まー久しぶりにFさんに反論するが、
投稿者: ja2047 投稿日時: 2006/02/19 08:06 投稿番号: [8951 / 41162]
>>実際に中国兵の一部が民間人を襲って衣服を強奪したのなら
>便衣兵の全員が衣服を奪っています。
なぜならば全員が「便衣」だからです。
民間人を殺して衣服を奪ったという記述はエスピー報告の中にだけ出てくる。
他の外国人の記述では、「町のあちこちで兵士が軍服を投げ捨て、店から盗んだり銃口を突きつけて人から引き剥がしたりした平服を身につけているのを見た。」(2/4スティール記事)、「何百人もの兵士が店の前に押し寄せ、あらゆる種類の平服が「飛ぶように」売れていった。兵士たちは有り金をはたいて平服を手に入れ、路上で着替え、軍服を投げ捨て、市民に紛れて立ち去ったのである。」(スミス講演)、など。
強奪は多分間違いなくあったのだが、金を払って手に入れたケースも、民間人から譲り受けたケースもある。
全部が犯罪的に入手したものではない。
>>中国の刑法なり中国軍の軍法に触れる行為であると思います。
>便衣兵が犯罪者であることを認めましたね。
ごちゃごちゃにしない d(^^
1.私服で敵を攻撃する→明かな戦時国際法違反
2.兵士が私服で偽装する→あきらかな戦時国際法違反ではないが、
敵軍が摘発するのは当然
3.民間人からものを奪う→国際法以前に、その土地の国内法で犯罪
占領軍の治安維持の観点からも犯罪
これらはいずれも取り締まりの対象にはなるが、「犯罪」の意味が違うので、扱いは別々だ。 全部まとめて殺していいというものではない。
>>探し出して処罰するのは占領地の民衆の利益にも添っているので、正当なことです。
>犯罪者である便衣兵の逮捕、処罰が正当であることを認めましたね。
だから、全部まとめてぶち殺せばいいというのは無茶苦茶だって (−−;
>>これで占領地の民衆の反感をと恨みを買ってしまった。
>>つまり、占領地の民心把握に失敗したと言うことです。
>これの根拠は何ですか?
外国人の記録、中国人の記録、日本人の記録、多数、
たとえば、
瀧川政次郎 「新版 東京裁判をさばく(下)」
南京市民の日本人に対する恐怖の念は、半歳を経た当時においてもなお冷めやらず、南京の婦女子は私がやさしく話しかけても返事もせずに逃げかくれした。私を乗せて走る洋車夫が私に語ったところによると、現在南京市内にいる姑娘(クーニャン)で日本兵の暴行を受けなかった者はひとりもないという。
(「新版 東京最後をさばく(下)」P95)
佐々木元勝 「続野戦郵便旗」
泥棒市は中山路の角から数町続き、次の十字路でまた横に続くにぎやかなものである。
狭い舗道で時々姑娘にも会うが、行き違うときひどく不安気に避けるのがいる。
(続野戦郵便旗 佐々木元勝 現代史資料センター出版会 昭和48年 P68)
>日本の占領後に治安が保たれ人口が急増しました。
1935年4月 99万8942人 首都警察部
1937年3月 101万9667人 「南京市政概況」
陥落時 25万人程度?
1938年8月 30万7546人 南京市政府
1938年12月 43万8013人
1939年12月 57万6347人
徐々に回復したのは確かだが、急増したとは言えない。
二年後にようやく元の人口の半分まで戻っただけだ。
首都が引っ越してしまったのだからしょうがないけど、市民はなかなか戻っては来なかった。
>便衣兵の全員が衣服を奪っています。
なぜならば全員が「便衣」だからです。
民間人を殺して衣服を奪ったという記述はエスピー報告の中にだけ出てくる。
他の外国人の記述では、「町のあちこちで兵士が軍服を投げ捨て、店から盗んだり銃口を突きつけて人から引き剥がしたりした平服を身につけているのを見た。」(2/4スティール記事)、「何百人もの兵士が店の前に押し寄せ、あらゆる種類の平服が「飛ぶように」売れていった。兵士たちは有り金をはたいて平服を手に入れ、路上で着替え、軍服を投げ捨て、市民に紛れて立ち去ったのである。」(スミス講演)、など。
強奪は多分間違いなくあったのだが、金を払って手に入れたケースも、民間人から譲り受けたケースもある。
全部が犯罪的に入手したものではない。
>>中国の刑法なり中国軍の軍法に触れる行為であると思います。
>便衣兵が犯罪者であることを認めましたね。
ごちゃごちゃにしない d(^^
1.私服で敵を攻撃する→明かな戦時国際法違反
2.兵士が私服で偽装する→あきらかな戦時国際法違反ではないが、
敵軍が摘発するのは当然
3.民間人からものを奪う→国際法以前に、その土地の国内法で犯罪
占領軍の治安維持の観点からも犯罪
これらはいずれも取り締まりの対象にはなるが、「犯罪」の意味が違うので、扱いは別々だ。 全部まとめて殺していいというものではない。
>>探し出して処罰するのは占領地の民衆の利益にも添っているので、正当なことです。
>犯罪者である便衣兵の逮捕、処罰が正当であることを認めましたね。
だから、全部まとめてぶち殺せばいいというのは無茶苦茶だって (−−;
>>これで占領地の民衆の反感をと恨みを買ってしまった。
>>つまり、占領地の民心把握に失敗したと言うことです。
>これの根拠は何ですか?
外国人の記録、中国人の記録、日本人の記録、多数、
たとえば、
瀧川政次郎 「新版 東京裁判をさばく(下)」
南京市民の日本人に対する恐怖の念は、半歳を経た当時においてもなお冷めやらず、南京の婦女子は私がやさしく話しかけても返事もせずに逃げかくれした。私を乗せて走る洋車夫が私に語ったところによると、現在南京市内にいる姑娘(クーニャン)で日本兵の暴行を受けなかった者はひとりもないという。
(「新版 東京最後をさばく(下)」P95)
佐々木元勝 「続野戦郵便旗」
泥棒市は中山路の角から数町続き、次の十字路でまた横に続くにぎやかなものである。
狭い舗道で時々姑娘にも会うが、行き違うときひどく不安気に避けるのがいる。
(続野戦郵便旗 佐々木元勝 現代史資料センター出版会 昭和48年 P68)
>日本の占領後に治安が保たれ人口が急増しました。
1935年4月 99万8942人 首都警察部
1937年3月 101万9667人 「南京市政概況」
陥落時 25万人程度?
1938年8月 30万7546人 南京市政府
1938年12月 43万8013人
1939年12月 57万6347人
徐々に回復したのは確かだが、急増したとは言えない。
二年後にようやく元の人口の半分まで戻っただけだ。
首都が引っ越してしまったのだからしょうがないけど、市民はなかなか戻っては来なかった。
これは メッセージ 8939 (F1789_99 さん)への返信です.