南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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ミドリ十字の犯罪

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/08 20:58 投稿番号: [29478 / 41162]
ミドリ十字が設立されたのは1950年11月で、朝鮮戦争が勃発した5ヶ月後です。当時は「日本ブラッド・バンク」という名称で、設立者は内藤良一という人物です。

内藤は、侵略戦争当時、陸軍軍医学校「防疫研究室」の主任でした。この「防疫研究室」の主幹は、かの有名な七三一部隊の石井四郎でした。石井は満州で細菌戦の人体実験を行いながら、一方で細菌戦展開の作戦についてはこの内藤に命じていたのです。

ですから内藤はいわば七三一部隊の総参謀役ともいえる人物でした。

アウシュビッツにも匹敵する戦争犯罪だった七三一部隊の罪状がアメリカ進駐軍によって意識的に免罪され、データがアメリカに売り渡され、それと引き換えに七三一部隊関係者はその庇護のもとに戦後の社会で活動したことは周知の事実です。

そして、朝鮮戦争でアメリカ軍人の輸血の必要が生じたことを契機に、内藤は売血制度を中心にして「日本ブラッド・バンク」を設立したのです。

ミドリ十字は元から七三一部隊の陰を引きずって生まれ、七三一部隊の犯した戦争犯罪を何ら反省しない人々によってその事業が始められました。

それ以後、戦後日本の医学界に入り込んだ七三一部隊の研究者とその弟子たちを取り込んで発展してきた会社です。

「非加熱製剤」が中止された後にも、それを回収するどころか販売し続けるという人命軽視、人間無視の姿勢は、まさに七三一部隊の思想を今に受け継いでいるといえるでしょ

いって見れば、薬害エイズは、日本の医学界が七三一部隊について未だに何ら反省してこなかったことと深く結びついている問題だと思います。

日本の医学界は七三一部隊について何ら反省してきませんでした。

当時満州の七三一部隊で「研究」の主要な役割をしていた多くの技術者が、その後各地の医学部の教授となり、その後もそれぞれの学会でボス的行動をとってきたことを医学界は黙認してきました。

例えば、石川大刀雄は金沢大教授、岡本耕造、田部井和、吉村寿人は兵庫医大教授、林一郎、斉藤幸一郎は長崎医大教授に就任しています。また南京につくられた「栄」一六四四部隊の技術者たちは、東大伝研(後の国立予防衛生研究所)に住み着いたごとくです。

五二年一〇月、日本学術会議第一三回総会が開かれました。この総会に平野義太郎、福島要一らが、「細菌兵器禁止に関するジュネーブ条約の批准を国会に申し入れる件」を議案として掲出しました。

当然の提案でした。ところが、これに反対したのは医学関係の第七部に属する戸田正三、木村廉でした。戸田、木村は京都大学医学部の教授で石井を指導した教官であり、当時は七三一部隊の技術者を送り込んだ張本人だったことはよく知られています。

その反対理由として「現在日本では戦争を放棄しているのであるから、戦時に問題になる条約を批准するのは筋違い。」「四〇年前に解決している問題であって、実用にならないものに苦労するはずがない。」などと述べています。

七三一部隊の犯罪を反省するどころか、それがアメリカ軍によって免罪されたことを正当化した発言でもあります。

薬害エイズの原因となった血液製剤は製薬五社(ミドリ十字、日本臓器製薬、バイエル薬品、バクスター、化学血清療法研究所)によって供給されたものです。

この中で最初に非加熱製剤の輸入を申請したのはミドリ十字です。おそらく製薬五社の中で主導的役割を果たしてきたのでしょう。このことから薬害エイズを発生させた遠因は、今から六十年も前の七三一部隊の人間無視の思想にあります。
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