは督戦隊八十八師の為に追い返されたのである。その中日本の包囲網が益々厳重になり逃げ遅れた数千の支那兵は梯や縄や或いは服を裂いて紐に作り此を城壁に引っかけて市内から逃げ出したのである。かくして支那兵は下関で船でも筏でも乗れる物には皆乗って海岸へ逃げ出したのであるが、余り多数の兵士が乗った為転覆して数千人の支那兵は溺死したのである。殿軍を努めた支那軍は善戦して日本軍の進撃阻止に努めたが、夜半にいたり城外で数千の支那軍が日本軍の為に一掃されてしまった。十三日になっても市内で袋のネズミの様になった支那兵が多数在ったが何れも武装していた、然しその中避難地帯に入何れも武器や制服を捨ててしまった、これらの兵士は外国人を見さえすれば、何とか命を助けてくれと懇願していた。
(ロ)間もなく退却が始まった江辺に出る幹線道路中山路は退却軍と馬匹でぎっしり一杯になりそれが周章てるものだから道々ボトボトと備品、手榴弾、銃、弾薬、毛布等を落として行く、日本軍飛行機は支那軍の退却を認めるや之に掃射を浴びせかけて大混乱に陥れた、支那軍の或者は武器を携帯、秩序整然として退却した者もあるが、又一方には只逃げたい一心で身についた物全部をかなぐり捨ててしまった者も多数あった、午後十時になると江岸への道路中山路に沿う交通部の付近支那家屋から火を発した、ここには弾薬が置いてあったものだから、その爆発火焔は物凄く車類は一切交通できない、その為道の反対側は押し合いへし合いの有様となり、火が車や木材、銃、自転車、人力車に飛び火して惨惨たる光景を呈した、よって支那軍は全部徒歩で車がやっと通れる位開いている下関門へ赴いたが、此にも既に一杯の車が集まっておりそれに火が付いた為混乱の為踏殺された支那兵が多数出た。
これは メッセージ 29463 (fukagawatohei さん)への返信です.
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南京の真実
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/07 09:05 投稿番号: [29463 / 41162]
掃討する時、家を一軒一軒まわり女の子をみつけるとその場で強姦した。女の子はだいたい床の下かカーテンの後ろとかに隠れていたな。
見つかった時、怖いかどうか分からないけど反抗し無かったな。憲兵から止められたりしなかったのでやり放題やった。
女たちは皆顔に墨などを塗っていた。何人ぐらいしたか覚えていないけど、印象に残るのは逃げている母と娘を捕まえた時、母親は我々に娘は小さいから自分をやってと頼んだ事だった。
我々は「アホかー」と母をふりはらった。やる時は2,3人で行っている。もちろんやる時悪いと思ってたし、逆に日本がやられ自分たちの子ども、あるいは女性がやられたらどうなるかを考えたこともある。
それでも、自分もいつ死ぬか分からない状況なので、生きている間に、天皇の命令とかは関係なく自分がやりたいことをした。
そんなことは当たり前になった。私ももちろん南京で強姦を経験した。場所はどこでもいい、いくらでも空家があり、そんな家の寝台の上とかでやった。
平時の時はお米を持っていって、母親に娘をちょうだいと頼んだこともある。また、難民区から女性たちが自ら出てきて、お米と自分の体を交換した人もいる。
お米は私たちが食べるお米で、一回に靴下片方満タン(五合ぐらい)のお米を上げた。
南京城内ではなく郊外では憲兵に見つかったらうるさいから女の人を殺したりした。自分は掃討戦の時だけ城内に入り人を殺したことがある。
こんなことから南京大虐殺はあったと思う。悪いことしたと思っている。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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Re: 「南京大屠殺説」はアウト
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/07 01:16 投稿番号: [29462 / 41162]
中国軍に見捨てられたのではなく、蹂躙されたんだよ、嘘吐き君。
これは メッセージ 29460 (fukagawatohei さん)への返信です.
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空前絶後に頭が悪いfukagawatohei
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/10/06 21:54 投稿番号: [29461 / 41162]
それにしても頭が悪い。極端に悪い。
下の二つの投稿は矛盾している。だからfukagawatoheiは嘘を書いている。
間違いない!
頭が悪い!
