南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 宇和田日記は、朝日新聞の捏造日記3

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/04/30 01:54 投稿番号: [9598 / 41162]
  ここで無言のまま席を立った中村支局長は、やがて1枚の写真を持って現れ、連隊会の代表たちに「これを見てください。」と突きつける。
  それは、建物の前の路面に生首が12、3個ころがっている写真であった。
  連隊会「これはなんです、これが虐殺現場を撮影したと思われる写真なのですか!」
  支局長「その通りです。中国人の生首です」
  連「これを見て、支局長は即座に虐殺現場の写真だと思われたのですか」
  支「その通りです」
  連「おかしいですね。生首が転がっているだけでは、兵隊なのか一般人なのかもわからない。悪く勘ぐるなら、中国の兵隊が匪賊討伐を行った際に打ち首になった匪賊の首かもしれません。支局長はこれをひと目見ただけで、よくも日本軍が中国人を虐殺した写真だと判断されましたね。その根拠は!?」
  支「この写真を持っていた本人が、生前この写真を見ながら後悔していたという事を聞いていましたから、てっきり虐殺の現場写真だと」
  連「しかし、その本人は10年前に死んでいるんでしょう。それでは直接本人から聞かれたわけではなく、その家族の方からの話ではありませんか。信用できますか!」
このあともしばらくやりとりは続き、連隊会側は最後にこう要求した。
「先日、孫がやってきて「爺ちゃんたちは悪い人間じゃねー」と言いますので、「何を言うか!爺ちゃんたちは、日本を守るために生命を投げ出して戦った立派な者ばかりだ。悪いことなどしてはおらん」と言うと、「新聞は嘘つかん」と逆襲されました。
私ども生きている者は我慢の仕様もありますが、若き命を散らせて消えた英霊は浮かばれません。
どうか、全国版で都城歩兵23連隊は南京大虐殺には参加せず、無関係である旨の記事を出していただきたい」
中村支局長の回答は「その事はしばらく待って下さい。私一存ではどうも」というもので、物別れのまま朝日との第1回会談は終了した。


有力な日記執筆候補者

昭和59年10月のある日、連隊会事務局に、問題の日記の筆者についての重大な情報が入る。
情報は第1中隊の代表者である山路正義氏からのもので、
「歩兵23連隊の戦記編纂の折に、「この日記は役に立つのではありませんか」と、北郷村の三浦松治氏が私に当用日記を届けてくれたことがありました。その日記は、北郷村出身で私と同じ中隊にいた、故宇和田弥一君のものでした。日記の中から何か戦記に掲載しうるものはないかと詳細に目を通し、結局、2ヵ所を戦記に載せた次第です。しかし、朝日が指摘している虐殺などのことは書いてありませんでしたから、この日記ではないかもしれませんが、一応ご参考までに」という連絡であった。
調べてみると、宇和田弥一君は昭和48年に腎臓病で世を去っている。
朝日の言う49年に死亡とは1年のズレがあるものの、戦争当時は上等兵で、農業学校を出ていて教養もあるし、筆も立つ、河野美好氏と共に、有力な日記執筆の候補者として浮かび上がってきたのである。
実は、山路氏の情報の中にある「歩兵23連隊の戦記編纂」の最高責任者は私であった。
私は、市ヶ谷にある自衛隊の幹部学校で戦史教官をやっており、戦記を編纂するなら一番適任であろうとなって、昭和49年に発案し、53年にようやく完成させたのである。
その際、各中隊ごとに編纂委員を決め、資料を集めてもらった。
その中に宇和田氏の日記も入っていたのである。
ところが、私は全体の監修者という立場にあったため、当時、宇和田日記の現物は見ていない。
実際の事務所は宮崎でやり、戦記完成後、この日記は未亡人の宇和田八重子さんに返送されていることが後にわかった。
連隊会は情報入手後、ただちに仲介役の三浦松治氏に聞いてみたところ、
「年月ははっきりしませんが、ある日のこと、故宇和田さんの霊前に詣でたところ、奥さんが「こんなものがありましたが、何かお役に立ちますか」と申されて、一冊の日記帳を差し出されました」との返事だった。
山路情報は確実に裏付けられたが、奇妙なのは、「最初の北郷村調査の折に何故そのことを告げなかったのか」と問われた三浦氏が「別の日記かと思って黙っていた」と答えたことである。
さらに奇妙なのは、宇和田未亡人の対応だった。
連隊会から未亡人に電話をし、「ご主人は日記帳を持っておられたそうですね」と尋ねると、間髪を入れずに、
「はい、写真3枚と日記帳がございました」との答えが返ってきた。
日記の有無だけを尋ねたのに、なぜ聞きもしない写真の件を持ち出されたのか。
いずれの電話のあることを予期していたかのような反応は、まことに不可解であった。


続く
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