Re: 第四中隊陣中日誌
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/02/10 01:37 投稿番号: [8875 / 41162]
ja2047氏より回答がないので自己レスで話を進めます。
> これと第四中隊陣中日誌から同中隊の掃討は安全区東部の一部を含んでいたと記述しています(P328,361,364)
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12月14日
晴(火)
於
南京
1.西作命第170号ニヨリ午前10時ヨリ城内第二次掃蕩区域ノ掃蕩ヲ実施ス
敗残兵328名ヲ銃殺シ埋葬ス
2.鹵獲兵器左ノ如シ
小銃
180
銃剣
110
小銃弾
4,000発
拳銃弾
5,000発
拳銃
60
眼鏡
2
手榴弾
20発
3.歩兵上等兵
山口定一
同
中野修一
入院中ノ処本日中隊主力ニ追求ス
4.尋常糧秣トシテ二日分ヲ受領ス
5.南京城内海軍部ニ於テ宿営ス
6.現在員234名内入院38名
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これが問題の第20連隊第4中隊陣中日誌です。
> 第20連隊は15日〜16日と城外東方地区の掃討を担当していますが、この「敗残兵328名ヲ銃殺ス」は城外掃討の記述ではないんですか。
これは完全に私の誤解で、328名の銃殺は12/14の城内掃討の戦果でした。
但し、ここには「第二次掃蕩区域ノ掃蕩ヲ実施ス」とあるだけで、安全区を掃討したとは一言も書かれていません。
また、第9師団第6旅団の12/13旅団命令には「第16師団との戦闘地境は中山路とし、中山路は第16師団に属する。」とされています。
それから、「増田日記」という表記は不正確で、正しくは「増田六助手記」です。
これは12/13、12/14の出来事を一纏めにしてつづった物で、日記の体裁にはなっていません。
また、その最後は
「夕暗迫る頃六百人近くの敗残兵の大群を引立てて玄武門に至り其の近くで一度に銃殺したのであった。」
と結ばれており、陣中日誌の戦果と比較して銃殺された敗残兵が二倍弱に増えています。
これはどうも、後日ある程度時間が経過してから誇張を交えて書かれた物ではないかと思われます。
陣中日誌に残された記録から分かることは、小銃と拳銃で武装した敗残兵を銃殺した、ということです。
この敗残兵が投降した、とも書かれていません。
これは メッセージ 8874 (nmwgip さん)への返信です.
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