①>軍隊に入ってからすぐに広島にある「結核患者を専門に治療していた」
陸軍病院に「入院させられた」という事実から、おいらが親父の
結核は持病だったと表現しただけなんですけどね〜。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24475
投稿者:fukagawatohei
②>おいらの親父が入院したのは爆心地から1〜1.5kmくらいのところに
あった広島陸軍病院だよ。
結核患者が必ずしも、結核専門の病院に入れられるとは限らないんだよ。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24782 投稿者:fukagawatohei
*fukagawatoheiの父親が入院していたのは「どんな」病院なんだろう?
これは メッセージ 29316 (koudousuru009 さん)への返信です.
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Re: 「南京大屠殺説」はアウト
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/06 20:52 投稿番号: [29460 / 41162]
>中国軍が救助に駆けつけないことなんかあるもんか
あるだろ〜ね。南京は中国軍に見捨てられたんだよ。
>この素朴な質問を最初に提出したアメリカ人青年は、ノ−ベル平和賞に値する。 >
だから、そのアメリカ人ってだあ〜れ?
こんな見え透いた作り話に乗っかちゃって〜、単純だな〜、じいさんは。
本当に上海にいたのかぁ〜?
これは メッセージ 29457 (unhoo さん)への返信です.
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unhooさん、こんばんわ
投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/10/06 20:46 投稿番号: [29459 / 41162]
レスをいただきありがとうございます。
台湾は、美しい自然や美味しい食べ物、美しい女性、温かな人々の心などの魅力が溢れた島のようですね。
unhooさんもますますお元気になられてなによりです^^
来年あたり、旅行で台湾か上海に行ってみたいと思っています。
どちらがおすすめですか?
また観光スポットなどを教えてください。
これは メッセージ 29431 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 「南京大屠殺説」はアウト
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/10/06 20:31 投稿番号: [29457 / 41162]
>when, where and who?<
わしは資料を保存する習慣がないが、幸いnyankotyanndamon殿が保存してくれた。
この素朴な質問は誰がいつどこで提出しても有効だよ。南京にいた日本軍が5000人であろうと、60000人であろうと、毎日毎日3000人から5000人の中国人を屠殺しているというのに、それが2ヶ月から3ヶ月も続いているのに、中国軍が救助に駆けつけないことなんかあるもんか。
もう「南京大屠殺説」はアウトだ。中国人も喜べ、君たちの同胞が大屠殺されたという事実はなかったのだ。世界も喜べ。
この素朴な質問を最初に提出したアメリカ人青年は、ノ−ベル平和賞に値する。
これは メッセージ 29452 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: さすが中国人ビジネスマン
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/06 20:10 投稿番号: [29456 / 41162]
南京虐殺のことを知らない中国人は居ないのかもしれないが、中国人が南京で虐殺したことを知らない中国人が多すぎる、嘘吐き君。
これは メッセージ 29455 (fukagawatohei さん)への返信です.
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さすが中国人ビジネスマン
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/06 20:06 投稿番号: [29455 / 41162]
>私は友人に対してどのように答えれば良いのだろうか?
Nanjin Massacreを知らない中国人はいない。
日本人が広島の原爆は知らないと言ってるようなもんだな。
自分のビジネスの為には自分の国も捨てるか。
まあ〜、これが中国人ビジネスマンの典型ではあるな。
これは メッセージ 29453 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: ダーティン記者の証言
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/06 17:57 投稿番号: [29454 / 41162]
南京安全区委員会
寧海路五号
一九三八年一月十七日
南京日本帝国大使館御中
福井氏の考慮を乞う
(略)
追伸
今朝この手紙を書いたのですが、その後、昼になって、(1)の点に関しては、日本軍当局が自治委員会に対して米一〇〇〇袋を割当てたこと、
その引き渡しが今朝始まったことを知りました。
この量が早急に一日米一○○○袋に増量されて、二五万人の需要をもっとよく満たすことができるようになるものと信じます。
(略)
南京安全区委員会委員長
ジョン・H・D・ラーベ
これは メッセージ 29447 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 「南京大屠殺説」はアウト
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/06 17:57 投稿番号: [29453 / 41162]
2009年05月22日
アメリカ人に「南京大虐殺の時、中国軍は何をしてたの?」と聞かれて困ったアル!
【中国ブログ】南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?
