若杉参謀
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/10/05 23:44 投稿番号: [29431 / 41162]
>「1943年1月、私は支那派遣軍参謀に捕せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして1年間在勤しました。その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました」<
↑「百聞は一見に如かず」ということばは、永遠に真理である。三笠宮はたいせつな「一見」を欠いていた。
「三笠宮が支那派遣軍司令部の参謀に就任した」という情報は公開されていた。
上海の日本人居留民の間にも隣組制度が施行されていた。台湾人も日本人居留民のうちだった。わしが住んでいたフランス租界では、日本人居留民はたいへん分散して住んでいたが、隣組長が職務により、一軒一軒訪問して、「若杉参謀が近いうちに上海へ来て講演することになっているが、この方は実は三笠宮であるから、不敬なことがないように」と伝えた。その際に講演を聞きに行きたい人の申し込みを受け付けたように記憶する。
この通知をうけた日本人居留民のなかに「三笠宮が思想赤化し、銃殺されたといううわさがあったが、あれはデマだったのか」と言った者がいた。これで見ると、三笠宮の言論は当時司令部で嫌われていたのであろう。嫌われたからそんなデマが発生したのであろう。
これは メッセージ 29429 (anthony_749 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/29431.html