(サーチナ
2009/05/22)
南京大虐殺に対する日本と中国の認識には一定の溝が存在するようだ。中国側は2―3カ月という期間に30万人の中国人が日本軍によって虐殺されたと主張している。このブログは中国人ブロガーが南京大虐殺が行われていた期間中、中国の軍隊は何処で何をしていたのかという質問に対しての考えを綴ったものである。以下はそのブログより。
----------------------------------------------------
米国人の友人と食事をした際、一つの質問を受けた。
「中国人はずっと、日本人は南京大虐殺で中国人を大量に殺害したと言っている。この大虐殺は2―3カ月もの間続いたと言っているが、その間中国の軍人はどこにいたのか?2カ月も続いていたとすれば、どこにいても駆けつけることができたはずだ。日本軍人はわずかに5000人だったそうだが、中国軍はなぜ南京の市民を守らなかったのか?」
以上が、米国人の友人から受けた質問だ。私はこの質問を聞いて唖然としてしまった。私はこれまでこのような問題について考えたことが無かったし、私の周りの人間も考えたことが無かっただろう。
米国人の友人は私に「当時、共産党や国民党は一体何をしていたのか?」と尋ねてきたが、外国人たちは、これについて、「彼らは旨いものを食っていたに違いない」と言っていた。私はこれに対して、それはあまりにも誇張された考え方だと反論したが、確かに良い質問だと感じ、帰って調べ、後でメールすると答えた。
資料を調べて分かったのは、当時南京に侵攻した日本軍は5000人ではなく6万人であったことと、南京にいたのは多くの売国奴であったということだった。友人からの質問は私を大いに混乱させることとなった。
また、私はGoogleで検索したのだが、何の資料も見つけることができなかった。当時、中国軍が何処で何をしていたのか、一切の記述が無いのである。私は友人に対してどのように答えれば良いのだろうか?
これは メッセージ 29452 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 「南京大屠殺説」はアウト
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/06 17:04 投稿番号: [29452 / 41162]
>もう誰でも知っている話だ。
だあ〜れも知らないでしょ。
それ、when, where and who?
これは メッセージ 29451 (unhoo さん)への返信です.
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「南京大屠殺説」はアウト
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/10/06 16:54 投稿番号: [29451 / 41162]
今年もまた中国人がアメリカで「1937年12月13日から三ヶ月にわたって日本軍が南京で大屠殺を継続し、総計30万人の中国人が屠殺された」と得意になって喋っていたら、それを聞いていた一人のアメリカ青年が「そのとき中国軍はどこにいたのか」と素朴な質問をした。中国人はグウの音も出なかった。もう誰でも知っている話だ。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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Re: ダーティン記者の証言
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/06 13:53 投稿番号: [29449 / 41162]
『 南京の真実 』 (講談社、1997年)として日本で出版されています。
この「日記」の12月6日には、安全区の設置に大反対する中国軍の黄上校との次のやりとりが書かれています。
「なんとか考えを変えるよう、黄を説得しようとしたが無駄だった。要するにこいつは中国人なのだ。こいつにとっちゃ、数十万という国民の命なんかどうでもいいんだ」 と自国民を助けようとしない黄(中国軍)に対する憤懣を記しています。
これは メッセージ 29447 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/29449.html
Re: ダーティン記者の証言
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/06 13:39 投稿番号: [29448 / 41162]
昭和十二年十二月
漢口十一日発ロイター
(イ)現在南京城内にある英国人はロイター特派員L・C・スミスただ一人だ。彼は全英国人が南京を脱出した十二月九日人々と共に一度は英砲艦に避難したが、是非現状を直接見なければと称し人々の止めるのも聞かず翌日又城内へ帰っていった。
(ロ)本日到着した支那側の報道に拠れば南京城門五ヶ所に於いて猛烈な戦闘が行われており日本軍は飛行機、砲兵戦車隊の掩護下に南京攻略の意気物凄く進撃を続けている。中華門(南門)外に於いては戦闘も激しさを極め支那側は城内並みに透明な色美しい小石のあるので有名な雨花薹−その名は天花雨の如く降った故に付けられたという−の小丘上の要塞によって頑強抵抗中であると言われる。雨花薹は南門に至る道を守っているのだ。他方支那側情報に拠れば日本軍は孫逸山の陵園のある紫金山を占領一気に中山、太平門に殺到せんの態勢を整えている。中山門は中山陵園、中山陵に達する中山路上にあり、太平門は中山門の少し北にある。この門こそはその昔丁国芳の率いる満州帝国軍が十年に亘る南京攻略の後城壁を壊して進入した所だ。日本軍が四囲武装された紫金山を占領したことにより正に全市の支配権を握ってしまったような物である。其の三丁から日本軍は市の如何なる方面に向けその砲撃でも照準が付けられるのだ。
上海十八日発
(イ)ロイテル通信社南京特派員エル・シー・スミス氏は本日英国軍艦レディー・バード号に便乗上海に帰還したが、同氏の談話に拠れば、去る十二日南京の支那軍がその守備を日本軍の為に撃破された時にはその光景たるや悲愴極まりなきものであった。
スミス氏は伊太利亜大使館屋上より少数の外国特派員及び写真班と観戦したものであるが、その語る所に拠ると紫金山は砲撃の為燃え上がっており、市の南方には三ヶ所に大火災が起こり、天に沖する黒煙が朦々として立ち上がっていた。
同時に市の西部の水道局へ砲弾が命中する毎に南京はひどく振動した、二隻の日本の気球が砲撃の観測をやっていた、すると午後四時三十分頃南京市民の間に一大恐慌が起こり「日本兵がやって来た」と叫びながら何れも先を争って防空壕へ潜り込んだのであった。同時に支那兵は北へ北へと逃げだし下関を目指していくのであった。中には隊伍堂道として退却する者もあったが、中には武器を全部捨てて逃亡した者もあった。
アメリカ大使館の側を通り過ぎていった支那兵だけでも一個師団はあった、すると間もなく銃声が聞こえたかと思うとその兵隊がしぶしぶ戻ってきた、それは督戦隊八十八師の為に追い返されたのである。その中日本の包囲網が益々厳重になり逃げ遅れた数千の支那兵は梯や縄や或いは服を裂いて紐に作り此を城壁に引っかけて市内から逃げ出したのである。かくして支那兵は下関で船でも筏でも乗れる物には皆乗って海岸へ逃げ出したのであるが、余り多数の兵士が乗った為転覆して数千人の支那兵は溺死したのである。殿軍を努めた支那軍は善戦して日本軍の進撃阻止に努めたが、夜半にいたり城外で数千の支那軍が日本軍の為に一掃されてしまった。十三日になっても市内で袋のネズミの様になった支那兵が多数在ったが何れも武装していた、然しその中避難地帯に入何れも武器や制服を捨ててしまった、これらの兵士は外国人を見さえすれば、何とか命を助けてくれと懇願していた。
(ロ)間もなく退却が始まった江辺に出る幹線道路中山路は退却軍と馬匹でぎっしり一杯になりそれが周章てるものだから道々ボトボトと備品、手榴弾、銃、弾薬、毛布等を落として行く、日本軍飛行機は支那軍の退却を認めるや之に掃射を浴びせかけて大混乱に陥れた、支那軍の或者は武器を携帯、秩序整然として退却した者もあるが、又一方には只逃げたい一心で身についた物全部をかなぐり捨ててしまった者も多数あった、午後十時になると江岸への道路中山路に沿う交通部の付近支那家屋から火を発した、ここには弾薬が置いてあったものだから、その爆発火焔は物凄く車類は一切交通できない、その為道の反対側は押し合いへし合いの有様となり、火が車や木材、銃、自転車、人力車に飛び火して惨惨たる光景を呈した、よって支那軍は全部徒歩で車がやっと通れる位開いている下関門へ赴いたが、此にも既に一杯の車が集まっておりそれに火が付いた為混乱の為踏殺された支那兵が多数出た。
これは メッセージ 29447 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/29448.html
ダーティン記者の証言
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/06 13:29 投稿番号: [29447 / 41162]
ダーティン記者は1938年1月9日付の記事でも中国の南京防衛について、合計16個師団だが、1師団の兵力は2千から3千人程度に減っているので総計約5万人と推定している。
同記者にはその同じ記事のなかで、中国軍の死者数について日本軍が南京への本格的攻撃を開始した12月上旬から市内を占領して3日目の12月15日までに3万3千人が死んだと伝え、そのうちの2万人が処刑されたとみられる、と報道している。
―捕虜の処刑は実際に目撃しましたか。
「はい。私が南京を去ることになる12月15日にも城門のすぐ外の揚子江の水ぎわで日本軍が機関銃で中国軍の捕虜を射殺しているのを見ました。
捕虜たちは50人くらいずつにまとめられ、並べられて射殺されるのです。
そのあとにすぐまた50人ほどの次のグループが引き出され、機関銃の連射で殺されるのです。この処刑が進行している間に別の日本軍の将兵が近くにたむろしてタバコを喫ったり、大声で話し合っていた光景をいまでもよく覚えています」
―中国の捕虜の側は抵抗とか逃走をまったく試みなかったのですか。
「その捕虜たちが両手を縛られていたかどうかはもう覚えていませんが、さからっても無駄なことは明白でした。
中国軍は司令官が逃げて、指揮系統が混乱してしまったこともあって、日本軍が城内に入ってからはすぐ抵抗をやめ降伏するか、軍服を脱ぎすてて民間人の群にまぎれこむかでした。
とても無気力だったのです。軍服を脱いだ軍人達の多くは『安全地区』に逃げ込みました」
『安全地区』(セーフティーゾーン)というのは、外国人の宣教師や教師、医師が中心になってつくった民間人のための避難地域である。
この地区を管理する委員会では日中両軍にその安全区の尊重を呼びかけていた。
―『安全地区』には何人くらいが集まっていたのでしょうか。
「私の当時の推定では約10万人だったと思います。
しかしここにも日本軍が入ってきました。中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが原因だといえばいえます。
そのために日本軍に『安全地区』に入って捜査をする口実を与えてしまった。
兵隊ならば衣類を脱ぐと、銃や背嚢(はいのう)をかついでいた跡が半分タコのようになって体に残っているのがわかるとというのです。
若い中国の男たちはみな日本軍に調べられ、兵士だと断定されると『安全地区』内でも殺されるというケースがよくありました。
ただ日本軍も外部からいきなり『安全地区』に攻撃をかけるようなことはしなかった。
市内の他地域での流血にくらべれば、まるでたいしたことはありませんでした。」
ダーティン記者は、南京市内での日本軍による民間人の無差別殺害をも、当時、くわしく報道していた。
「12月15日に南京市内を広範にみてまわった外国人たちは、民間人の死体があちこちにあるのを目撃した。犠牲者のなかには老人や子供もいた。警官や消防夫がとくに攻撃の標的となった」(1937年12月18日付報道)
「興奮や恐怖に駆られて日本軍の近くを突っ走った中国人はすぐに狙撃された。明かに背中から射たれた老人の死体などが、うつ伏せになって歩道によく横たわっていた」(1938年1月9日付報道)
予想されなかった虐殺
―日本軍はやはり民間人をも無差別に殺したのですか。
「はい、無差別の殺害といえます。銃で射つのがもっとも多かった。
銃剣を使う場合もあった。
とにかくウサギを殺すような感じでの虐殺が行われたのです」
ダーティン氏はこうした発言をしながらもとくに表情は変えず、淡々とした口調で語りつづける。
「南京の日本軍兵士は、上層部から略奪や虐殺をしてもよいという通達を受けているような印象を、私は受けました。
『中国人を殺せ』というような命令ではないにせよ、『殺してもかまわない』というような通達です。こうした行動は私には大きなおどろきでした」
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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Re: 三笠宮 - 東條暗殺
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/06 13:18 投稿番号: [29446 / 41162]
違うね、三笠宮を除いて、皇族は昭和天皇を一全て最後迄、国民を裏切らなかった、嘘吐き君。
これは メッセージ 29445 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 三笠宮 - 東條暗殺
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/06 13:11 投稿番号: [29445 / 41162]
>君は、三笠宮崇仁殿下のクーデター未遂を知らん様だな、嘘吐き君。
知ってるよ〜ん。三笠ちゃんが途中で怖くなって仲間を裏切った
件だろ〜。
保身のためには平気で人を売る、これが皇族の実態。
だから、信用できないんだよね。
これは メッセージ 29444 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/29445.html
Re: 三笠宮 - アカ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/10/06 12:06 投稿番号: [29444 / 41162]
君は、三笠宮崇仁殿下のクーデター未遂を知らん様だな、嘘吐き君。
これは メッセージ 29441 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/29444.html
Re: 南京の人口
投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2009/10/06 11:56 投稿番号: [29443 / 41162]
つまり、エリアも人数も信用ができないということを主張しているわけですな!
これは メッセージ 29433 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/29443.html
馬鹿が出てきたfukagawatohei (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/10/06 11:51 投稿番号: [29442 / 41162]
大嘘かコピペ、でなければノータリンな投稿
(笑
今日もまた、毎日々々
(笑
馬鹿をやる
(笑
六十面さげて
(大笑
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